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樹木希林と太子樹下禅那之図
村上華岳「太子樹下禅那図」1938年 何必館・京都現代美術館蔵
村上華岳「太子樹下禅那図」1938年 何必館・京都現代美術館蔵


昨日の日曜日、相変わらず一人で工房に来て、いろいろ雑用をやっていると、新型コロナで活動停止中の仏教クラブの友人からLINE。

「お早うございます。4月1日の京都新聞の村上華岳の「樹下禅那」と樹木希林の記事を読まれましたか?貴殿の絵との共通点が有ります。もし、まだなら直ぐにLineで送ります。」

とのこと、村上華岳の「樹下禅那」の図は私の好きな絵の一つで、私のiphoneの壁紙にもなったことがあります(今は、堂本印象の維摩)
樹木希林と村上華岳の「樹下禅那」、何の関係があるのかと、その記事を見逃した私は、「よろしくお願いします!」
すると、京都新聞に掲載されたその記事が、画像と共に書き起こしたテキストで2回に分けて送られてきました。

華岳の「太子樹下禅那」に魅了され、その一枚の絵の為に「何必館」という美術館を東山区に建てた梶川芳友氏と2018年に亡くなった女優、樹木希林との40年に渡る交流から、希林さんの人生観を思い書いたものでした。

ネットで「太子樹下禅那」を、検索しますと産経新聞やら朝日新聞に、ほぼ同じ内容で掲載されたことが分かります。
如何に、女優樹木希林の生き方や逝き方が清々しかったかを物語っています。

樹木希林さんは、梶川氏の人生を変えた村上華岳の遺作「太子樹下禅那」にも心を奪われ、京都を訪れるたびに「何必館」に立ち寄り、梶川氏と、お互いの人生観や仏陀の生き方、死について等、仏教的な会話を楽しまれたそうです。

1999年、出演者の心の旅を描くテレビ番組の企画で、希林さんは釈迦成道の地、インドのブッダ・ガヤを選び、訪れたそうです。
希林さんは絵に描かれた釈迦成道の地、あの絵の菩提樹の場所、ブッダガヤを選び、その絵に描かれた主題を感じようとしたのでしょうか、彼女が菩提樹の葉を拾うシーンがあったそうです。

(※絵は、装身具を身に着けた若き日の釈迦が瞑想修行する姿が描かれていて、いわゆる成道図ではありません。絵には菩提樹の葉が描かれていますが、若き釈迦の瞑想した場所は、ブッダ・ガヤの菩提樹下ではなく尼連禅河(ネーランジャーナ河)の対岸の沙羅林とされています。華岳は混同していたのかもしれませんが・・・。)

「師弟」の関係はいつしか「友」であり、「同志」に変わっていたと梶川氏は感じていたそうです 。

2018年9月、訃報の知らせを聞き、希林さんの自宅に梶川氏が駆けつけると、枕元には3年ほど前に彼女に頼まれて贈った「太子樹下禅那」の複製画が掛かっていたそうです。

22歳の梶川氏は、最初に「太子樹下禅那」に出会った時、「これが傍にあれば安心して死ねる」と思ったといいます。
希林さんは癌で死を宣告され逝くまでの間、全ての所有物を放して絶ち、人が指し出す名刺すら受け取らなかったそうですから、彼女の信念に驚かされます。
ただ一つの所有物、枕元の華岳筆の「太子樹下禅那」図の複製、希林さんも「この絵が傍らにあれば安心して死ねる」と思っっていたのでしょうか。

この記事を送っていただいた友人が、先日の私の展覧会に来ていただいた時も、LINEでその時の感想を送って来られたのですが、その時は、数ある大作をさしおいて、一番小さな絵、色紙大の絵、冊子の表紙になった勢至菩薩の絵に感動したと言ってこられたのです。
あの勢至菩薩は、日頃の仕事として描いたのではなく、描きたくて描いた唯一の絵だったのです。よく描こうとか、早く描こうとか何の邪念もなく、素直な心で描いたのです。
その友人に、むしろ、「藤野正観の仕事展」なのに仕事として描いた絵ではないと、見事に見透かされたのです。

仕事を離れ、「絵描き」として描きたい絵を描く。これが70歳を前に掲げた私の絵描き人生の最終目標です。
職人絵師を卒業し、「この絵が傍らにあれば安心して死ねる」と言わさしめる絵が描けるかどうか、この記事を読んで絵描きとして、残ったエネルギーをこれに使おうと、改めて思ったのです。




新聞記事より | 16:54:52 | Trackback(0) | Comments(0)
10年ぶりに再会「伝教大師御影」一隅を照らす
伝教大師図2019-11


昨日届いた「中外日報」に懐かしいお軸の写真が載っていました。
私が10年ほど前に、総本山比叡山延暦寺の延暦寺会館の為に描かせていただいた「伝教大師御影」が掲げられたカラー写真です。

記事を読むと、「一隅を照らす運動」が50年を迎え、50周年記念式典が催されたようです。

 社会の一隅を照らす優れた人材育成を目的とした天台宗の「一隅を照らす運動」が50周年を迎え、記念式典が5日、大津市の総本山比叡山延暦寺の延暦寺会館で開かれたとあります。
同運動会長の大樹孝啓探題(圓教寺住職)は50周年記念行事が4日までに無事満願したことを祝い、「今後も若い力に期待したい」と述べられ、さらなる運動の発展を誓われたそうです。

既存の正面向きの図様がないので、その面相に苦労したのを覚えています。

来賓として挨拶されたサントリーホールディングスの鳥井信吾代表取締役副会長は「企業において重要な場所である『現場』は、一隅といえる。一隅に光を当てられなければ企業も国家も衰退する」とし、「伝教大師の教えは今も必要な精神」と強調されたそうです。

一隅を照らす・・・そんなお役目を仏画を通して果たすことが少しでもできれば、この仕事を生業にしている私としましては、誠に本望なのですが、今までお描きした約5000点の仏画は、たぶん、仏の後光が周囲を照らすように、慈悲の光で一隅も照らしてくれていることと思います。

「一隅を照らす」 は、 伝教大師最澄が残した有名な言葉です。
「国の宝とは何物ぞ、宝とは道心なり。道心ある人を名づけて国宝と為す。故に古人言わく、径寸十枚(財宝)、是れ国宝にあらず、一隅を照らす、此れ則ち国宝なりと」


新聞記事より | 12:57:24 | Trackback(0) | Comments(0)