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いろいろ思い出しています
ジープと楽詩舎の看板
大原野北春日時代の工房と、今は朽ち果てた手作り看板(2003年頃)


年頭に今年こそ仏画の本を作ろうと、意気込んでいたのですが、「はじめに」の序文を書き始めてもう3か月が過ぎようとしています。
どんな紙の本にするかは、だいたいイメージが固まりつつあるのですが、やはり、仏画工房・楽詩舎の備忘録的な本になりそうです。
文章を書くのは早い方だったのですが、最近、年のせいか集中力に欠け、思考があちこちバラバラになってしまいます。
キーボードもなんだかうまく打てなくなっています。左右の人差し指二本での入力は、よく他のキーにひっかかるのです。
年のせいかな・・・?いや、これはやはり、キーボードが古いせいかもしれません。またアマゾンでポチらないといけません。
書き始めると、乗ってるときはスムーズに書けるのですが、あれもこれもと、書きたいことが次から次へと頭に浮かんできます。
とりあえず、思いついたことを書きなぐっているのですが、仏画工房・楽詩舎の初期から今までの出来事・・・。いっぱいあります。
楽詩舎の名前の由来は、当時、工房にしていた自宅に大きな柿の木があったので柿が落ちる舎ということで嵯峨の「落柿舎」の音に倣ったわけです。
やはり仕事を楽しくしたいということから、いつも楽しい詩が生まれるような、そんなイメージでつけたのです。
昔を振り返えろうとしますと、楽しかったことはほとんど頭に浮かばず、「楽」の字からは程遠い、苦しかったことや辛かったこと、眠れなかったこと等が思い出されます。
仏画がうまく描けなくて悩むというより、その原因のほとんどが、弟子として向かい入れた若者の「人としての業」との付き合いだったように思います。
心変わりや気づきで辞める人は仕方ないとしても、私から辞めろと言って辞めさせたのが4人。そして、志半ばで泣く泣く辞めなくてはならなくなった弟子が6人ほど・・・。その一人一人の顔が浮かんできます。
そして、私にはその若者の苦しみが、未だに理解できず、また自分の内で処理出来ずに心の奥にひっかかっています。
志をあきらめ、中途で辞める弟子の気持ちは、私には経験がないので、わかりません。
私の弟子生活の中で辞めたいと思ったことが一度もなかったし、仕事も来るものはすべて引き受けてきました。ただ、ただ、突っ走て来たように思います。
だから、辞めた彼らを理解できないのかもしれません。
途中で辞めた人は、とうの昔に忘れているのかもしれませんが、彼らに真剣に向かい合ってきた私はその時の弟子の疲れた様子を忘れていません。
この本に書くかどうかは、まだわかりませんが、仏画工房・楽詩舎の歴史を振り返る時、今もこうして思い出しています。
このまま、墓場まで持って行くのか・・・、私も年のせいか、今頃になって疲れが出てきたようです。
今度は、私の辞める番かもしれません。ホームページにも今年から弟子は募集しないことを宣言しました。
弟子やスタッフを受け入れないということ。これは、このまま行きますと今までの形態での「仏画工房・楽詩舎」が、近い将来、幕を閉じることを意味します。
仏画工房 楽詩舎を立ち上げた時に自分で作った杉板の表札と案内看板。これが、自然に朽ち果てる頃までこの仕事を続けよう。これが当初の目的でしたから、二つの手作り看板のうち、一つはもうとうの昔に朽ち果てていますし、今の仏画館の外に吊るしてあった道しるべの看板も紐をひっかける穴が風化する寸前で、今いる弟子が育つまでもう少し続けようか・・・と、去年、現在の工房のある仏画館の玄関の中に吊るしています。
こんなことから、いろいろ思い出に耽りながら執筆していますので、最初で最後の出版になる「本」の序文に、あれこれ手間取っているのです。

うだうだ | 10:55:09 | Trackback(0) | Comments(0)
モランの寺-佐伯祐三-正観18歳の時の模写
モランの寺-Yuzo Saeki-正観18歳の時の模写
モランの寺-Yuzo Saeki-正観18歳の時の模写


この油絵は、私が高校生の頃、2年生か3年生だったか忘れましたが、文化祭の美術部の展示で、各々部員の好きな名画の模写を展示しようという誰かの発案企画で、「模写コーナー」を設け、部員全員で一気に描き上げた作品のひとつになります。
当然ながらキャンバスを買うお金もなく、ベニヤ板を6号Fにカットして裏側は垂木で補強してキャンバス仕立てにしています。
自分でも気に入っていたのか、この絵だけが我が家の壁に額縁なしで掲げてありました。
なぜか、今朝この絵が目に入り、はじめて写真に撮りました。
あの頃が蘇ってきます・・・。
描いてからすでに50年は経ってることになります。
私は、当時からアカデミックな絵が好きでしたが、それ以外ではペインティングナイフで描いたような力強く荒々しい絵も好きでした。
その中でも、ユトリロやブラマンク、そして、佐伯裕三の絵が好きで、彼の生き様にもあこがれていた時でもありました。
この絵のタイトルは、佐伯祐三作「モランの寺」。
この教会やモラン風景は彼の作品に多く出てきます。
彼は、2度目の渡仏後、この絵を描いた4か月後に結核から気を病み、最終的には、衰弱。
そのままパリで亡くなったそうです。30歳の時です・・・。


うだうだ | 09:42:04 | Trackback(0) | Comments(0)
肺癌 完治!
MRI.jpg
ネットより拝借。MRI検査台



やれやれ・・・・。
と、いうのは、昨日、桂病院の呼吸器科で6ヶ月ぶりの検査を受けました。
今回の検査で、肺癌の再発が見受けられなかったら、一応完治となり、半年後も一年後も診察に行かなくてもよくなります。
朝、7時半に家を出て、検査が終わって病院を出たのは11時半。

まずは、検体検査(血液とレントゲン)次にCT検査、そして前回の検査で苦手意識が高まり、少々トラウマぎみのMRI検査を受けました。

半年前のMRI検査、ピーピー、ドンドン、ガァガァ、ズン・ズン・ズン・・・・。なんで、こんなに大きな音を患者に聞かせるのか、何か音を静かにする技術はないのか・・・。などと、検査中頭の中にイライラと不安感が広がります。
暗くて深い淵に引きずりこむような、低い音で唸る心臓の鼓動のリズム。
そんな不気味さを感じながら我慢の限界ぎりぎりで、やっと終わったという前回の恐怖の経験があります。

イヤフォンとかヘッドフォンで音楽やラジオでも聞けたら少しは気が散るのに・・・と、前の日から考えていたので、「前回の検査から、ちょっと恐怖感を感じるようなった。今回は自信がない。音楽か何か聞きながら受けられないのか?」と、MRI検査室の前で、金属探知機で私をチェックする看護師さんに聞いてみました。
「あぁ、そうですか、それでは・・・」といって、モニターの並ぶ部屋に戻り、検査技師に聞いている様子。
帰ってきた看護師さんは、にこにこしながら「ヘッドフォンを付けられるそうですよ!」「えぇ!そうですか、ヘッドフォン付けられるのですか?それなら前にもそう言ってくれれば良かったのに・・・。」

撮影の途中で造影剤を入れるので、先ほどの左手からの採血に続き、今度は右手に注射針が挿入された状態で検査を受けます。
私の血管は細くて奥にあるので、新人さんではなかなか見つけられず、的確に針を挿入できないのですが、今回の看護師さんは一発で挿入。これで、まずは一安心。
肺癌は、頭に転移する可能性が高いので、造影剤を入れて、頭をしっかり診るらしい。

MRIの検査台には頭が動かないように、固定する器具があり、その中に上向きに頭を合わせます。もちろん、先ほどお願いしたヘッドフォンを耳にあてがってくれました。「うん?・・・」小さなオルゴールの音が聞こえます。
「ちょっとぉ!これじゃあの大きな音がそのまま聞こえるのでは?」「では、これぐらいでどうです?」と言ってボリュームを上げてくれました。
大音響のオルゴールの音色・・・まぁ、いいか。「それで、少しは、気がまぎれるしょう。ありがとう!」

オルゴールの最初の曲は、「星に祈りを」・・・気持ちが安らぎます。
「では、始めます!頭は動かさず、針のある右腕はまっすぐ動かさないでください。」
ピーピー、ドンドン、ガァガァ、ズン・ズン・ズン・・・・電車の通る線路の真下に居るような大音響には、オルゴールの音など消えたも同然。
オルゴール効果は絶大ではありませんでした。
でも、少しはオルゴールのきれいな音に気持ちを集中させると、気がまぎれましたし、多少は救われたようです。

騒音隠しが目的なら、なんで、オルゴールの音なの? 大音響のジャズとか、内容に集中できる漫才とか落語とか選べるような配慮があったら良いのに・・・とぶつくさ考えながら、呼吸器科診察室の前で1時間ほど、検査後の結果を待ちました。

結果は、もちろん、全ての検査で異常なし! 半年後の予約もなし。薬もなし! 6年前の体に戻ったということです。やれやれです。
ご心配頂いていた方々にお礼と感謝の 『ご心配をおかけしまた。m(__)m』 です。



肺癌 | 16:21:07 | Trackback(0) | Comments(0)
『平山郁夫-引き寄せられた中国書画-』 展に行ってきました
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平山郁夫画伯ゆかりの中国人作家や平山素描の展覧会が開催されている観峰館の新館


来年の今頃、私の故郷の東近江市五個荘にある「觀峯館(かんぽうかん)」で『藤野正観の仕事展』が開催される予定になっています。【2020年2月8日(土)~3月15日(日) ※(休館日は 2月12日、27日、24日、3月9日の4日間)

昨日、その展示会場の下見に行ってきました。
今にも冷たい雨が降り出しそうな冬の空でしたが、木々のふくらみ始めた若葉色の芽に、早春を感じます。

会場では、冬季企画展として「平山郁夫-引き寄せられた中国書画-」が開催されていました。
この時期にもかかわらず、会場には朝10時ごろでしたが20名ほどの鑑賞される人が居ました。
広くて大きくてりっぱな会場です。2015年10月にこの新館を増設オープンされたそうです。

平山郁夫画伯が交流した初公開の中国書画作家の作品や、平山画伯肉筆の大下図、素描、スケッチなどが展示してあり、唐時代の菩薩像頭部等の平山画伯の立体コレクションも展示してあり、関西の平山ファンのみならず、仏教美術ファンにとっても、敦煌壁画等の模写作品も多く、なかなかの見応えのある展覧会でした。
おすすめです。21日までです。

で、この同じ会場で、来年の今頃、私の仕事展として展覧会が開催される事になっています。
平山画伯とは比較にならない無名の私ですが、仏画を生業にしてから35年。
一般の方々に、きちんとご案内できる展覧会は、四度目となります。
今から描く新作も含め、当工房で制作した仏画の一部を観ていただこうと思っております。

ご期待ください。


告知 | 09:22:02 | Trackback(0) | Comments(0)
玉の輿(こし)
お玉ちゃん
フジテレビ制作の「梅沢富美男のズバっと聞きます」中の1カット2019年2月13日放送


先ほど、ワシントンDCに住む、長女から、「テレビ観ていたら、お父さんの描いた「桂昌院」の絵が写っていたよ!」と画像添付でLineしてきました。
ユーチューブで確認しますと、昔、善峯寺にお描きした「桂昌院」のご肖像画でした。今宮神社の玉の輿お守りの話題で使われていました。
先代住職は、それまでの大奥を描いた小説などで、善峯寺の復興をされた恩人の桂昌院が良く描かれていないので、悪いイメージの固定化に、憤りを感じておられました。
そのイメージを払拭したいと、そんな当時のご住職、掃部光暢師のご意向で、応仁の乱で荒廃した京都の有名寺院のほとんどを復興させ、仏教に帰依し、信仰心のあつい桂昌院らしく、何度も相談しながら新しくお描きしたものです。
この肖像画、最近、よくテレビや雑誌等メディアに使用されていますね。

2012年にもTVで紹介されてブログに書いていますので、「玉の輿」伝説にご興味のある方は、お時間のある時に読んでみてください。

『歴史秘話ヒストリア』大奥 シンデレラ・ストーリー~将軍の母・桂昌院 元祖「玉の輿」物語



知っておこう! | 09:27:13 | Trackback(0) | Comments(0)
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