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阿弥陀二十五菩薩来迎図(MBSTV・ロボロボで使われる)
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藤野正観筆 阿弥陀二十五菩薩来迎図 京都・正法寺所蔵(画面キャプチャー)


先日、Facebookにも投稿しましたが、『MBS毎日放送テレビで毎日、深夜24:53~24:57の4分間放送される『ロボロボ』という阪大の石黒教授と共に制作している「これからのロボットの人生をデザインする」という番組のディレクターから電話があり、27日の深夜に放送する「龍岸寺とドローン仏」で、三浦仏師がドローン仏を語るシーンで、来迎を説明する為に私の描いた「二十五菩薩来迎図」のジグソーパズルの箱の画像を10秒ほど使っても良いかと許可を求めて来たので、「どうぞ」と言っておきました。ドローン仏って、何?』

と、いうわけで、昨晩、放送があったようです。10時頃には床に入る私は、リアルタイムでは観ることができませんので、録画をしておいたのですが、今朝、工房に来てPCに火を点ける(スイッチON) と、その担当ディレクターよりギガファイル便にて、放送した番組の動画ファイルが届いていました。
このディレィター、さすがにMBSの制作局チーフプロデューサーさん、大人です。良いことをした気分にさせてくれます。
今まで、何度か民放のテレビ局に画像提供の協力させてもらいましたが、皆、下請けの制作会社の若いディレクターで、ほとんど撮りっぱなし状態がほとんどでした。
放送後、すぐにお礼の放映報告と、動画を送っていただいたのは、初めてです。

すぐに観ると、龍岸寺の池口住職と三浦仏師が出演し、ドローン仏を通して人の心とは何かを問う、たった4分の番組ですが、何が言いたいのか明確に伝わってくる番組でした。
この番組中の三浦仏師がドローン仏を作るのが本気かどうか分からないのですが、トイドローンに軽い発泡スチロールや樹脂を使って3Dプリンターで作った阿弥陀さんを貼り付け龍岸寺の本堂で飛ばしているシーンが映し出され、「何で阿弥陀さんをドローンで飛ばすの?」という私の疑問は、一応解決しました。

ジグソーパズルの箱に印刷された「阿弥陀二十五菩薩来迎図」を説明に使かわれたのですが、テレビの大画面で映し出されても遜色ありませんでした。しっかり、藤野正観筆 阿弥陀二十五菩薩来迎図 京都・正法寺所蔵 とテロップも入れていただき、ありがたいことでした。
で、この番組の最後に、この番組のコンセプト、「人間とは何か?人の心って何か?ロボットに心は宿るのか?」
番組のホスト役のおもちゃのような可愛いロボット三体が、池口住職に尋ねます。
「ロボットに心は宿りますかね?」池口住職はこう応えます。「将来、そうなれば面白いなぁと思うところもありますけども、人は日々苦しみを感じながら生きているので、やっぱり苦しみを分かち合える人間同士だから分かり合える部分があり、なかなかロボットには「心」は、持ち得ないのかなぁ、というふうに僕は思っています。」
「やがて、このドローン仏にも、かつての仏像がそうであったように仏の魂が宿るのでは・・・。」と締めくくっていました。

27年後には、完全に人の能力をはるかに超えると言われるAI。心のないロボットなんてあり得ません。
心を持たないロボットは、ただの機械です。私は、心があってはじめてロボットなんだろうと思います。
心とは、我々人間にとってのパソコンでいうオペレーションシステムです。このOSが優秀であるかどうかで、ロボットの存在意味や価値が決まると思います。
今、科学者は、このOSを、如何に構築して行くかを考えて欲しい。
人とロボットの共存がスムーズに平和に行くには、どういったOS(心)が必要かです。

石黒教授さんたちロボットを作ろうと研究している学者さんにお願いします。
どうか、愛され信頼される人とはどういう人か・・・をお手本にし、時には人のように怒ってもよいのです。根っこになる、穏やかで心の優しいプラットフォームまたはOSをロボットの世界基準にする命がけの運動を起こして欲しいと思っています。

※ちなみに、池口住職は、私のFacebookの友人の一人でした!

TV出演 | 11:08:28 | Trackback(0) | Comments(0)
「新・美の巨人たち」にちょっとだけ出演しましたが・・・
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テロップの文字が間違って表示された「新・美の巨人たち」


テレビ東京系列で放送中の「新・美の巨人たち」 仁和寺 観音堂壁画 に出演し、17日に放送がありました。その後、BS等でも何度か放送されたようで、今のところ知人2名より「観たよ!」という連絡がありました。

7月10日、東京から番組制作会社のディレクターとカメラ、音声の3名が来訪し3時間ほど、涅槃図を制作中の工房で撮りました。今日、そのディレクターからお礼の手紙と番組を収録したDVDが送られてきました。

ディレクターの番組制作に対する想いは観音堂の壁画を描いた木村徳応という今まで、誰も研究したことのない名もなき絵仏師にスポットを当てたいのだと言われます。
「名もなき絵師」というフレーズは、私が、私自身の事を説明する時によく使いましたから、お聞きした瞬間に木村徳応という絵師に親しみが湧き、私に何を求めているのか良く分からないまま出演を引き受けました。

ディレクターは、私に観音図のお顔を再現描画させ、その掛かった時間を観音堂に描かれた仏たちの数をかけると、観音堂の壁画を完成させた時間が、おおよそ分かるのでは・・・と考えたようで、私に観音図の胸から上を描くところを撮りたいので、完成図を撮影日までに用意しておいてくれと宿題を与えました。
また、岩の描き方でどうも描き忘れのような部分があるので、それも完成していればこうなるということで、撮影当日に描いて欲しいということでした。

また、今回の大きなテーマとして、壁画は徳応一人が描いたのではなく、何人かが描いたのでは?ということでしたが、職人絵師の私からすれば、当然、弟子たちと数人で描いたに違いないと思っているわけですから、今更何を疑ってるのか?という程度のことでしたし、壁画の描き方にしても、観音堂が完成してから足場を組み立てて描いたと、同番組に出演されていた、仁和寺の学芸員さんも慶応大の林温先生も、そして、文化財の修復を手掛ける(有)川面美術研究所の所長さんもそう言ってるということでした。

ところが、私はと言いますと、壁画の現状を見るにおいて、板を嵌める前に描かれたことに疑いを持ちませんでした。
私の推測は、現場近くに設けた仮設の画室に、壁となる板を計算(設計図)通り順番にきちんと並べ、全体に白土を塗って数人の絵師が描画したと思われます。
それは、それぞれの壁板による絵の ずれ でわかります。彩色の完成後に板を嵌めた時すでに微妙に合わなかったのだと思われます、それを裏付けるのは、その後の雨の吹き込みによる内側への雨の滲の垂れ跡。その垂れ跡は板を嵌めた後の垂れ跡ですから、当然、ズレがありません。
それと、堂内が暗かったので私もはっきりと確認できたわけではありませんが、盛り上げ胡粉は垂直の板での作業は無理だと思います。盛り上げ胡粉が乾くまで時間がかかりますし垂直の面では、流れ落ちてくるはずですから。
それらの物理的な状況でも分かるはずですが、何といっても、上部は足場で描けなくもないのですが、床近くの最下部に細密な図が描いてあるのですが、それが描き手として無理なのです。床が邪魔をして描けないのです。このことからも壁画は、板が嵌められる前に描かれていたと判断するわけです。

で、撮影日には、こんな内容のことを熱をもってお話ししていたのですが、結局、今、DVDを観ると、私の出番の内容と言いますと、当初の意図とは違い、観光案内的な内容になっており、内容の流れからして、専門的であまり必要ではない部分、手を抜いたのか、描き忘れかわかりませんが、その線だけで描かれた「垂直にそびえたつ岩山の表現」を実演した部分と、徳応さん一人が描いたのではないかもしれない。というコメント部分を採用していました。
ディレクターの当初の目的、多少専門的だったのか、彼の言う一番興味深い部分、主題が無くなっていました・・・。
たぶん、若いディレクターの想いは、作家やプロデューサーに無視されたのでしょう。

私のセリフで、『京都中から(絵師を)集めたとすると、それぞれの班を作ってその対象に責任を持たせたと思う。人物を描く人は人物、雲は雲担当が、木は木担当。みたいなことがあったのかもしれませんね。』
残念ながらテロップが間違っていました。「対象」は、「大将」という意味で言ったのです。大将、すなわちそのグループのリーダー責任者の事です。こんなところで、関西弁が災いとなりました。(笑)


TV出演 | 14:52:33 | Trackback(0) | Comments(0)