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藤野正観の ちょっと書いてみます

  • 2015-7月8月号用-2014曼荼羅制作中 


藤野正観のちょっと書いてみます(2015-7月8月号用原稿)

筆者略歴
 一九八四年 染織図案家として活動していたが、観音図を依頼され『仏画』に開眼する。
その後、「仏画工房・楽詩舎」を設立主宰。仏画制作に専念する。

【作品の主な所蔵先】 
●東京 駒沢学園に、一枚和紙では世界最大の十八畳大の平成大涅槃図制作。●京都 善峯寺に桂昌院ご肖像画・釈迦金棺出現図等制作。●東京 浅草寺に釈迦降誕図等制作。●滋賀 延暦寺に「宗祖伝教大師ご肖像画」等制作。●京都 総本山光明寺に、観経変相図制作。●東京 大本山高尾山薬王院 に「釈迦涅槃図」を制作。●西国三十三所札所会に、三十三ヶ寺全御本尊御影制作。●東京 放生寺に東寺蔵伝真言院曼荼羅復元図制作。



   私のこと・・・
 私は、仏画を描くことを生業にしており、六十四歳の今までに、しっかり数えたわけではありませんが、過去の受注覚えなどから推測しますと大小合わせて五千点以上の仏画を制作しています。我ながら驚きます。
 大きなサイズの仏画では十八畳もある一枚和紙に描いた仏涅槃図。それを筆頭に両界曼荼羅、当麻曼陀羅、壁画やら。小さなサイズでは、礼拝対象の仏や菩薩、それに祖師図や縁起絵巻等、たくさんの仏教絵画を無我夢中で描いてきました。
 小学一年生の頃から絵を描くことが何よりも好きだった私は、絵を描く仕事がしたいと、十八歳から九年間、京都の染織図案家の内弟子になり、日本の形と色を身体に浸み込ませ、独立させて頂きました。それ以来、絵筆一本で食い繋いでいます。

 仏画に出合ったのは、三十二歳の頃、亡き父が、西国三十三所観音霊場を巡礼したいということで、その父の為に手作り集印軸に楊柳観音図を描いたのが、最初です。
 もともと、青年期にはイタリアルネッサンス期の宗教画、特に聖母子が描かれた絵が好きで見よう見まねで描いていたのですが、図案家として独立して着物や帯の図案ばかり描いていた私は、久々に描いた絵画「悲母観音図」が「聖母子」の絵と同じ「慈悲」のテーマで制作されていることに気付いたのです。
私が「美」を感じるには、その造形美だけではなく、慈悲の心、その表現が必要だったのです。
 三十四歳で自分が何を描きたいのか、はっきり気づいた私は、伝統工芸の息づく京の町なら何か仏画を描くような仕事が見つかると思い、とりあえず「仏画制作」を始めます。
 結局、京都といえども、本格的な伝統仏画を制作するような工房はなく、それらしい人物や処が見つかってもそれ等はすべて自分と同じように手探りで描いておられるのが実態でした。
 なら、十六年の間、日本の伝統的な形や色を勉強して来た自分こそが仏画の制作に適しているのではないかと考えました。遠回りのようでしたが、結果、それまでの経験を一二〇%生かせることができたのです。ということで、現在まで、のべ、三〇人近い弟子たちに、その技と精神を伝えながら仏画の制作を続けています。

 そんな私は、例に漏れず人と接するのが億劫で苦手で、唯一、お付き合いをさせて頂いているのが、主に京都のお坊様や在家の仏教徒で構成される「仏教クラブ」で、良き会員の皆様と月に一度、食事を頂いております。そのお仲間にこの寺の友社の社長、正垣氏も居られ、懇意にして頂いております。
そんな流れから、しばらくは、この冊子の貴重な一ページに、私が何か思いついたことを書かせて頂けることになったわけですが、名も知れぬ仏絵師のたわごとです。
「ぜひ、お楽しみに」とはおこがましくて、とても言えませんが、次号から、思いつくまま何かちょっと書かせていただこうと思っています。



寺の友社-藤野正観のちょっと書いてみます 原稿 | 00:00:00 | Trackback(0) | Comments(0)

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