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林丘寺の雲母菴に襖絵が納まりました
林丘寺襖絵_s
写経机として使用されているヨーロッパの高級家具調の分厚い天板のテーブルが襖の前に、並べてあるため、全体図の撮影ができませんでした・・・。


前にも書きましたが、昨年の9月に完成した襖絵が12月に林丘寺に納まり、今年1月になって、中外日報社の取材を受けました。
以下に、その記事を掲載しておきます。


白衣観音に見守られ
写経会場に襖絵完成

臨済系単立林丘寺(京都市左京区)の写経会場・雲母(きらら)庵に仏絵師・藤野正観氏作による襖絵が納められた。
昨年12月に納められ、装いを新たに新年を迎えた。

 同寺は修学院離宮を造営した後水尾上皇の第8皇女、朱宮光子内親王(1634~1727)が離宮内の御殿を賜り朱宮御所(音羽御所)としたことに始まる。
朱宮は1680年に上皇が没すると出家し、照山元瑤と号し、御所を門跡尼寺・林丘寺とした。

雲母庵は朱宮の隠居所として建てられ、かつては近代日本画家の速水御舟や三輪晃勢らの文人が一時的に居を構えたことがあり、御舟の「雲母坂」は同寺塀外の古道「雲母坂」を描いたものという。
12年前に全面改修され、2階を写経会場にした。

写経会は天野弘山門跡の発案で32年前に始まり、開山朱宮の月命日の6日に毎月開く。
参加者は紹介に限定し、常時20人程度を維持し「サロン的」な趣で催す。
襖絵は写経会開催が30年の節目を迎えた2020年、仏教クラブで旧知の藤野氏に制作を依頼した。
襖絵は墨絵に淡彩色、金色は同寺にちなんで雲母(きら)を使って着色。

玄関正面に林丘寺に見立てた蓮池でくつろぐ白衣観音、その右に求道の善財童子が描かれている。建物内部は8面にわたり、仏法や慈悲の心を説く白衣観音に巡りあえた善財童子の姿を描き、時間が異なるシーンを絵の中で表現する手法・異時同図を用いた。

天野門跡は「門をくぐり建物に入ると仏さまの絵が広がり、仏さまに見守られながら半日写経してもらう。
構想を具現化していただいた。
やさしい絵で尼寺に向いている」と感想を話した。
藤野氏は「憧れの画家が住んだ場所で描かせていただき名誉なこと」と喜ぶ=写真。
写経会は秋以降、参加者を募り、完全予約制で開催する予定という。



写経会に参加されたい方は、有料ですが、林丘寺に、はがきで応募されたらいかがでしょうか、一般公開されていない、貴重な境内も拝観できると聞いています。公開時期が、はっきり決まれば、また林丘寺のホームページなどでお知らせいただけるとのことでした。



新聞原稿より | 14:10:51 | Trackback(0) | Comments(0)
奈良と生駒の聖天さん(宝山寺)
宝山寺
2023年1月1日の宝山寺(生駒の聖天さん)境内の様子


数年前(といっても 2016年)に長男が、結婚した相手が、生駒の聖天さんの参道で生まれ育った女性。
その長男夫婦に、女の子が二人生まれ、5歳と2才になりました。

縁あって奈良市西大寺に、長男の実家つまり私の自宅よりりっぱな新居を構え、昨年末のあわただしい時に引っ越しをすることになりました。
長男は、ここから吹田にある会社まで通うことになります。
私が亡くなった後のことですが、京都に現住所を置いて今年で54年になる『藤野さんの家』は、奈良の西大寺に移動することになったわけです。

誰も住んでいない五個荘の実家の古家も、すでに築100年以上経って、その一番古い納戸部分などは床が抜けはじめ、その屋根も落ちはじめています。

壊すか、補修をして維持をするか、悩んでいました。
とにかく、朽ちた屋根や腐った板塀の部分は、昨今の強い台風などに耐えられそうにありません。
いろいろ修理をしないと、ご近所様にご迷惑をおかけすることになります。

壊して更地にするにも、300万円以上は必要になります・・・。

そんな時、実家の裏にある竹林など雑地を分譲開発したいという業者が現れ、工事をするにも、重機が入れないので、表通りに面する空き家、つまり、我が実家を買い取り、工事車両の出入口にしたいということです。 
私にとっては、渡りに船というのでしょうか。
年末に、仮契約をし、実家を処分することに決めました。

誰も住んでいない家を、無理をして維持しておくより、過疎となりつつある集落に、若い世代の家族が増えたほうが良いに決まっています。
2月末の最終決済までに、父母や我々兄妹の思い出の品を撤収しなければならなくなりました。

そんなことで、私亡きあとの藤野家は、長男家族の本格移動で、奈良に移住することが決まり、奈良とのご縁をしみじみと感じている今年の正月です。

善峯寺と正法寺で20年間に渡り、毎土曜日には欠かさず仏画教室を開催させていただいていたのですが、奈良から通う生徒さんは皆無でした。

京都と奈良はお隣なので、どなたか一人ぐらいは生徒さんが居ても良いはずでしたが、奈良の人とは、永い間、ご縁が無かったということです。

コロナ禍の2000年から、西山にあるそれぞれの寺での教室を卒業させてもらい、我が工房の一階に付属する「ギャラリー」スペースで、月に2週間だけ月、水、土、と午前と午後に2時間づつ、予約制で仏画教室を開催しています。

このギャラリーには、年間でも、数人しか来客が無く、この際、もったいないので、教室としても使おうということにしたのです。
70才を過ぎた頃、仕事も減らして、もっと気楽に仕事ができたら・・・、そして自由に絵が描きたい・・・。
そんな風に思っていたのですが、結構やる気のある生徒さんが集まって来たのです・・・。

この2年間で、体験も含めると約35名が仏画を描くということに、関心を示し、今では21名の方々が、それぞれのペースで、オンライン受講やリアル受講で私と関わってくれています。

その中で、タイトルにしましたように、20年間で、誰も参加された方が居なかった奈良県から、かなりやる気のある方が3名、そして、宝山寺(聖天さん)で正月には毎年個展をされている大阪の女性が1名。
「縁」といえば、宝山寺の多宝塔の扉絵を描かせていただいたという、昔、独立させた弟子が、最近よく訪ねて来てくれるようになったり、そして何より、長男の嫁の父親まで、退職後の第二の人生のアルバイト先に宝山寺の事務職を選び、その暮れから正月にかけての忙しさに、「この寺は年寄りをこき使いますワ!」と嬉しそうに言っておられました。

そんなことで、宝山寺や奈良県とのご縁を,、ジワジワと身近に感じさせてもらうことになり、今年の元旦は、長男の新居、西大寺に行き、皆で初詣。
生徒さんの24回目の個展や、弟子が9年前に描いた扉絵を観るのもあって、初めて宝山寺にお詣りしたわけなのです。
お詣りの客は、現生利益を求める大阪人が多く、そのご利益を求める素直な人たちの姿に、「あぁ、信心って、これでいいのだ!」と、思いを新たにしました。

奈良は、やはり京都とは、また歴史の重みが違うように思います。
これからは、出不精の私も奈良を探訪する機会が増えそうです。

そんな意味でも、心身共に健康であり続けないと・・・と心の中で決意する私でありました。

ダイエットと少々の運動のおかげで、石の地蔵が立ち並ぶ石段を登り、仏像彫刻や仏画制作の知識や技術にも長けていたと伝えられる奥之院の中興の祖、湛海律師が祀られる開山堂や、大黒さんまで登ることができ、少しだけ体力に自信がついた正月でした。

うだうだ | 16:39:38 | Trackback(0) | Comments(0)
落書きに癒されて
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歴代の弟子が使った机に書かれた落書き「ごめんなさい」(穴はコンパスの針で空いた穴)


2021年09月15付けの71才を前に書いたブログに少し触れていますが、2021年の4月に9年間居た弟子が,去る理由もその姿勢も私が理解できないまま、私の元を去ったのですが、若い世代の弟子とは、やはり、分かり合えないのかなぁ・・・と、落胆し、その時の私の落ち込みから来る、その後の仕事に対するモチベーションもそうなのですが、私自身の老い先を考える時、すべての世界観が灰色に色褪せてしまいました。

その時から今までの1年と6ヶ月の間、心のどこかに、ぽっかり穴が開いたような、そんな空虚感がありました。
2024年12月に出航する「108日間世界一周南回りクルーズの旅」にも申し込み、2年先の楽しみを作ったりもしました。
それはそれで、楽しみなのですが、やはり、相変わらず、空虚感は抜けるわけではありませんでした。

気を少しでも紛らわすためといいますか、そのぽっかり空いた穴を埋めるためにも、仏画教室の時間を増やし、いろいろな世代の生徒さんたちと仏画の制作を通して、私の人生の残りの時間を楽しませてもらおうと、新しく、楽しく再出発したのですが、あれからもう1年が過ぎてしまいました。

モチベーションの著しい低下から、仕事として受けた襖絵制作も手につかづ、結局、納期の延長を申し出、完成時期は当初の約束より半年も過ぎてしまいました。
表具師さんにもご迷惑をおかけしていたのですが、10月1日のブログにも書きましたが、9月末にはなんとか納まりました。

そのことで、多少気分も解放されたこともあり、ダイエット効果とコロナ禍の環境が穏やかに変化したこともあるおかげか、なんとなくまた、やる気が出てきたかなといったところでした。

そんな中、仏画教室の生徒さんの一人が、予てより、通い弟子を希望されていたのですが、ちょうど、私もやる気もでてきたところなので、弾みをつける意味もあり、10月13日より週に3日から4日、朝から夕方まで、私が工房にいる間だけ、私の傍らで仏画の制作ができる、いわば、通い弟子といったところでしょうか、今まで経験したことのない新たな私と通い弟子との関係を構築しようとしているところです。

もう、私がいつ逝っても不思議ではない年齢になってしまいましたので、前の弟子が居なくなった時点で弟子はとらないつもりでしたが、その通い弟子1号は私が逝くまで頑張ると言っています。

その通い弟子1号が、私の傍らの机に座った1日目に、その机に書かれた落書きを発見し、私にこう言いました

『先生!ここに、「ごめんなさい」って書いてありますよ。知ってましたぁ?』

「うん?どれどれ」

と私は重い腰をあげてその字を見に立ちますと、その字は、赤色のボールペンで小さな文字で書かれていました。

それは見覚えのある小さな文字でした。

9年間居た弟子の去る理由も、そのプロとしての仏画制作に向かう姿勢も想いも、私が理解できないまま、私の元を去ったその彼女の字体でした。

今まで、ああなのか、こうなのか、こうしてやればよかったのか…などと、その理由を考えるたびに、若くて未熟な弟子の本当の想いを感じることすらできない自分の至らなさに疲れていました。

しかし、10月13日の初日に歴代の弟子たちが使っていた机の上に描かれた小さな文字を、通い弟子1号が見つけてくれたのです。

その落書き「ごめんなさい」の一言だけで、私自身が何か救われたような気がしています。

今は、ダイエットで身体の調子も順調ですし、なんとか襖絵も納め、コロナ禍も落ち着いたこともあり、新しい通い弟子との関係を構築するための環境作りに、また、私の中に若い頃とは言わないまでも、ちょっと前のようなモチベーションが復活してきそうな、そんな予感がしております。

※11月19日追記
通い弟子となると、やはり「弟子」には違いがないことに気づき、これでは、やはり老いた私にとって荷が重い・・・。
結局、あれこれ、いろいろ考えて、11月中頃から、仏画教室の延長線として考え、「やる気コース」の上位、つまり「本気コース」といった名称で、「やる気コース」を経た希望者のみですが、線描と淡彩色の実力試験を受けていただいて、合格した者に限り、私の傍らで勉強することを許可する。
そんなシステムにしようと考えました。
ですので、先に書いた「弟子1号」は、「本気コースの生徒1号」ということになります。





うだうだ | 17:15:53 | Trackback(0) | Comments(0)
三か月ぶりの受診
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腹部、主に肝臓の辺りを超音波で検査を受けるために長い時間を待っています。


10月6日、3ヶ月ぶりに泌尿器科と肝臓内科と糖尿内科を受診しました。 

課題は、7月に受診し良い結果だった数値が悪く変わっていないか・・・です。

相変わらず午前7時半ごろ、病院に到着し、受診と薬局で薬を貰って帰って来たのが、昼の12時半。 

半日、病院に居ました。

体重は、7月と同じ82Kgを何とかキープできていたので、糖尿の数値も悪くはなっていないだろうとは思っていましたが、実は最近、食事の量や内容には、計器で測ったりせず、間食も再開する等、直感で食べる量や内容をコントロールしていたものですから、今回の結果には、多少不安がありました。

泌尿器は、あい変わらず薬で維持。

肝臓も、腹部エコーで丁寧に診断してもらっても、血液検査の数値結果を見ても問題が無く、以前の脂肪で白くなっていた肝臓がなんと、きれいになっていました。
もう、脂肪肝かどうか・・・といったようなところだそうで、Drも驚いておられました。

次は、糖尿ですが、72才を前にした老人で、糖尿病を抱えてる人の数値としては、予備軍的数値で、これもだいぶ改善されていると、今後も食事と運動に気をつけて頑張りましょうということでした。

一緒に着いてきた妻も、医師の言葉に一安心。

次の糖尿病受診は、3か月先の1月26日。

肝臓内科は、半年先の4月6日。また、目標を定めて、今までと同じように頑張るのが良いだろうと、半年先に次の維持すべき目標を作ってもらいました。

まだまだ続く、食と運動による治療・・・。気は抜けません。

病気 | 17:11:13 | Trackback(0) | Comments(0)
やっと完成! 慣れない紙に、襖絵十四面
襖絵制作中
納める直前の手直しをする私(妻の撮影)


 お話を聞いてから、ほぼ2年、彩色にかかって1年が経過しました。

修学院離宮の敷地内で、離宮と隣接する尼寺、林丘寺門跡の雲母菴(きららあん)の襖絵十四面を描いて欲しいと依頼されてから、私の身辺や身体そのものに、いろいろマイナスの変化が有ったり、表具師の用意した見本の紙と違った厄介な紙に戸惑いながら、筆の進まない日が続き、結果、完成まで長い時間を要してしまいました。

9月29日に、ようやく、表具師に預けることとなり、御施主のご門跡さんも一緒に工房に来られ、はじめて絵をご覧になりました。
善財童子をご覧になって「可愛い!」が第一声でしたが、喜んでいただけたご様子でした。

絵の内容はと言いますと、当初、御施主は蓮池をご希望されていたのですが、仏絵師の私の提案で、林丘寺を蓮池にみたて、求道者として、参拝客を善財童子に見立てて童子を描き、善知識として白衣観音を、その蓮池に書き足し、求道の旅を表現することにしました。

この雲母菴は、大正時代の有名な日本画家、速水御舟が滞在し、寺の脇の比叡山延暦寺に抜ける坂道、風景素描として『林丘寺塀外の道・雲母坂』というタイトルの絵を残しています。

お話をお聞きした当初は、この襖絵が完成し、お披露目をすると同時に、今まで一般公開していなかった「林丘寺」も、そろそろ一般公開したいというご意向をお聞きしておりましたが、しかし、表具師にお預けした、一昨日29日の段階では、寺の公開時期をまだ、どうされるのかお決めになっていないご様子でした。

2021年に我が工房の有能な若い弟子二人が、各々の諸事情で突然居なくなったことで、その当時引き受けていた仕事ができなくなったことはもちろん、70歳代の老人初心者である私の精神状態も体力も最悪に陥り、まる1年間、コロナ禍のせいもあったかもしれませんが、落ち込んでいました。特に若い人をはじめ人間が信じられなくなっていました。

そんなこともあり、すべてに対して、モチベーション、つまりやる気が失せてしまい。
この襖絵制作においても、約束の時間を大幅にオーバーしてしまい、ご迷惑をおかけしたのですが、こればかりは、絵描きの筆が進まないのですから仕方がありません。

でも、五月に糖尿病と診断を受けてから、食事と運動でダイエットを進め、体重も88kgから6Kg減量、肝臓などの数値も良くなりました。ので、体も軽くなりスムーズに動けるようになりました。
やる気が無くなったていたのは、糖尿病のせいかもしれませんが・・・。
3ケ月前の受診では、血糖値、肝臓の数値共に正常内におさまっていましたが、10月6日には3か月ぶりに受診する予定です。

そんなこともあって、減量した今になって、なんとなくやる気が出てきたような、そんな気分の今日この頃なのです。

昨日30日の朝も、久々に、自転車で向日市の桂川の堤(サイクリング道路)まで出て、自宅から12Kmという遠回りで、松室の工房に一人で来て、汗びっしょりになりながら、襖の制作用にアレンジしていた、仏画教室用に使っているギャラリーと、工房の机の配置等を元に戻しました。

夕べのニュースでは、私と同じ年(昭和25年生まれ)の三遊亭円楽さんが亡くなったそうで、最後の彼の覇気のない表情の顔写真がネットで流れています。そんな年ごろなんですね、72才は・・・。

人生の最終章・・・をどう生きるか。

まずは、お楽しみ目標作り第一弾として、二年先の2024年(74才時)に、神戸港からシンガポールを経て、インド洋からアフリカ、南米、アセアニア、南太平洋の島々と3ヶ月以上をかけて1995年生まれの大型客船で巡る「南回り世界一周クルーズ108日間」を申し込みました。 ※1995年と言えば、私が大きな涅槃図を描かせていただいた年です。

夢に見た、南太平洋の青い空と海、楽しみです。

一緒に、と誘った妻が即答で「行かない!」と言ったので、一人で参加します。

面倒なことは、何もしなくても良い旅。

旅に家が付いて来てくれます。

今は、仕事もほどほどに、その100日余りの旅を十分に楽しむための体力作りに励みたいと思っております。

無事、帰って来たら、ボケるかも・・・。



うだうだ | 16:04:34 | Trackback(0) | Comments(0)
もうすぐ、暑すぎた夏も終わります・・・。
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フィラデルフィアを出て、ベセスダに向う車中より。現地時間の午後8時頃撮影


昨日、早朝5時に、この夏を3年ぶりに我が家で過ごした米国ベセスダ在住の長女と孫二人が、稲妻の光る荒雨天の合間を縫って、妻の運転する車で、我が家を大阪国際空港(伊丹空港)に向けて出発。
私はというと、大切な仕事があるので、生活のリズムを崩せないことから、見送りはキャンセル。
寝床で、3人とお別れの挨拶を済ませました。

午前8時半の伊丹空港発JL106便で、羽田→シカゴ→フィラデルフィア→ベセスダと、先ほど、午前10時頃、なんとか無事に自宅に着いたと連絡がありました。

京都の我が家を出てから29時間が経っています。

昨日は、いつものように仕事をしながら、時々、PC版のflightradar24をチェックしては、彼女たちが今、どの辺を飛んでいるのか楽しんでいました。

同じ飛行機に乗ってるような気分になれるのです。リアルタイムなのです。すごい時代です。

日本時間の午後11時30分頃のシカゴに到着時には、私はもう夢の中ですので、シカゴで、係官の要領の悪さで入国手続きに手間取り、予定のフィラデルフィアまでのフライトに間に合わず、6時間も待たないと次の便に乗れない。ということを聞いたのは夜中の2時ごろ・・・。

枕元に置いてあるスマホのLINE投稿音で目が開きました。

「旦那の迎えに来ているフィラデルフィアまで飛ぶJL7406便に乗れなくなった。次の便は6時間後だ」と言います。

「それは大変。でも、眠くなかったら、入国審査も済んだので、その待ち時間の6時間を有効に使えば、例えば、シカゴ観光に外に出るとか・・・。」と、私がアドバイスをすると、「とんでもない、3人ともクタクタなので、適当な場所を探して、仮眠する。」と言います。
それも良いだろうと、私もその話の途中で寝直しました。午前2時過ぎです。

でも、期待通り、予定のフライトの3時間後のフライトでキャンセルがあり、なんとか、「6時間待ち」を逃れることはでき、親子三人はばらばらで座わることになりましたが、今朝の午前5時(現地時間午後8時頃)にフィラデルフィアに到着したと連絡が入りました。

機内では、母親と離れてそれぞれに座った中2と小5の孫たちは、2人とも疲れて爆睡していたそうです。

一旦は空港に向かったのですが、予定の飛行機に乗れない旨の連絡で、一旦は帰宅し出直した旦那の運転で、高速道路で2時間ほどの距離を迎えに来てもらって、無事に日本時間10時10分にベセスダの自宅に帰宅したとLINEがありました。

やはり、親としては、帰宅するまでは、心配で落ち着きません。無事到着ということで、ほっとしています。
今からシャワーを浴びて、軽く食事をとって朝までぐっすり眠るそうです。

娘と孫たちだけでJR利用(JAPAN RAIL PASS)で東京、仙台、青森、北海道函館旅行5泊六日旅行。
妻の運転で富士山、山中湖2泊三日(妻の故郷浜松へも墓参りに寄る)
妻の運転でお盆の準備と掃除に私の無人の実家へ1泊二日の他、日帰り旅行等々
お盆には、私の運転で五個荘の無人の実家へ日帰りで行きましたが、私はというと、この時だけが彼女たちと時を一緒に過ごしたことになります。
彼女たちにとって、けっこう充実した夏の休日だったと思いますが、いろいろ面倒をみた家内の元気さには、脱帽です。

また、今日から年寄り二人だけの静かな生活が、45日ぶりに始まります。


うだうだ | 13:49:46 | Trackback(0) | Comments(0)
歳の差がなくなる時
灯ろう
生駒の聖天さん (宝山寺)、お彼岸万燈会 資料写真より


昨日、楽詩舎創立当時に、24歳の頃から12年間、私の傍らで修業した弟子が、半年ぶりに工房に訪ねてきました。
創立当時の五人の弟子の中では、彼女が一番若かったのです。

最近、私が一人で工房に居ることを知って、私の工房に居た弟子たちに気を遣わなくてもよくなったからなのか、単純に老いた私を気遣ってか、こうして半年に一度は、様子伺いに訪ねて来てくれています。

独身なので若く見えますが、もう57歳だと言います。
時の過ぎるのは早いもので、当然ながら今もそうなのですが、あの頃の彼女とは15歳、私と年が離れていますが、話をしていると、今はそんな年の差を感じません、彼女が、いろいろ経験を積んで追い付いて来たということなのでしょうか・・・。

いつものように小一時間、話をすると、順調にあちこちに仏画を描かせていただいている様子。
教え伝えた者としては、ひとまず「安心」といったところ。

そんな話の中で、彼女がしみじみと、「最近、弟子時代に先生から、もっとお話を聞かせて貰っていたら良かった」と、思うことがよくあるのだと言います。
「先生が言われたことの意味が、今になって理解できることや、まだわからないこと等、当時の師弟の関係の間、とくに自分は年が若かったので、お仕事以外の個人的なお話なんて先生とは、忌憚なく気軽にできなかった。」ということです。

そういえば、彼女以外の弟子とは、私と歳が近いこともあり、相談相手になってもらったり、かなり親しげに気軽に話していたことを思い出します。

歳の離れた彼女にだけは、私から軽く説教はしても、親しげな話はほとんどしていなかったのかもしれません・・・。

「先生は、今までのご自分の人生を漢字一文字で表すとすれば、何ですか?」と、彼女は、唐突に私に問いました。

「そうやなぁ・・・。『想』 の字かなぁ・・・。」

ちょっと考えると、「想」の字が頭に浮かんできました。
深い意味はないのですが、子供のころから、私は、「空想好きな少年」だったような気がします。

老いた私は、今も、「想う人」なのです。
ただ、「想う」のです「イメージ」するだけなのですが・・・。

どうイメージするかが、大切だと思うのですが、それには思考も含まれますが、特にこの仕事についてからは、仏画の完成時のイメージは当たり前として、そして、自分の傍らで勉強する弟子の将来を想うことが多くなりました。

やはり、知らず知らずのうちに、他の人の為に祈っていることもあります。

でも、私自身も自分の描いたイメージ通りに歩んで来れたようなそんな気もします。

「想念」という熟語がありますが、想い念ずる。今改めて考えますと、やっぱり、自分は、けっこう仏教的に生きてきたんだなぁと気づかされます。

彼女は、帰り際、自分の車に積んでおいた、お世話してもらっているのか、しているのか、よくわかりませんが、ある古刹の大寺のお彼岸の万燈会に使う「灯ろう」に貼り付ける和紙に、私の孫たちに絵を描いて貰ってくれと、その和紙を置いて帰りました。

描けたら、また取りに来るそうです。



うだうだ | 11:41:32 | Trackback(0) | Comments(0)
減量成功!!
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7時半、照明の点いていない桂病院の受付。受付番号は36番目でしたが、帰りの清算番号は361番でした


今日は、朝の7時半ごろから一人で車を運転して桂病院へ。この時間だと、必ず立体駐車場の下(日陰)に駐車出来ます。
久々に朝から晴天で、いつもなら、雨が続いたので久々に自転車で工房まで出勤しているところでした。

今日は、まずは、いつもの3ヶ月に一回の泌尿器科を受診し、薬を貰うことになっています。その次に、肝臓の消化器内科、そして糖尿内科、そして栄養士との相談。
この4つを受診してきました。

病院は、工房までの道中にあるので、病院が終わって工房に来たのが12時半。

3日からワシントンD.Cから娘たちが帰って来ていて、時差ボケが元に戻りません。下の孫は、地元の小学校に通い始めましたが、厳しい暑さと相まって毎日が戦場のように殺気立っています。 老夫婦の静かな生活リズムはどんどん崩壊していきます。

そんな中、妻が私のダイエット弁当が、いつものように作れないので、コンビニに寄って、小さな弁当を買い、検査結果が良かった安心感から、好物のシュークリームも買ってしまいました。
血液検査があるので、朝も、ご飯を食べずに行ったものですから、もうお腹がペコペコフラフラでしたから、午後1時前に食ったコンビニ弁当が旨かったぁ。

2022年3月22日の検診結果で、体重88.1Kgが、食事と運動で本日7月7日に病院で計測して、目標の82Kgに減量成功という、軟弱な私にしては、あり得ない意思の強さを示した数値となりました。

以下、薬の服用無しで改善した各検査結果です。自分の覚えの為に記しておこうと思います。

空腹時血糖値が、138で要医療でしたが、本日7月7日の血液検査では、112。糖尿病予備軍的な数字ですがまだ、もう少し高いが問題はない。糖尿内科の長島Drは、「この調子で薬の服用をしないで治療しましょう。」と、いうことでした。

HbA1cも、5.5以下が正常値らしいのですが、栄養士曰く70歳以上の年寄りは6.0~6.5ならOKだそうです。本日7月7日の結果は、6.1でしたが、これも問題なし!良好ということだそうです。

肝機能数値もAST(GOT)が、61で要医療でしたが、本日7月7日には、16で改善。ALT(GPT)が、76で要医療でしたが、本日7月7日には、15で改善。γ-GTPが、66で要医療でしたが、本日7月7日には、20で改善。
消化器内科の池田Drは、今度は、3ヶ月後の10月6日にエコーで本当に肝臓から脂肪がとれているのかチックをしましょうというになりました。

中性脂肪が238でメタボでしたが、本日7月7日には、217とまあまあ改善。

血圧も145/86で要指導。ですが、これは病院で測るといつも高い数字が出る(白衣過敏症)ので、本日まで、気持ちの落ち着いた工房で2か月間、自分で計測した数値の平均は、110/65でした。

よし!この調子で3ケ月後には、夢の70Kg台に! 80Kgを切るぞ!! ・・・むりかなぁ・・・。 

大量の野菜を食するのが辛い・・・。



病気 | 17:33:27 | Trackback(0) | Comments(0)
3年ぶりに娘たちが帰ってきます
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JL5便がカナダからアラスカに入ったflightrador24の画面。あと7時間で羽田到着予定


3年ぶりに、ワシントン郊外のベセスダに住む長女と孫たち3人が帰ってきます。

少しでも節約しようと、数か月も前に予約したJAL便の、(フィラデルフィア~ロスアンゼルス~関空)が欠航したので、3日後の(ワシントンダレス~ロアンゼルス~関空)便を予約したのですが、結局、その二度目も欠航になり、三度目のトライで、やっと、ニューヨークのジョン・F・ケネディ空港から羽田までのJL5に乗れたようです。

1週間もの時間を無駄にし、ニューヨークに1泊と、経費も高くついたようですが、JALは責任を取らないのでしょうか・・・。

日本時間の昨晩1時過ぎに、ニューヨークを経ち、今朝の9時を過ぎた頃、やっとアラスカに入ったところです。

今日も工房に来ている私は、久々に「flightrador24」を開いて、娘たちの乗る飛行機JL5を、並列に並べた2台のモニターに映し出し、大画面で機影を追っています。

今日の4時31分に羽田に到着、入国審査を済ませ、またそこから国内線に乗り換えて伊丹まで帰って来る予定になっています。

飛行機で1時間のニューヨークに1泊してからの羽田までの14時間のフライト、おそらく、へとへとになって帰ってくると思われます。

伊丹まで妻が一人、車で迎えに行くと言っていますが、伊丹までの慣れた道とはいえ、久々です。京都への帰りは夜中になります。

孫たちも、上が中学2年生、ワシントン生まれの下が小学5年生になりました。 今晩には、皆に会えます。楽しみです。

うだうだ | 09:39:38 | Trackback(0) | Comments(0)
88kg から 84kg へ
あじさい
何年か前に友人から頂いたアジサイをいくつかの鉢に挿し木しておいたら、今年は美しい花が開きました。


糖尿病と烙印を押されて、一ヶ月経ちました。
朝から、桂病院の糖尿内科を受診しました。
まずは採血と検尿で、その結果が出るまで、約1時間ほど待って、診察室に呼ばれました。

その結果を見ながら、長島Dr曰く、「今回の血液検査の結果は、肝臓の数値も、コレステロールの数値も、すべて正常値です。
ただ、血糖値だけがまだ少しだけ高いので、あともう少し体重を落としましょう。」ということになりました。

栄養士さんに指導されたように、ウォーキングと自転車、そして一日に2000kcal前後の食事に抑えて、野菜、炭水化物、たんぱく質、甘いもの、塩辛いものなど、バランスの良い内容を心掛けた一ヶ月の結果が、88kgから84kgへの減量に成ったということです。

あと、2Kgの減量です。次回の診察は7月7日に予約を入れました。
その日までに、あと、2kgの減量目標ができました。

その次は、80Kgを切る!! 
70Kg代など、何年ぶりになるのでしょう・・・。
「頑張ります!」と、自分に言い聞かせております(^o^)


病気 | 16:18:45 | Trackback(0) | Comments(0)
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