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3年ぶりに娘たちが帰ってきます
GOMCAM 20220703_0927110096
JL5便がカナダからアラスカに入ったflightrador24の画面。あと7時間で羽田到着予定


3年ぶりに、ワシントン郊外のベセスダに住む長女と孫たち3人が帰ってきます。

少しでも節約しようと、数か月も前に予約したJAL便の、(フィラデルフィア~ロスアンゼルス~関空)が欠航したので、3日後の(ワシントンダレス~ロアンゼルス~関空)便を予約したのですが、結局、その二度目も欠航になり、三度目のトライで、やっと、ニューヨークのジョン・F・ケネディ空港から羽田までのJL5に乗れたようです。

1週間もの時間を無駄にし、ニューヨークに1泊と、経費も高くついたようですが、JALは責任を取らないのでしょうか・・・。

日本時間の昨晩1時過ぎに、ニューヨークを経ち、今朝の9時を過ぎた頃、やっとアラスカに入ったところです。

今日も工房に来ている私は、久々に「flightrador24」を開いて、娘たちの乗る飛行機JL5を、並列に並べた2台のモニターに映し出し、大画面で機影を追っています。

今日の4時31分に羽田に到着、入国審査を済ませ、またそこから国内線に乗り換えて伊丹まで帰って来る予定になっています。

飛行機で1時間のニューヨークに1泊してからの羽田までの14時間のフライト、おそらく、へとへとになって帰ってくると思われます。

伊丹まで妻が一人、車で迎えに行くと言っていますが、伊丹までの慣れた道とはいえ、久々です。京都への帰りは夜中になります。

孫たちも、上が中学2年生、ワシントン生まれの下が小学5年生になりました。 今晩には、皆に会えます。楽しみです。

うだうだ | 09:39:38 | Trackback(0) | Comments(0)
88kg から 84kg へ
あじさい
何年か前に友人から頂いたアジサイをいくつかの鉢に挿し木しておいたら、今年は美しい花が開きました。


糖尿病と烙印を押されて、一ヶ月経ちました。
朝から、桂病院の糖尿内科を受診しました。
まずは採血と検尿で、その結果が出るまで、約1時間ほど待って、診察室に呼ばれました。

その結果を見ながら、長島Dr曰く、「今回の血液検査の結果は、肝臓の数値も、コレステロールの数値も、すべて正常値です。
ただ、血糖値だけがまだ少しだけ高いので、あともう少し体重を落としましょう。」ということになりました。

栄養士さんに指導されたように、ウォーキングと自転車、そして一日に2000kcal前後の食事に抑えて、野菜、炭水化物、たんぱく質、甘いもの、塩辛いものなど、バランスの良い内容を心掛けた一ヶ月の結果が、88kgから84kgへの減量に成ったということです。

あと、2Kgの減量です。次回の診察は7月7日に予約を入れました。
その日までに、あと、2kgの減量目標ができました。

その次は、80Kgを切る!! 
70Kg代など、何年ぶりになるのでしょう・・・。
「頑張ります!」と、自分に言い聞かせております(^o^)


病気 | 16:18:45 | Trackback(0) | Comments(0)
健康診査で受けた血液検査の結果が最悪だった
六つの食品グループと調味料
栄養士さんに貰った食品グループ表 バランスが大切とか


3月22日に受けた芸術家国民健康保険の勧める無料の健康診査受診で受けた血液検査の結果が最悪でした。
空腹時血糖値も99以下が正常値のところ138要医療

肝機能検査も、数値もAST(GOT)が30以下が正常値のところ61
ALT(GPT)が30以下が正常値のところ76
γ-GTPが50以下が正常値のところ66要医療でした。

中性脂肪が238で、完全にメタボ・・・。
血圧も145/86で要指導・・・。

良いところは何もありません。

本日、妻に半ば強制的に連れられ、いつもの桂病院に行き、消化器内科(肝機能数値高め)と糖尿病内科(血糖値高め)を受信しました。

まずは、本日、両内科医師の指示で採血し、詳細な検査が始まるわけですが、糖尿病予備軍だったのが、糖尿病初心者ということで、今日は、さっそく栄養士さんに食事の内容を指導してもらって帰ってきました。

肝臓は、一週間後、血液検査結果と腹部超音波で肝臓の異常や変化を診て改善策を考えるそうですが、糖尿は、一か月かかりで食事のコントロールと運動で、うまく数値を下げられるかどうかで、その後の対処方法を考えるということになりました。

これからは、食事のコントロールに気を遣いながら、30分~1時間ほど歩くことになります。

今度ばかりは、食事に気を配りながら、頑張って歩いてみようと思います。


病気 | 16:46:46 | Trackback(0) | Comments(0)
涅槃図、仏画教室の生徒さん 完成間近!
涅槃図-教室生徒さんの制作
1年がかりで描き上げたAさんの涅槃図


私の唯一所属する団体「仏教クラブ」の2月例会は、「涅槃会例会」といって、毎年、2500年前にお生まれになった釈迦の命日を偲び想う例会にしています。
今年の涅槃会例会も、コロナ禍の為に中止になり、昨年の5月の予定だった私の「会員スピーチ」の機会も、5月、9月、2月と、どんどん日延べという状態です。
スピーチというと、今時ですので、プロジェクターを使って、画像など準備をしないといけませんので、慣れないパワーポイントを古いOfficeのCDからインストールし、準備している途中でした。
来月3月の例会も中止のようですから、私のスピーチは、ちょっと何時になるのやら、わからなくなってきました。

そんな中、昨年のコロナ禍の中で、20年に及ぶ善峯寺と正法寺の教室を閉め、新たに始めた私の工房の付属ギャラリー「仏画館」での仏画教室での生徒さんのお話です。

このAさん、元高校の先生だった76歳の男性です。この方が、退職された10年ほど前から私の教室で仏画を始められ、善峯寺の仏画教室に通っておられたのですが、当初の3年間ぐらい、ほとんど上達しないAさんに「この方…大丈夫かいな・・・・。」と、そんな思いで接していたのですが、根っからの努力家だったのでしょう、8年を過ぎるころから、どんどん上達しうまくなって、良い仏画をお描きになることが増えてきました。
最近では、「百鬼夜行」の絵巻物を完成させるやら、1年ほど前から、制作を開始した「涅槃図」がほぼ完成しつつあります。
前回の教室に持参された、その「涅槃図」の完成度の高さに驚いています。
この涅槃図のサイズが大きいので、持ち運びが困難です。
いつもは、ご自宅で制作を続け、ほぼ毎日数時間筆を持っておられとか、5歳も若い71歳の私でさえ、体力も気力も衰えを感じているのですから、その努力と制作熱意は、すさまじいものを感じます。

久々に持参された涅槃図を前にスナップ写真を撮りました。
この涅槃図は、2020年に、東近江市五個荘にある觀峯館で開催していただいた「藤野正観の仕事展」の為に描いた江戸様式の涅槃図の写しですが、なんと、この時、印刷出版した「よみがえる祈りの絵画」に掲載のこの涅槃図から、ご自分で線画(白描画・下図)を起こし、それにこの冊子の画像だけを頼りに彩色されたものですが、見事に同じ内容の縮小版が完成しつつあります。
彼に敬意を表し、私の久々のブログに掲載しておこうと思います。



仏画 | 08:54:54 | Trackback(0) | Comments(0)
メタバースの先駆者セカンドライフ

私の作ったアバターのひとつ、空中を飛べます


デジタル仮想世界の先駆けの1つである「セカンドライフ」の創設者であるフィリップ・ローズデール氏が、巨大ハイテク企業に再び挑むべく戻って来る。
氏は2003年、オンラインゲーム「セカンドライフ」を立ち上げた。
このゲームでは、プレーヤーはアバターを使って、ぶらぶら歩きまわったり、他のプレーヤーと交流したり、買い物をしたりすることができる。
セカンドライフは、巨大ハイテク企業が現在作ろうとしている、概して「メタバース」と呼ばれる仮想世界の先駆けである。

今朝、こんなニュースが、ネットに流れた。

ちなみに、10数年前には、私はこのメタバース、セカンドライフでアバターを何人も作り、この電脳空間でアルバイトをしたり旅をしたり遊んでいた。
仮想空間に土地や島を買うところまでは行かなかったが、素敵な島や建物など、作った人(クリエイター)の頭の中(美意識)に入り込むことが、まるで現実の想い出となって今も頭の片隅に鮮明に残っている。

今でも、たまに自分の作ったアバターの様子を見にセカンドライフに入ることがあるが、そのいくつかの私の作ったアバターは今でも何も変わることなく仮想空間で生き続けている。

仮想空間では、年齢も性別も容姿も関係が無く、あるのはそのアバターを動かす人の精神、魂だけが存在することになる。
私は、このメタバースと言われる、もう一つの世界観、次元が、再び盛り上がるのを密かに期待している。


ご紹介 | 09:41:59 | Trackback(0) | Comments(0)
17歳の頃のように好きな絵、描きたい絵だけを描こう
画室
襖絵制作の準備が整った私だけの画室


9月までに、ある寺の襖絵を完成させないといけないことになっていましたが、どうやら完成できそうにありません。
良い絵を描こうと思うがあまり、私自身が描く気がするまで、筆を持たなかったのですが、とうとう期限に間に合いそうもありません。

このブログ、半年以上も更新していません。前の記事の日付を見るとそのようです。

実は、最後の弟子として受け入れていた二人の優秀な愛弟子が、5年目が2月。それに続いて9年目が4月に、諸事情で突然居なくなっって、今までになく、気落ちしていました。

その打ちひしがれた心境にコロナ禍が追い打ちをかけたのかもしれませんが、71歳を前に、年齢のせいでもあるのですが、何事にも集中できないし、体力・気力が充実しなくなっています。

とにかくやる気がしません。

それでも、受けた仕事は完成させねばなりません。

パネルに貼った和紙に描くのですが、一階のギャラリーが暗くできるので、その和紙の貼ったパネルにパソコンに入れた下図を、プロジェクターで投影し、写し取ります。(作業効率化で初めての試みですが、うまく行っています。)

水で消えるチャコペンで写した雲肌麻紙の貼ったパネルをまた二階の画室に持って上がり、淡墨で骨描 作業をするのですが、弟子が居る時には、弟子たちの机が並べてあって、とても襖14面を広げることはできませんでしたが、今は誰も居ない広々した画室となっています。

その広くなった画室を存分に使えます。襖全体の様子を確認することができます。

机を三脚並べて、乗り台(86Kgの私が乗っても大丈夫な2m幅の丈夫な板)の傍らに置き、机上では細部の描写をします。

ドーサ(膠液とミョウバンの混合液=下処理)を塗るのにも、自宅から駆けつけてくれた妻の手を借りながら効率よく塗るのですが、少しづつですが、なんとか前に進んでいます。

やはり、もう、このような体力を使う大きなサイズの仕事は、老いた私には、アシスタント無しでは、無理なのかもしれません。
もちろん、絵の内容にもよりますが、完成期限を決められた細密な仏画などは、無理です。

情けないですが、寄る年には勝てません。 

今回の襖絵は、今のところ墨でまとめようと思っているのですが、紙と相談しながら決めます。
でも、細密な仏画ではありませんので、描画に関してはあまりプレッシャーは感じていませんが、それでも、体力の劣化が、やる気、気力まで無くすことを思い知らされました。

この仕事が完成したら、これを「職人絵師」としての最後の仕事にしようと思っています。

小さな作品なら時間をかければ、まだ描けますので、ネットで注文を受けた作品は少しづつ描くことにしますが、もう、お寺さんの注文に応えることは無いと思います。

70歳を過ぎたら、17歳の頃のように自由に好きな絵、描きたい絵だけを描こう・・・。この生活が待ち遠しい今日この頃です。


うだうだ | 09:53:36 | Trackback(0) | Comments(0)
ついに日本図案家協会を退会しました
1972年準会員展出品作「飛天」
1972年に発刊された図案ライフより、初めての準会員展出品作「飛天」(この頃から仏画に興味があったのか?)


2021年2月24日に長年所属した、といっても1984年以来、図案家としては名前だけ置いていたことになりますが、「日本図案家協会」という、今では公益社団法人となった「日本図案家協会」に退会届を提出し、3月4日の理事会で承認した旨の書類が、昨日届きました。

絵を描くことが好きだった少年が18歳になり、京都に出て来て、染織図案家・本澤一雄先生の私塾で9年の内弟子生活を過ごし、「日本の美」を勉強し始めてからもう、52年が過ぎ去ったことになります。

仏絵師生活もそうですが、「筆一本」で飯を食ってきたことになります。

弟子入りから、3年間を過ぎた頃、日本図案家協会の準会員という立場で活動することになります。「石の上にも3年」ということで、「やる気」で篩にかけられることになります。
入会後の3年間は、年に2回の準会員展が、図案家の卵の主な新作発表の場となります。

準会員という立場を経て、日本図案家協会の正会員になるのですが、10年程度、師の下で修業した者に限り独立を許され、師以外の二人の正会員の推薦を得て入会が決まります。(※当時のシステムで、今は知りません)

当時から、協会は法人挌でしたが、まさに徒弟制度が、まだ息づいていた時代です。

この大きな団体の傘下に、「玄図」という、師の所属した親しい先生方で作った図案家の小グループがあり、当時は100人ぐらい居たでしょうか、その団体に、師の私塾を独立(卒業)すると自動的に入会し、月一回の例会に出向き、お仲間や先輩方との飲み会やゴルフに高じていた時を懐かしく思い出します。

27歳で、独立させていただき、その後、仏画に出会う34歳までの7年間、図案家として活動を続けたのですが、デザイナーというよりは、絵描き志向だった私は、「仏画」に心を奪われ、仏絵師として活動します。

それから、もう36年になりますから、仏画を描いていた方が私の人生においては長い時間ということになります。

その間、日本図案家協会には、月に一度送られて来る会報だけの繋がりとなり、図案展には一切顔を見せず、同門、同期等懐かしいお仲間とは、徐々に疎遠になりました。
会費だけ納めていたのは、やはり自分の古巣だからでしょうか・・・。離れ難かったのです。

36年間の会費は相当な額になります。

私が、仏画制作に忙しくなって図案から遠ざかった頃には、正会員は、まだ600人ほど所属していたのですが、京都の地場産業である伝統工芸の衰退に伴って、最近では100人を大きく切っているようです。

私にとっては、大きな大きな心のお別れとなりました・・・。



うだうだ | 10:11:50 | Trackback(0) | Comments(0)
鉛筆
鉛筆
画学生時代から使っていたのであろう修業中の弟子の私物。大量の濃度の鉛筆


朝、工房に来ると、弟子の私有物である大量の濃度の鉛筆が目に入りました。
その鉛筆で昔を思い出しました。
染織図案家の卵として、18歳から27歳までの内弟子修行中のことですが、その頃も、下図を制作する時には、木炭や鉛筆を使っていました。
何度も、何度も描き直して、先生にチェックを入れて貰うのですが、その時に使う鉛筆は、数週間で尽きて無くなります。
その頃には鉛筆ホルダー(補助軸)という真鍮でできた便利なものがあり、短くなった鉛筆を固定して最後の最後まど使い切るわけです。木の部分が5mmぐらいになるまで使っっていました。
そのちびりにちびった鉛筆の残骸を大量に貯めていたことを思い出したのです。
修業時代の思い出にと、とっておいたのですが、今ではどこにいったのかわかりません。

そういえば、今の私は、ほとんど鉛筆を使わなくなっています。
その代わりに、PCのペンタブレットで描くことが増え、そのデジタル画像をプリントアウトし、毛筆で清書するのです。
鉛筆画の魅力を忘れてしまいそうですが、やはり、あの頃の右手の小指の側面が真っ黒に汚れた感触は、忘れられません。

https://www.yodobashi.com/product/100000001003801585/ に同じもの(デビカ DEBIKA43303 [真鍮製 補助軸])が販売されていました。
今も現役であるんですね。 20年ほど昔、この便利グッズ、いづれ無くなるだろうと思い、大量に買っておいたホルダーなんですが、写真をよく見ると弟子も使っていました・・・。




うだうだ | 08:53:49 | Trackback(0) | Comments(0)
2月15日は、お釈迦様が入滅した日『涅槃会』
涅槃図
江戸様式の涅槃図(仏画工房 楽詩舎制作)


長い間、このブログを更新していません。
かつては、更新作業をしないと、コマーシャルが、罰のように表示され、それを回避するために、何か書かなくては、と、頭の冴えている朝、一人で工房に来て、書いていたのですが、最近は放っておいても、そのコマーシャルが表示されなくなったので、ほったらかし状態となっていました。

今、前の記事の日付を見ると、昨年の8月5日から何も書かなったことになります。
コロナ禍において、いろいろ思うことはあるのですが、さて、何か書こうとなると、年のせいか、二の足を踏んでしまうのです。
何をするにも面倒くささが、先に立ち、結局、後回し状態が続いています。 億劫なのです。面倒くさいのです。

さて、久々に何か書こうかなと、春を感じさせる陽気の日曜日の朝。 工房の裏の庭で汚れていた車も洗いました。

けっこう、書く気になっています。

と、キーボードを叩き出したら、電話のベル。 

私の唯一所属する「仏教クラブ」の運営委員のメンバーからでした。明後日の運営委員会にはコロナ自粛で欠席と返事をしたのですが、この会、いろいろ課題を抱えており、本来なら出席をして発言しないといけないところでしたが、そのこともあり、ついつい、2時間も長電話になってしまいました。

で、気を取り直して・・・、

明日、2月15日は涅槃会(ねはんえ)といって、涅槃図で有名な、お釈迦様が入滅された日で、その涅槃を祝う日でもあります。
悟りを開いたお釈迦様でも、生きていると、「生きる」というだけで、食欲や、睡眠欲など、生きていくうえでやむを得ない煩惱が残っています。 そんな煩惱からも解放された日ということになります。
ローソクの火を吹き消した時のように、『スーッと煩惱が消える』。

仏教徒なら誰でも目指すべき涅槃の境智。

そういう意味で考えますと、『死』とは、あらゆる煩惱から解き放たれる、ものすごく気持ちの良いスカ~ッとした瞬間なのかもしれませんね。

ちなみに、上の「涅槃図は、昨年の、今の次期(2月8日から3月15日)に、生まれ故郷の東近江市の観峯館で開催された藤野正観の仕事展に出品する為に描いた「江戸様式の涅槃図」の部分写真です。

この図の全容は、「よみがえる祈りの絵画」に、精細に掲載されています。
お買い求めやすい1000円で設定しています。 
仏画工房 楽詩舎出版部の初めての出版です。
自費出版と同じことですが、ちっとも宣伝しないせいか、なかなか在庫が減りません・・・。(^o^)
2冊目の編集が、ほぼできているのですが、在庫が減らないと、保管しておく場所がありません・・・。

買ってやろうという奇特な方は、ぜひとも、amazonでお買い求めください。




仏画 | 15:59:45 | Trackback(0) | Comments(0)
ウンギョ 青い蜜
GOMCAM 20200805_1110340866
映画「ウンギョ 青い蜜」より ウンギョが老詩人の豪邸の庭に入り込んで無防備に眠っているシーン


amazonプライムビデオで、楽しみにしていた米アカデミー賞で、英語以外の映画として初の作品賞を受賞した話題作、韓国映画「パラサイト半地下の家族」を500円レンタルで観ました。
内容は、半地下室で生きる家族を描いているのですが、最後まで楽しく観終わることができれば、私にとっては満点だったのですが、最後が今一つ血生臭くて嫌な後味でした。
この映画、とりあえずは、一応、満足して観終わることができたのですが、今日はこの映画のことを書くわけではありません。

で、この映画を、一人で工房に居る日曜日一日かかって、少し観ては、時間を空けてまた観るといった描画作業の合間に観ることになるのですが、プライムビデオで視聴途中のリストにこの映画のタイトルが出てこない為に、その都度検索していると、どうも、この半地下に住む家族の一人、最後には刺されて死んでしまう妹役の女優さんが出演している映画なのでしょうか、今日、これから書こうと思っている「ウンギョ ・青い蜜」というタイトルの映画もリストに上がっていました。

この映画の紹介文に「文壇から尊敬されている70歳の詩人と彼の天才的な才能に嫉妬した30歳代の弟子の間に、初々しい若さと不思議な色気を持つ17歳の女子高生が現れる~。」とあり、この主人公が70歳ということで、この年齢にあと2か月という私は、この紹介分が気になり、夜、自宅に戻り、いつものように就寝前に、この会員用の無料映画「ウンギョ ・青い蜜」を何日かかけて観ようと観始めました。
観始めますと、老詩人という立場が少し今の私の立場や心境に嵌まっていて、ついつい眠るの忘れて2時間余りを観てしまいました。
夢の中では、この物語の主人公は私でした。そうです、私は単純なのです。
余談ですが、若い頃、映画館でブルースリーの映画を観終わり、「アチョー!!」と叫びカンフーの真似をしながら帰ったのを思い出します(-_-;)

今、このブログを書くためにこの映画を調べていますと、この女優さんは別人なのだそうで、パラサイトはパクソダムさん、ウンギョは、キムゴウンさんだそうです。
https://www.youtube.com/watch?v=VdyOccL7Xeo のコメントにありました。
このリンクのページに、あらすじ動画がありますので、読者は大まかに内容を知ることができます。


身体の成長に心が追い付いていない女子高生 ハン・ウンギョが、一人で住む老いた国民的老詩人といっても70歳の設定なのですが、先に書いたように私とほぼ同じ年ということになります。
その老詩人の役の俳優は35歳だそうですが、やはり、メイクだけで70歳を演じるのには無理があります。
監督はこの特殊メイクに自信があったのでしょうか・・・。

その近所に住む17歳の女子高生ウンギョは、その高名な詩人の豪邸の庭に無断で入り込み、玄関前の揺り椅子で無防備に眠って居ます。
そんなところへ、老詩人と身の回りの世話を買って出ている30歳代の弟子の男性が帰ってきます。
彼女は、すぐさま無断で入りこんだことを謝り、林に面した広大な敷地から出て行きますが、老詩人には、初々しい女子高生の眠っていたあの無防備で若々しい白い肌が目に焼き付きます。

しばらくして、身の回りの世話するその弟子が、原稿を頼まれ創作に集中したいと師に願い出ます。
弟子は、高校近くで、偶然あの彼女を見つけ、家事のアルバイトがしたいと言っていたと、師に告げます。
老詩人は彼女をアルバイトのハウスメイドとして週に何日かを向かい入れます。

こうして、アルバイトの女子高生ウンギョは、老詩人を「おじいさん」と呼び、身の回りの世話を親身になってすることになります。
彼女は次第に、教科書にも作品が載る国民的老詩人の物の見方、感じ方や知識や言動に尊敬と親しみを感じるようになっていきます。
その一方で、老詩人も彼女のくったくのない性格とテキパキと仕事をするふるまいを通して、彼女の若くて瑞々しい細胞に眩しさを覚えます。

身近に居る彼女の存在は、老詩人の肉体の老いを忘れさせ、魂の若返りを感じさせてくれるのです。
いつしか、老詩人は、彼女との性的な妄想を抱くようになります。

肉体は老いても、魂は老いていないのです。そうなのです。
女性の場合はわかりませんが、70歳を前にした絵を描くことを生業とする男性の私には老詩人の美しい妄想やその心境に共感できるのです。

肉体は老化していても、本体の“魂”は老いてはいない。
老化と魂の成長は反比例し、肉体の消滅と共に魂が昇華する。死とはこういうことではないのかと・・・。

公開当初は、日本語のタイトルもどうなのかなぁ・・・と首をかしげるのですが、この映画、R15指定だったそうです。その必要があるかどうかは、観る人の感性次第だと思うのです。
妄想シーンの描写が結構過激だったりするのですが、その過激な妄想を小説に書くことで、その老詩人は気持ちを整えます。
詩人の私小説です。

この老詩人に、あこがれ、心から尊敬している30歳半ばの工学部出身の弟子、師ほど才能が無いのですが、それを哀れんだ老詩人は、弟子のためなのか、自身のお遊びなのか、初めて大衆小説を書きます。
その小説がベストセラーになるのです。でも、師は黙ってそれを「良かった」と受け入れてやるのです。師とはそういうものです。

この弟子、師が日々書き綴り大切に隠していた私小説「ウンギョ」を、師の書斎を整理している時に偶然見つけ、その美しい文体に感動し、勝手に自分の名前でその原稿を応募します。味を覚えた才能のない弟子の甘えです。
「名のある師がこんな破廉恥な内容の私小説を世に出せるはずがない・・・でも、文体があまりに美しい・・・。世に出さなくてはと、この弟子は思ったのです。この時には、彼に私利私欲はなかったのかもしれません。

この短編小説が賞をとり、弟子の最高傑作として話題となり、これもベストセラーになります。
国民的老詩人の渾心の作品です。当たり前です。
自分の名前で掲載されたことが、後にどういうことになるのか分かっていたとは思うのですが、この弟子も、この小説によって文壇に才能を認められるのです。
この辺から映画を観る人は、この弟子の尊敬する師を思い慕うという立場にありながら、人としての大切な温かい感性がないことに気付くのですが・・・。

実は、私の元にも、私の立場(技術や知識、コネクション等)を利用する目的で来る人が何人か居ました。もしかしたら、その類が多かったかもしれません。

自分だけの大切なメモリー、発表する気など、もうとうない短編私小説です。自分の妄想、恥部、心の襞までせきららに書き写しています。

編集者からこの事実を聞き、書店に駆けつけその賞を取った小説を確認します。常に寛大で穏やかだった老詩人は激怒し、弟子を破門します。
この怒りは、老詩人にとっては大切な心の抒情詩。心のあるがままに書き綴った文章を、自分の下で詩を勉強する弟子が、この私小説の内容を“事実”として受け取っていること…なぜ、分からないのか・・・苛立ち。そして、おまけに、師の作品を私利私欲で利用しようとしていること。

そんな弟子を受け入れていた自分に対しても腹立たしいのです。(※映画は老詩人の怒りをここまで描こうとしていたのかどうか分かりませんが、よく似た経験のある私の感じ方で書いています。

この青年の才能以前の人間性に見切りをつけたのだと思います。

それでも、破門したとはいえ、前途ある弟子の為に公の場に出ることを嫌う老詩人は、なぜか弟子だった青年の授賞式に出席します。
その場で急遽挨拶を求められ、このことを公の場で言いたかったのか、こんな挨拶をします。

「私は老いました。“老いるということは今まで着たことのない鉛の服を着ることだ”と、ある詩人は言いました。“君たちの若さ”は、“君たちの努力で得た賞”ではない。“私の老い”も“私の過ちに対する罪ではない”
この小説「ウンギョ」は、乾いた大地に降る恵みの雨のような小説でした。これほど美しく真摯で満ち足りた小説は(今後)書けないでしょう。」
っと、まるで、自分が書いたかの内容でしたが、会場の聴衆は、弟子の作品に対する師の“評”と捉えたのでしょう。

それほど、アルバイト女子学生との二人だけの他愛もないひと時は、老詩人にとって美しい時間だったのかもしれません。

人間には いろいろな種類があります。根本的な価値観とか、感性の違う人があります。
ちょっとした何かで勘違いや錯覚はあっても同じ人間どうしです。
でも、どこまでもどこまでも、お互いに理解し合えない遠い遠い存在でしかない人も居ます。

不思議なことですが、この老詩人は、女子学生の感性に無条件で心惹かれ、女子学生も老詩人の感性にただただ惹かれたのです。

そういう意味で、老詩人と女子学生は、年齢の離れた異性という関係ではなく“魂”のランクで触れ合ったと言えるのかもしれません。

こういった状況は、世にたまにあるようですが、私たちのコミニュティでは、こういった事態をなかなか受け入れることはできません。

ほとんどの人が、この才能無しの青年の感性なのだろうと思います。

近い将来、本体(魂)が機械の中に入り、自由にその命をコントロールできるようになると、老いも若いも関係なくなるのかもしれませんが、このお話、最後には何やら悲惨なことになります。

女子高生ウンギョが、才能の無い弟子が書いたとするベストセラー小説を読み、そのタイトルが自分の名前「ウンギョ」であることから、その青年の心の中の自分が美しく描かれていることに、若く純真なウンギョの心が動きます。

老詩人の誕生日の夜、ウンギョは、老詩人を訪ね、お祝いの品と花を持参します。庭で二人で食事をしていると、高級車で乗り付けたかつての弟子が、師であった老詩人の誕生日を祝う為に訪ねてきます。
破門されているわけですから、追い返せばよいのですが、師は、「まぁ、ここに座って一緒に食事をしよう」と、今やベストセラー作家の仲間入りをした青年とウンギョと3人で誕生日を祝います。

夜も遅くなって、飲みつかれた老詩人は、部屋の戻り床に着きます。
映画は、床に着いた老詩人の眠るベッドから帰宅をしようと、うす暗い玄関に向かうウンギョにカメラを振ります。
でも、帰ろうと思った彼女は、出るのを思いとどまり、青年の居る二階の奥の部屋に引き返します。

青年は、師の書いた妄想小説から、ウンギョの性的な魅力を感じています。ウンギョはといいますと、その妄想の物語は青年の心の中にあり、自分を美しく見てくれているという確信があります。

若者にありがちな、お互いが“寂しい”という若い二人は、膨大な書籍が積まれた、老詩人の書斎で、体を求め合います。
映画は、そこまでやるか!?というほどR15指定の原因となった過激なシーンを描写するのですが、純真なはずのウンギョの乱れぶりが気になり、この演出にはちょっと残念な気がします。
韓国の今どきの女子高生は、だいたいこんなものなのかぁ・・・とか、韓国映画のヒットする原因を感じます。

こんな、過激なシーンに、ただならぬ気配を感じたのか老詩人は眠りから覚め、わざわざ真夜中の庭に出て、梯子ををかけて二階の窓からその過激なシーンを覗き見ます。

自分が主人公のはずの、大切にしていた美しい妄想が、この生々しい現実の前でガラガラと崩れていきます・・・。

老詩人は、ウンギョが、こそこそと夜の庭を抜けて帰っていくのを見届けると、彼の乗ってきた高級車をパンクさせ、使えないようにし、彼が師の車のキーの在りかを知っているので乗って帰るであろう自分の愛車に細工をして、事故が起こるようにします。この時には、もう、老詩人は、ただの鬼畜です。

運転中に車の異常を感じた青年は修理工場に立ち寄り、この車の異常は意図的な細工によるものだと指摘され気づきます。

師が、意図的に自分を殺そうと思っていると知った青年は、興奮して運転をあやまり、崖から落ち、死にます。このシーンも血だらけで死ぬ青年を映し出します。パラサイトもそうでしたが韓国映画の常なのでしょうか…私は数を観ていないのでわかりませんが・・・。

てっきり、自分が殺したと思い込んだ老詩人は、ウンギョに電話をし、「私が殺した・・・。」と告げます。ウンギョの大切な人を殺してしまったという懺悔だったのでしょうか・・・。

時が、少し過ぎたのでしょうか、映画は、学校生活を送るウンギョが、何を思って気づいたのか、図書館に出向き、ほんとうは、老詩人が書いたあの「ウンギョ」を読み直しています。そして、「ウンギョ」は、老詩人の作品だったと確信します。

彼女は、カスミソウの花束を持って、老詩人の家を訪ねます。暗い家の中は、食べた後と思われる蓋の開いたままの缶詰等が散らかったままの食卓、その下にはたくさんの空の酒ビンが転がっています。

暗い部屋の奥の壁際には、薄い布団にくるまった老詩人が死んだように横たわっています。いや、私は死んでいるのかと思ったのですが、壁の方を向き、人の気配を感じていたのです。彼女が老詩人の横たわる傍らに座り、そして、いつかの雨の日のように添い寝し、酒臭い老詩人の背中に静かに話しかけます。

私が、雨の日、ずぶ濡れになって、お母さんにぶたれ、家を出てきた時、おじいさんのところに来た時を覚えてる? あの時の空気、湿気、温もり、言葉で説明しても感じることはできない・・・。
おじいさんが(弟子に)話したとしても、他の人が(あの小説を)代わりに書くことはできない・・・。(ましてや)工学部生に・・・。
人の心の温かみが分からない彼に書けるはずがない・・・あれは、おじいさんのものよね。「ウンギョ」はおじいさんが書いたのよね。」と、泣きながら語り掛けます。

「ありがとう・・・可愛く書いてくれて・・・私ね、(私が)あんなに可愛い子だと思わなかった。全然知らなかったの・・・何もわかっていなかった。何も知らずにただ、うれしく思ってた・・・。バカみたい・・・。 」
「 ・・・さようなら・・・。」と、言ってゆっくり身を起こし、持ってきたカスミソウの束を老詩人の傍らにそっと置いて涙を浮かべながら静かに出ていきます。

彼女が去った後、ずっと脊を向けて話を聞いていた老詩人の閉じた目から一筋の涙がこぼれます。

「元気でな・・・ウンギョ。」と、小さく口元が動きます。




映画 | 11:15:06 | Trackback(0) | Comments(0)
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