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『仏画を描いて生活する』ということ
私が、画業三十年の内、仏画を専門に描いて生活させていただいて、早、十三年が過ぎようとしている。
その間、「仏画を描きたいので教えて欲しい」といって我が工房に訪れた人は数知れない。
 最近では、私のホームページを見て、「仏画を勉強したいがどうすればいいのか」などと、若者が相談して来ることも多くなった。
 また実際に、インターネットを通じて入門して来た若者が、我が工房で仕事をしながら勉強を始めている。
時代はどんどん様変わりしている――。
そんな中、もう一つ興味深い話をご紹介したい。
 
 過去に仏画を勉強したいといって私のところで何年か過ごした者の中には、それぞれ入門してきた時期は違うが、キリスト教の女性信者が四人も居た。
入門してからそうと分かって、私をドギマギさせたことがある。
 在る時、彼女たちの一人に「何故、クリスチャンである貴方が、仏画を描きたいのか」と問うと、「慈悲の表現にあこがれ、仏画にそれを感じたから」という事だった。
なるほど、仏画は、仏教を伝える道具であると同時に、慈悲や慈愛の絵画表現である。
それぞれの宗教が違っていても芸術作品として観たときには、その本質が先に感じられるようだ。
 実は、私自身も、若いころラファエロの「聖母子」を見て、宗教画にあこがれ、それと同じものを観音図に感じ、仏画に魅かれていった経緯がある。
 仏画に出会う時期が遅かった私は、寝食も忘れ「仏画」にのめり込んで行った。
ただ、私の場合は、「仏画」を描いて生活しようと決心したのだから、仏画そのものの持つ意味を理解しようとするうちに、仏教そのものに対しても深く興味を持つようになった。
 しかし、彼女達は、その「仏画」の持つ芸術性のみを、宗教の枠を超えたところで純粋に感じていたのかもしれない。
 その彼女たちは、長く居た者で五年間、結局、数年で辞めた。
今となっては、彼女たちの宗教観を知る由もないが、慈悲の表現された美しい世界を描きたい気持ちは、今も変わっていないはずだ。
美しい世界を表現したい気持ちに宗教の違いや素人もプロもない。
ただ、仕事となると、そうもいかない――。
 一口に「仏画」と言っても、儀軌に則った尊像画、絵伝に代表される説話画、高僧御影、肖像画、装飾画など、仏教に関わる絵画全般を指す。少なくても我が工房では、それらを全てこなせるよう修行する。
 一般に、如来や菩薩などが描かれた尊像画そのものを「仏画」と解釈されているようだが、先に記したように、さまざまな「仏画」があるわけだから彼女たちの描きたかったそれとは、違ってくる場合も多いのだ。
 もちろん、仏教絵画は基本的に慈悲・慈愛に根ざしているわけだから、どんなモチーフでも汚れない世界を表現することに他ならないのだが――。
「仏画」を制作する時、その芸術性と、道具としての仏具的性格を重視するかで、作り手の姿勢が大きく違ってくる。
その両方のバランスがとれて始めて「本物の仏画」と言えると思うのだが――。

  

新聞原稿より | 08:43:36 | Trackback(0) | Comments(0)

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