投稿日:2007-12-03 Mon
2007年11月17日より12月2日まで開催された展覧会の最終日の様子です。
仏画を描く私にとって、年に一度、皆様に作品を見ていただく機会なのです。
今回は、新しい作品として、六道絵(二福対)より 地獄道 を除いた 五道絵 を展示させていただいたのですが、ビデオをご覧頂けるとお分かりいただけるのですが、ご覧になる方の大部分が、一番興味を示されていました。
また、次はこの五道絵にまとを絞って説明したいと思います。
投稿日:2006-11-03 Fri
今日から展覧会が始まる。っと言っても実際には18日から2週間ほど連日開催となるのだが、今日からの連休と11日、12日の土日曜日にも会場を開けることになった。昨年までは、だいたい今頃から約一ヶ月間、連日開場してきた。
今年はなぜ、二週間なのかというと、実はこの展覧会、日頃懇意にお付き合いをさせて頂いている善峯寺のご好意で、会場を無料でお借りしている。当初、善峯寺に、少しでもお参りの人が増えるようにと、お寺自体も歓迎してくれた。歓迎は今も変わらないと私は信じるのだが、他の作家さんたちは、皆、そうは感じなくなった・・・。
それというのも、昨年、その会場のすぐ下の本坊で、片岡鶴太郎氏の描いた「游鯉龍門圖」が500円の入場料をとって公開されていた。
つまり、10年前から続けてきた「善峯寺に集う作家たち展」と寺側が積極的に開催する「片岡鶴太郎特別展」とが並行して開催されたのだ。
派手なオープニングセレモニーと各社TV・新聞・雑誌の過激な報道により話題になった。
「由緒正しい1200年の歴史を誇る善峯寺になんでまた下品な生々しい鯉なのか・・・?」など。たくさんの批判もあったが、それとはうらはらに、「そうだ京都行こう」のTVコマーシャルの影響もあって、その相乗効果で、その特別展に入る客は後を絶たなかった。寺も大喜びで、今年も開催する。
その会場のすぐ上で開催中の「善峯寺に集う作家たち展」の格調高い作品の展示会場は、それを必要としない客でごった返し、その展示内容は、、「そうだ京都行こう」のTVCMを観てやってきた人たちや鶴太郎ファンの期待を裏切った。
「善峯寺に集う作家たち展」に出品する作家たちはその世界では、一流とされる作家さんたち。何十年もその道で飯を食い、プライドもある。
善峯寺に参拝客が増えることを願い協力してきたつもりでいた。
会期中、そのいいようのない、腹立たしさと寂しさが、その作家たちはおろか、実際に会場係として常駐していた作家の妻たちに微妙に影響した。
つまり善峯寺の参拝客増加の為と作品発表の場を提供して頂くという相互にバランスがとれた「おたがいさま」の空気があって、作家たちはそれなりに寺に貢献しているという自負があった。
それが、思い上がりだったことに気づかされたのが「片岡鶴太郎特別展」の有料での大盛況だった。
工芸作家という存在は、何なのか・・・。生活の中で暮らしに役立つ為の作品を作る人・・・。
日展作家や伝統工芸師として活躍するも、有名芸能人の片手間の作品にあっさり負けてしまうご時世なのだから、仕方がないといえば仕方がない。堂々と自分の作家人生をまっとうすればいいのに、作品で十分な収入を得ることが出来ない現状を思うとき、ずいぶんと不条理を感じた・・・。
で、本日からの「善峯寺に集う作家たち展」は、他で展覧会をするといった理由で、二作家の不参加をもって開会日を迎えた。
仏画を生業とする私自身は、さほど、そのことには心動かすことはないが、やはり、工芸作家さんの繊細な神経とプライドを大切にする生き方に、きちんと共鳴することができる自分もいることは確かなのだが・・・。
投稿日:2006-11-02 Thu
先月16日に、西山浄土宗総本山光明寺で、私の納めた観経変相図の開眼法要が営まれた。各新聞社が取り上げてくれたが、これは、私自身が各新聞社に、取材をお願いしたものだ。私自信が1年半以上も費やして描きあげた当麻曼荼羅(俗称)なので、それなりに思いもあり感慨深いものがある。しかし今回の取材をお願いした真の理由は、私自身のことを報道して頂くという事よりも、実は、他に大きなな理由があった。
結局、この話題は、各社共京都の地域版という極、限られた地域のみの報道となった。しかも、筆者の私自身のことを主体として書かれている。
もちろん、そのカラー写真の掲載された記事については感謝してしているのだが、いかんせん、記事そのもののスペースが少なく、その新しく描かれた伝統的な仏画という絵画を目にした記者自信の感想がなかった。事実を淡々と報道するのがお役目なのだろうが、記者の目を通した報道・・・がなかった。
仏画が制作されるのはそれなりの理由があり、そのこと自体がこの腐敗しきった現世に必要だから制作されたのだ。
私が伝えて欲しかった真の理由はこのことに尽きる。
観経変相図(当麻曼荼羅)は、一言で言えば、今に生きる人々に、死後、阿弥陀浄土に往生できる術を解りやすく説く為の図なのである。
◇まず最初に、画面向かって左側の区画を下から上に向かって、王舎城の悲劇と言われる序文の内容を見る。つまり、王子の阿闍世(アジャセ)が、釈尊を妬む提婆達多(ダイバダッタ)に唆され、父で王の頻婆娑羅王(ビンバサラオウ)を幽閉して餓死させようと図った。それを阻止しようとした母の韋提希夫人(イダイケブニン)までをも幽閉した。それを嘆いた韋提希が霊鷲山(リョウジュセン)の釈尊に安楽な世界についての説法を求めるというこの王族の悲劇と釈尊によって救われる物語が描かれている。
◇第二は、画面向かって右側の区画を上から下に向かって、釈迦が韋提希に対して説いた阿弥陀浄土に生まれるためのイメージトレーニングとしての十六観想の図が描かれる。1.日想観 2.水想観 3.宝地観 4.宝樹観 5.宝池観 6.宝楼観 7.華座観 8.像相観 9.真身観 10.観音観 11.勢至観 12.普観 13.雑想観 14.上輩観 15.中輩観 16.下輩観である。
◇第三は、画面下方の全部で10ヶ所に区切られた区画を見る。中央の文章の痕跡が記された区画は、本図の根本曼荼羅が蓮糸で織られたという縁起を記した由緒書きの跡である。その左右に、向かって左から右へと、生前の行いによって生まれる場所の違いを顕す九品往生の様子が描かれる。左から、下品下生、下品中生、下品上生、中品下生、中品中生、中品上生、上品下生、上品中生、上品上生の9つの図である。
◇最後に中央の阿弥陀浄土図。前面に蓮池が描かれ、その池中の蓮花中からは、往生者が生まれている様子が見え、その池の畔では、阿弥陀と往生者の父子相迎の様が描かれている。また中央には阿弥陀、観音、勢至の三尊を中心とした聖衆が描かれ、その後方には左右対称に宝閣が描かれる。また、空中には散華や各種の楽器と共に飛天が舞い、西方極楽浄土の様子が描写されている。
当麻曼陀羅は浄土宗西山派の派祖・証空上人が当麻寺の当麻曼陀羅が「観無量寿経」の教えをもとに描かれていることを感得、これを全国に普及させたのであって、私の描かせていただいた曼陀羅もこの時を越えた一連の布教手段のひとつに他ならない。
このことを伝えて欲しかったのである。
「ある芸術家が、自分の感性を絵にし、お寺に納めた」というどうでもいいことを報道するのではなく、あくまでも、布教の道具として仏画という絵画が存在し、しかもその絵画は、2500年前に、釈迦が王舎城のあった霊鷲山(現在のインド・ラージギル)で説いた、観無量寿経に基づいて描かれているという、壮大な想いの繋がり・・時の連続性を皆さんに気づいて欲しかったからである。
日本文化の原点、仏教、そのなかでも一般的に理解しやすい浄土思想の復活こそが、今の荒れたご時世を救ってくれるのではないか・・・、そんなことを、私は常に考えている。
そのことを報道して欲しかったのだ。
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