投稿日:2006-06-22 Thu
今回は身内から・・・・といっても、今回の旅には私の仏画教室から2名の30代前半の女性が参加していたのですが、その一人が、実はいろいろ何か不思議な風景や図形が見え、相談を受けたことがありました。私はそういうことは信じられない人なので、今までは半信半疑で彼女のその不思議体験を聞いていたのですが、今回この旅への参加を打診したところ、一番に参加を申し込んでいたのです。
彼女は幼い頃から夢やちょっとした瞬間に、不思議な形や風景が見え、それが何なのかつきとめたくて、大人になって生活が落ち着いた今、仏画を習うことによってその仏教知識を得、いろいろな見える形が仏教や神道にあることに気づき始めたのです。
ある人を通じて修驗道の行者さんで真言密教のある僧を紹介したのですが、今現在、その方について修行中です。
断食の真っ最中だというので、旅の間どうするのか興味津々、旅の間、よく彼女を観察しなければと気にしていました。
様子を見ていますと、食事は全部ベジタリアンタイプを注文、ほとんど食事はとらず、持ってきたサブリメントや栄養スープで済ませていたようです。「何や!医療的な断食かいな?」と心の中で思っていました。
彼女曰くその断食を10日づつ交互に実行するとその期間は神経が研ぎすまされるのだそうです。
で、今回はその彼女が私に言ったその言葉が私にとって強烈に印象に残り、けっこうその気になってしまったというお話です。
投稿日:2006-06-21 Wed
紀元前2世紀、仏陀没後300年頃、それまでの修行僧だけの仏法(小乗仏教)から自分以外の人の幸せを祈る大乗の思想こそが仏法だという新しい仏教概念を確立したのが、日本のみならず、チベット・中国・朝鮮半島に広まった大乗の思想です。その大乗仏教の祖、龍猛とも龍樹とも呼びますが、アチャリア・ナガールジュナという、えら〜い哲学者でお坊さん(といっても菩薩と呼びます)の生まれて活躍したナガールジュナコンダという遺跡を訪問し、その菩薩の遺徳を偲ぶことと、猛暑のインドではさすがのお釈迦さんも、説法の旅をストップし、夏安居といいますが、酷暑を避け、一箇所に留まり説法をしたとされています。「夏安居の時期のインドの酷暑とはどんなもの?」を経験しようというのが、私の今回の企てでした。じつはこの時期、旅費が最も安いのです。時期はずれのせいか、誰も行かないところなのか、デリー以外では、日本人どころか黄色人種の旅人には一人も出会いませんでした。
もちろん私は仏画という仏教美術を生業としていますから、その原点であるその地域、つまり、尊い仏陀の姿がまだ具体的な形で表現されていない頃から、仏陀の姿が表現され現在の仏教美術が花開く6世紀に至るまでの進化を伺わせる遺跡もその地域周辺にあります。超有名なサンチー・アジャンタ・エローラなどが代表です。
インド全土が仏教で栄えていた頃の大きな遺跡が、あちこちにごろごろしているのです。当然ながらまだ未発掘の遺跡もあちこちににあり、現在もナグプール近くに世界最大級の遺跡が発掘されつつあります。イスラムの侵略から守るためにすべての仏教施設を土で埋めた為、それらしい小山や大山があちこちにあるのです。
土に埋めた為、当時そのままの姿、遺跡が出現するのです。
難しいお話はこれくらいにして、インドは凄いゾォ!! 暑いゾォ〜
北インドの仏跡のある地域はビハーラ州といってインドでも一番貧乏で文明から遅れているところ。その為今でも、2500年前の生活が息づいていて、当時の生活を感じさせてくれます。
ところが今回最終的に行った南インドのチェンナイ(マドラス)や西インドのムンバイ(ボンベイ)は大都会。とてつもない大金持ちと人口の30%に及ぶスラムの人々とが混在し、不思議な活気と強烈な熱気に溢れていました。
ムンバイは、東京より地価も高く、世界中の有名な会社のビルが乱立しています。もちろん、日本の企業もいっぱいありました。海の向こうはアラビア海、イスラム圏です。イギリスの統治下にあったインドでも、このムンバイは交易港があった為、その名残があちこちにあり、ヨーロッパとイスラムとインドが混在し、文化も宗教もゴチャゴチャ。世界一の映画の生産量はここムンバイがトップ。インドのハリウッドと呼ばれ、街にはいたるところに、馬鹿でかい映画の看板がありました。
で、今回の旅で何か不思議なことがあったの?って?
そうなんです、やっぱりあったのです。
つづく
投稿日:2004-12-22 Wed
煩惱長年、仏画を生業にしてきた私は、海外旅行というと、決まって東南アジアの仏教遺跡を目指した。信仰心のパワーを感じ、そして、そのエネルギーを頂戴しに行くのだ。
信仰心というものは、ど偉いものを創造するもので、世界遺産の建造物や美術品は、ほとんどが、その目的で造られている。もちろん、京都の文化も、そうなのである。京の町の構造も行事も生活もその仏教思想が根底にある。その仏教の源、釈尊の生きた北インドに行って来た。渇いた空気と土埃に喉をやられゼイゼイ言いながら二日前に帰って来た。
北インドだけは、私にとっても、特別の聖地なので、向こう側からお呼びがかかるまで、行かないことに決めていた。私の偏屈なところである。
ところが、ついにお呼びが掛かったのである。聖護院の宮城泰年師の発願とお誘いを通じて、聖地からお呼びが掛かったのである。それなりの意味があると信じる私は、二つ返事で仏跡巡拝の旅への参加を申し出た。ついに待ちに待った聖なる地、インドへ行くことができた。
京都仏教会の後援でもあるのでブッダガヤ、ナーランジャー河、サールナート、ラージギル、クシナガル、ルンビニと要所要所で、高僧たちと法要を営む。特にラージギル(霊鷲山)での夜明け前の護摩法要は、生涯忘れることはない。目連、大迦葉、阿難、舎利弗・・・十大弟子の専用冥想窟も実際にあった。いまさらながらだが、ほんとうだった。実際に弟子たちがここで、釈尊の説法を聞いていた。私自身、ずーっと前にここに居たような不思議な錯覚に見舞われた。
釈尊入滅の地クシナガルでの法要の最中である。私にとって大変な出来事があった。ビデオカメラを持っていた私は、旅の記録を撮っていた。読経が始まる頃、ビデオ撮影を休止し、私もそれに加わろうと、腰につけたバッグから珠数を取り出した。その瞬間である。なんとその珠数が無理矢理引っ張り出したわけでもないのに、バラバラバラと玉が抜け落ち、その釈尊の荼毘塚の前に散らばったのである。
慌てて、拾い集めようとしたのだが、「待てよ・・・これはここに置いて行け・・・ということか・・・」
いったんポケットに仕舞い込んだ珠数玉をもう一度取り出して辺りに蒔いた。
七年前に、ネパールを旅した時、釈尊誕生の地ルンビニまでは来ていた。その時買った珠数を、三年程前に京の老舗で仕立て直して貰い、それを使っていた。
珠数は、人間の持つ百八の煩悩を表わしている。
涅槃とは、仏教徒の目指すべき最高の境地である。すべての煩悩がローソクの火を吹き消すようになくなることを涅槃という。つまり死を意味する。
えらいことである。それに気づいたのは、ほとんどを蒔いてからである。
釈尊は、煩悩に支配されている私に、お前のこれからの人生は、ポケットに残こした十数個の煩悩のみで過ごしなさいと告げたのに違いない。
えらいことである――。
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