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時間に余裕ができたのですが・・・。
白描画の倉庫表紙 
ほぼ、3年間更新できていない『白描画の倉庫』の表紙


今朝、このページを開くと、一か月間、記事を書かなかったので、CMが表示されていました。
ですので、ちょっと何か書いてみます・・・。

先日のいくつかの大きな台風が、全国各地に被害の爪痕を残した頃、昨年の1月に仏画制作のご依頼を受け、他の仕事の合間に進めてきた下図が完成しました。
お施主に確認をしていただこうと、その下図の縮小した図をメール添付し、これからの彩色作業の日程等をお知らせしました。すると、そのメールを読んだ、お施主より折り返し電話がかかってきました。
「先日の台風で、本山の被害が大きく、多額の寄進を課せられたので、お願いしていた仏画の制作は、しばらく保留にして欲しい。また予算繰りがついたら、お願いする。」ということで、思わぬところで、当工房にも台風の被害が及んできました。

9月から11月までの期間をその図の制作に充てようといろいろ調整して、まとまった時間を作ってきたのに、年内の残りの時間に大きな空白ができてしまったことになります・・・。たいへんです。

・・・でも、私の正直な気持ちは、実は、その期間内での完成は少々無理があって、その期間中には、他の一切の仕事ができないということと、手足となってくれる、現在は二人居る弟子のうち、一人は美大出身とはいえ、まだ2年目です。
体力に自信がもてなくなった私自身が、夜も遅くまで筆を動かさねば完成できないので、それなりに覚悟をしていました。そうです、けっこうなプレッシャーを感じていました。
むりやり作った3ヶ月という貴重な時間でしたが、それが台風のおかげで、自由な時間となった今、たいそう気持ちが楽になったのです。

と、少し気が緩んだのですが、でも、頭の片隅から離れない仕事が他にもあったのです。よくよく考えたら、他にお待ちいただいている方が、何人かお出でになることを思い出しました。
メモを見てみると、古くは、5年前に口頭だけで聞いていた注文も何件かあるのです。
これ等の、愛想か本気か見分けのつかない口頭だけでお聞きしていた仕事を具体的な仕事にするのには、少しばかりエネルギーが必要です。
お施主に、今もその気持ちがあるのかどうかお聞きするだけなのですが、あまりに長くお待たせしていると、怒ってるだろうなぁと、気を回し過ぎ、気が引けてしまうのです。
それに、長らく気になっていたのが、私が一人で運営管理するネットショップの「白描画の倉庫」。
本業の忙しさから、もう3年ほど新しい白描画をまともにアップしていません。これも、年のせいか、アップする作業が億劫になって、どんどん後回しにしてきたのです。
注文フォームの「当工房に何か、ご希望は?」というアンケート欄では、「新しい白描画を期待しています。」が、多いのが気になっていました。
このすっぽり空いた時間、きっちり埋まってしまいそうです・・・。


うだうだ | 11:26:32 | Trackback(0) | Comments(0)
LGBT問題 を考えてみたが・・・
abema.jpg

世の中には、自分が理解できないことがいっぱいあると思うのですが、 このLGBTという私が最も理解しにくい問題について、この動画(番組)を観たことによって一視聴者である私も、しっかり考える機会を得ることができましたし、その意味で、私は良い動画を観たと思っています。(※リンクしておいた動画が削除されたようですので、その動画のキャプチャー画像を張り付けなおしておきます。)


 この問題を、私の中で整理するにおいてこの動画中で、文芸評論家の小川榮太郎氏も言っておられたように、杉田水脈さんの言う、人口問題や日本民族の文化、習慣である政治的文化的な視点と、今まで私が意識しなかった根源的な現代人の性の問題について、別々に思考しないと意味がないような気がします 。つまり話がこんがらがり、分かりにくくなると思います 。

この問題の本質は、いったい何なのだろう・・・。

なぜ、杉田氏の論文やそれを掲載した新潮45が、ヘイトなのでしょうか? マスコミの反対派へのインタビューで、よく聞く「謝罪しろ!」要求など、疑問は自分の中で沸騰し出します。

LGBTの人たちを理解できないことが、差別なのだろうか・・・。

でも、理解できない人を責めることはできないはずだし、もしかしたら逆差別という論法にも陥るし、泥沼喧嘩状態となります。
この番組中でも、多少その傾向があったように思います。

で、まずは政治的な問題として、また日本の文化の問題として、事の発端となった国会議員の杉田水脈さんが書いた全文を読んでみることにします。

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新潮45 2018年08月号 [雑誌] 新潮社  

杉田水脈著『「LGBT」支援の度が過ぎる』

 この1年間で「LGBT」(L=レズビアン、G=ゲイ、B=バイセクシャル、T=トランスジェンダー)がどれだけ報道されてきたのか。新聞検索で調べてみますと、朝日新聞が260件、読売新聞が159件、毎日新聞が300件、産経新聞が73件ありました(7月8日現在)。キーワード検索ですから、その全てがLGBTの詳しい報道ではないにしても、おおよその傾向が分かるのではないでしょうか。
 朝日新聞や毎日新聞といったリベラルなメディアは「LGBT」の権利を認め、彼らを支援する動きを報道することが好きなようですが、違和感を覚えざるをません。発行部数から言ったら、朝日新聞の影響の大きさは否めないでしょう。
 最近の報道の背後にうかがわれるのは、彼ら彼女らの権利を守ることに加えて、LGBTへの差別をなくし、その生きづらさを解消してあげよう、そして多様な生き方を認めてあげようという考え方です。
 しかし、LGBTだからと言って、実際そんなに差別されているものでしょうか。もし自分の男友達がゲイだったり、女友達がレズビアンだったりしても、私自身は気にせず付き合えます。職場でも仕事さえできれば問題ありません。多くの人にとっても同じではないでしょうか。
 そもそも日本には、同性愛の人たちに対して、「非国民だ!」という風潮はありません。一方で、キリスト教社会やイスラム教社会では、同性愛が禁止されてきたので、白い目で見られてきました。時には迫害され、命に関わるようなこともありました。それに比べて、日本の社会では歴史を紐解いても、そのような迫害の歴史はありませんでした。むしろ、寛容な社会だったことが窺えます。
 どうしても日本のマスメディアは、欧米がこうしているから日本も見習うべきだ、という論調が目立つのですが、欧米と日本とでは、そもそも社会構造が違うのです。
 LGBTの当事者たちの方から聞いた話によれば、生きづらさという観点でいえば、社会的な差別云々よりも、自分たちの親が理解してくれないことのほうがつらいと言います。親は自分たちの子供が、自分たちと同じように結婚して、やがて子供をもうけてくれると信じています。だから、子供が同性愛者だと分かると、すごいショックを受ける。
 これは制度を変えることで、どうにかなるものではありません。LGBTの両親が、彼ら彼女らの性的指向を受け入れてくれるかどうかこそが、生きづらさに関わっています。そこさえクリアできれば、LGBTの方々にとって、日本はかなり生きやすい社会ではないでしょうか。
 リベラルなメディアは「生きづらさ」を社会制度のせいにして、その解消をうたいますが、そもそも世の中は生きづらく、理不尽なものです。それを自分の力で乗り越える力をつけさせることが教育の目的のはず。「生きづらさ」を行政が解決してあげることが悪いとは言いません。しかし、行政が動くということは税金を使うということです。
 例えば、子育て支援や子供ができなカップルへの不妊治療に税金を使うというのであれば、少子化対策のためにお金を使うという大義名分があります。しかし、LGBTのカップルのために税金を使うことに賛同が得られるものでしょうか。彼ら彼女らは子供を作らない、つまり「生産性」がないのです。そこに税金を投入することが果たしていいのかどうか。にもかかわらず、行政がLGBTに関する条例や要項を発表するたびにもてはやすマスコミがいるから、政治家が人気とり政策になると勘違いしてしまうのです。

 LGBとTを一緒にするな

 ここまで私もLGBTという表現を使ってきましたが、そもそもLGBTと一括りにすることが自体がおかしいと思っています。T(トランスジェンダー)は「性同一性障害」という障害なので、これは分けて考えるべきです。自分の脳が認識している性と、自分の体が一致しないというのは、つらいでしょう。性転換手術にも保険が利くようにしたり、いかに医療行為として充実させて行くのか、それは政治家としても考えていいことなのかもしれません。
 一方、LGBは性的嗜好の話です。以前にも書いたことがありますが、私は中高一貫の女子校で、まわりに男性はいませんでした。女子校では、同級生や先輩といった女性が疑似恋愛の対象になります。ただ、それは一過性のもので、成長するにつれ、みんな男性と恋愛して、普通に結婚していきました。マスメディアが「多様性の時代だから、女性(男性)が女性(男性)を好きになっても当然」と報道することがいいことなのかどうか。普通に恋愛して結婚できる人まで、「これ(同性愛)でいいんだ」と、不幸な人を増やすことにつながりかねません。
 朝日新聞の記事で「高校生、1割が性的少数者」という記事がありました(3月17日付、大阪朝刊)。三重県の男女共同参画センターが高校生1万人を調査したところ、LGBTは281人で、自分は男女いずれでもないと感じているXジェンダーが508人。Q(クエスチョニング=性的指向の定まっていない人)が214人いて、合わせて1003人の性的少数者がいたというものです。それこそ世の中やメディアがLGBTと騒ぐから、「男か女かわかりません」という高校生が出てくる。調査の対象は思春期の不安定な時期ですから、社会の枠組みへの抵抗もあるでしょう。
 最近の報道でよく目にするのは、学校の制服問題です。例えば、「多様性、選べる制服」(3月25日づけ、大阪朝刊)。多様な性に対応するために、LGBT向けに自由に制服が選択できるというものです。女子向けのスラックスを採用している学校もあるようです。こうした試みも「自分が認識した性に合った制服を着るのはいいこと」として報道されています。では、トイレはどうなるのでしょうか。自分が認識した性に合ったトイレを使用することがいいことになるのでしょうか。
 実際にオバマ政権下では2016年に、「公立学校においてトランスジェンダーの子供や児童が“心の性”に応じてトイレや更衣室を使えるようにする」という通達を出しました。先ほども触れたように、トランスジェンダーは障害ですが、保守的なアメリカでは大混乱になりました。
 トランプ政権になって、この通達は撤回されています。しかし、保守派とリベラル派の間で激しい論争が続いているようです。Tに適用されたら、LやGにも適用される可能性だってあります。自分の好きな性別のトイレに誰もが入れるようになったら、世の中は大混乱です。
 最近はLGBTに加えて、Qとか、I(インターセクシャル=性の未分化の人や両性具有の人)とか、P(パンセクシャル=全性愛者、性別の認識なしに人を愛する人)とか、もうわけが分かりません。なぜ男と女、二つの性だけではいけないのでしょう。
 オーストラリアやニュージーランド、ドイツ、デンマークなどでは、パスポートの性別欄を男性でも女性でもない「X」とすることができます。LGBT先進国のタイでは18種類の性別があると言いますし、SNSのフェイスブック・アメリカ版では58種類の性別が用意されています。もう冗談のようなことが本当に起きているのです。
 多様性を受けいれて、様々な性的指向も認めよということになると、同性婚の容認だけにとどまらず、例えば兄弟婚を認めろ、親子婚を認めろ、それどころか、ペット婚、機械と結婚させろという声が出てくるかもしれません。現実に海外では、そういう人たちが出てきています。どんどん例外を認めてあげようとなると、歯止めが効かなくなります。
 「LGBT」を取り上げる報道は、こうした傾向を助長させることにもなりかねません。朝日新聞が「LGBT」を報道する意味があるのでしょうか。むしろ冷静に批判してしかるべきではないかと思います。
 「常識」や「普通であること」を見失っていく社会は「秩序」がなくなり、いずれ崩壊していくことにもなりかねません。私は日本をそうした社会にしたくありません。

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弱者を盾にする欺瞞
杉田水脈氏の『「LGBT」支援の度が過ぎる』は、騒がれ始めたころに読んだ。が、どこが問題なのか・・・。先入観なしの一読では、私には率直なところ、何が問題なのかわからなかった。
読んだ後に、ネットでいろいろ調べてみると、文中で使われている生産性という言葉が 論われています。
もちろん、税金は生産性という観点では救えない弱者に 割り当てられる機能もありますし、そんなことを杉田氏が否定したり知らないはずはないだろうし、杉田氏は概して 弱者の名のもとにおけるマスコミの異常な同調圧力それらと連動しながら強化されてきた戦後の様々な 弱者利権が、しばしば外国による日本侵略工作と繋がっている事の深刻な外力と戦ってきた人です 。
杉田氏は、弱者に一言、必ず 阿らねば発言も許されないような、マスコミの戦略的抑圧の危険な裏を暴き続けて来た人でもあります。
平和ボケで日本人としてのアイデンティティを失いかけた 今の日本人には必要な人でもあります。
その人があえて、世に問う文章が辛口になるのは当然でありましょう。
『弱者』を縦にして人を黙らせるという風潮に対して 、政治家も言論人も、皆非常に臆病になっています。
朝日新聞を叩く、嫌韓本を書くとなれば 一定のメンバーが喜び勇んでその言論戦に馳せ参ずる。手堅いマーケット=支持層があり安全地帯から どれだけ敵を、悪し様に語っても許せる構図が確立しているからだ。
こうした構図のできている 「プロレス型言論」と本当に同調圧力を跳ね返してでも、言うべきことを言うことは似て非なることです。
孤立してでも同調圧力と戦う政治家や言論人となれば、微々たるものです。
その中で杉田氏には、多くの人が内心共感しつつも黙らせられているテーマについて果敢に発言する珍しい蛮勇が居ます 。
そして、今の同調抑圧社会では、私は政治的にスマートな政治家よりも真の政治的蛮勇を持つ政治家の方が はるかに貴重だと思う。(概略)

と、番組中の、小川榮太郎氏の書かれた杉田氏の思いを擁護する文面もネット動画の中のテロップにありました。
私の感想もまったく氏と同じです。

杉田氏やその擁護記事を載せたということで、「新潮45」という雑誌も休刊(廃刊?)に追い込まれたそうです。
言論を擁護する立場の出版社が、記事掲載1週間で、休刊・・・?。

なんだか、強引に日本人の価値観をゆがめようとする空恐ろしい力を感じてしまいます。

https://www.youtube.com/watch?v=D7piJT4YiFc この動画、視聴回数を更新しますと、ものすごい勢いで視聴されていることが分かりますが、やはり、この一連の「新潮45」杉田論文掲載から休刊までの動きに不信感を抱いている鋭い感覚をお持ちの人がいるのでしょう。
 
LGB(T)など今まで表に出てこなかった秘められた性そのもについて、たぶん、私は今後も理解できないと思います。
でも、理解できないから受け入れられないということでありません。少数派または、弱者の孤独感は理解できますが、だからといってそういった類の人たちを差別する感覚も持ちあわせておりません。
個人はそれぞれ違って当たり前。その違いを認め合って、はじめて平和なコミニュティが維持できるのではと思います。

少数派や弱者を理解できないことを、少数派や弱者が支援者(今回の場合は反日左派勢力)と一緒に徒党を組んで声を揃えて「ヘイトだ!」と言われれば、これはもう暴力です。
どうも、今回の件も、反日左派勢力の支援の存在、小川氏の言われる、「弱者を盾にする欺瞞」、やはりこれが問題の本質のような気がします。
少数弱者を盾に、党員を増やす手法は、左派のやり方。
今回も、立憲民主党の党首はLGBTの人から議員候補者を選ぶとLGBT擁護団体の前で公言しています。
もともと日本の文化には、LGBTに対して差別感はなく、秘め事として認め合っていたのに、わざわざ波風をたてて、LGBTを理解できない人は悪。LGBTを理解し彼らの人権を認める人は善。という構図を無理やり作って選挙戦を戦い、善が悪に勝ったように自画自賛する構図。
杉田氏は、こういった意味のない不毛の現象に対して国庫が使われることを懸念したのでしょう。
沖縄の基地移設反対のデモ、安倍政権批判のデモ等と同じように、こういった印象を持ちました。

ただ、少子高齢化が進むこの日本の危機状態を、どうやって切り抜けるのか、これは国の施策、システムの問題なので政治のやり方、方法論です。
その政治を受け持つ国会議員が、数百万人居るとされるLGB(T)の方たちの存在に問題があるのならば、その問題点を深く掘り下げ考えるのは当然のことで、深く考えない国会議員が居ることのほうが、むしろ問題であるように思うのです。

人口問題は、いづれAIの進歩で何とかなると楽観視していますが、近い将来、ロボットと一緒に夫婦のように、仲良く暮らせる時代が来ると思います。子どもは産めませんが、ロボットは生産ラインで次から次へと生産されますから、今回のLGB(T)問題など、どうでもよいことになります。(^o^)

https://www.youtube.com/watch?v=AmCZeXNgGVc にも、若い世代に私の気づきとは、少し違う種類の分析がなされているようです。


うだうだ | 16:00:15 | Trackback(0) | Comments(0)
今日から、また老いた夫婦二人だけの生活が始まります・・・・。
2018-08-01from TRONT
エアカナダの食事が合わないからと、伊丹空港で買っていった柿の葉すしを食べるのかな


6月4日より昨日7月31日まで帰省していた、長女とその子供たちが、昨日の午後3時、半日休暇をとり大阪から直接空港に来た長男家族と我々夫婦に送られ、大阪国際(伊丹)空港を飛び立ち羽田国際空港からエアカナダで飛び、先ほどカナダのトロントに着いたようです。 写真付きラインで知らせて来ました。

あと一時間ほどでワシントンのレーガンナショナル国際空港に向かい、現地時間の22:30(日本時間10:30)に到着するそうです。
そこに先に帰った旦那が車で迎えに来ていますので30分~40分で家に到着ということになります。
日本時間では、今日の11時~12時に自宅に到着することになります。
京都の私の自宅を車で送って出たのが、昨日の11時ですから、京都の家からワシントンの家までの所要時間は24時間必要ということになります。
たぶん、長女は、たくさんの日本食の詰め込み荷物と幼い子供二人を抱えて、くたくただと思いますが、ご苦労さん!

で、私の家はといいますと、嵐の後・・・・。
子供たちの服が忘れて洗濯物に混ざっていたり、放してあげましたが、カブトムシの籠がそのままだったり、食べ散らかした食事の後など、まだ、孫たちがどこかの部屋に居るような気配がしています。
昨晩は、さすがの妻も、夕食後ソファーで爆睡して、その長い孫たちの滞在期間の疲れを癒していました。

今日から、また老いた夫婦二人だけの生活が始まります・・・・。

いや、今年からは、大阪から長男家族が一歳になった孫を抱え、毎土曜日来てくれることになっていますので、二人だけの生活といった寂しいものではありません。
家族皆、無事に生かされていることに、感謝せねばなりません。



うだうだ | 09:44:30 | Trackback(0) | Comments(0)
日本の原風景を忘れないで
2018-06-24大原野にて
自宅近くの大原野の夕暮れ この日本の原風景を忘れないで欲しい


今月の4日からワシントンDCに住む長女家族が帰って来て、妻と二人だけの家が2年ぶりに、にぎやかになっています。
長女の旦那さんは仕事の都合で1週間ほど後に来て、23日には帰りました。
長女と子供二人は7月31日まで居るそうです。

一週間に一度、大阪に住む長男家族も来るのですが、その時は、我が家のリビングは、もう足の踏み場もなくなります。
9歳と6歳の孫たちは、長女の、「子供たちが日本を忘れないないで」という願いを込めて、帰国前に、近くの公立小学校へ通わせる手続きをしました。
2年ぶりで、しかも短期ですが、長女の通った小学校にお世話になっています。
文科省は、日本人の愛国心を育てるように短期帰国子女にも受け入れをしているそうです。

その孫たちは、日本のテレビを観るのは良いのですが、やはり、NHKのEテレでほとんど毎日放送しているアメリカの中学校の学園コメディ、「ゲームシェイカーズ」を喜んで観ています。
日本語放送をわざわざ英語に戻して楽しんでいます。
今や、孫たちは英語のセリフの方が、その内容がリアルに伝わるということのようです。

そういう意味でも、2年に一度ですが、短期の日本の小学校留学は有意義なのかもしれませんが、なんだか、これで良いのかなぁ・・・。
と、我が孫の行く末をちょっぴり心配する私なのです・・・。


うだうだ | 17:07:07 | Trackback(0) | Comments(0)
四万十~いのちの仕舞い


2010年にNHK教育の長寿番組「心の時代」に出させていただいたことがあります。
その時に、2週間ほどだったでしょうか私の仕事や日常の一コマを撮っていただいたて、古い写真等を挿入して私のそれまでの半生を、「仏を描く 祈りを描く」という1時間番組の為にすべての編集を担当されたのが、溝渕雅幸監督です。

先日、私の唯一所属する団体「仏教クラブ」の例会で「いのちの講演家」といわれる岩崎順子さんに講演していただきました。
クラブのホームページの管理人でもある私は、お話の全てを書き起こして、いつものようにそのホームページにアップしたのです。
そのページが、Facebookの岩崎さんのページにリンクされると、お友達の多い岩崎さんですから、その仏教クラブの講演をまとめたページへのアクセス数が通常ではあり得ない数字をたたき出しました。
Facebookでは、その話題で盛り上がっている様子が伝わってきます。
そんなおり、岩崎さんのお友達である溝渕雅幸監督が発言され、「書きお越しをされた藤野正観さんを撮ったことがある」とのこと。
その発言に思わず、私も懐かしさのあまりお話の中に入りました。
岩崎さんと同じように監督とお友達のご縁を結んだのですが、やはり、ネットは、忘れかけていた人を再び繋いでくれるんですね。

友人関係になると、岩崎さんや溝渕監督の動きが手に取るように分かるようになるのがFacebookです。
岩崎さんが、溝渕監督の最新作、映画「四万十~いのちの仕舞い」の上映で、監督とトークショウをされるようです。
うん?どういう関係?と疑問があったのですが、何れにせよ、溝渕監督の最新作が、「いのち」や「看取り」「人生の終末」にスポットを当て、四万十で在宅介護で看取りを支援する内科医小笠原望先生の日常と美しい四万十の四季折々の景色をふんだんにとりいれて作られた映画のようです。即座に観たいと思いました。
私を撮ってもらった時はわずか2週間ほどのお付き合いだったのですが彼の映画に対する思いを聞いたことがあります。
「お釈迦さんの映画、作ってよ」と本気半分冗談半分で言っていたことを思い出しました。

その彼が、撮った映画を、先日の日曜日、京都シネマまで観に行ってきました。
小笠原先生の日常と在宅介護という医療現場を丁寧に取材され、劇場のお二人のトークショウでも言っておられたように、出演といいますか出ておられる人たちの生の声がごく自然で、あの長い棒の先に着いた大きなマイクの存在を出演者が意識しておられないので、不思議なぐらいでした。
これも監督の「技」なんでしょうか、実は私の時も不思議と緊張しなかったのです。

そのせいか、映画を観る私が、その場所に居るかのように自分自身の実体験として生々しく記憶に残ることと思います。
また、監督の温かい目線で撮られた四万十の四季折々のドローン撮影も含めた美しい景色も最高でした。
京都シネマのスクリーンサイズがもう少し大きければもっと迫力あったと思うのですが、ちょっと残念でした。

トイレの近い私は、上映とトークショウが終わるとすぐさまトイレに駆け込み、そのまま阪急電車に飛び乗りました。
帰宅後、Facebookのメッセンジャーで、監督より即座にお礼のコメントを頂いたのにはびっくりしましたが、監督と小笠原先生のトークショウで明るくなった満席の劇場の一番後席中央に座わっていた私に気付いて頂いたのだと思いますが、その返事にこう書きました。

「帰る電車の中で、自分の終末はどんな終末なのだろう・・・。と考えてしまいました。
たぶん、今後も続くであろう私の医療環境では、目前に迫った終末期が、苦しい検査と治療の繰り返しで、地獄のように思えて来ます・・・。小笠原先生の居る四万十に、移住しようかと思ってしまいます(^o^) 
記憶に残る素晴らしいドキュメンタリー映画でした。ありがとうございました。また良い作品撮って、観せてください。」と。



うだうだ | 12:16:07 | Trackback(0) | Comments(0)
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