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京の美は、仏法なり
京都と言えばお寺。各宗派の総本山、大本山が立ち並び、それらに付随して生まれ育まれそして、切磋琢磨され今に継がれる伝統工芸やら伝統芸能・お茶・お花など、上品で格調高い伝統文化が活きづいている。
どこかで書いた記憶があるのだが、伝統とは、その地域に住む人の美意識を元に成り立つものであるから、その美意識そのものが文化と言えるのではないかとやや独断的ではあるがそう思っている。
最近、特にその京都の美意識が犯されそうな、そんな状況があちこちで起きていることに懸念を抱いている。

京都で何らかの修行(勉強)をした人は、必ずその精神を学ぶ、直接習わなくても京の町に住めばその美意識は身に付く。
「もったいない」「遠慮」「謙虚」「奥ゆかしさ」「品格」などなど、日本の美徳つまり和の美意識でもあるのだが、京都は、その中でも、他の地域とは少しばかり優先して重んじる。
「奥ゆかしさ」の美意識に代表されるわび・さびの「美」、上品で格調高い「雅」な美・・・。

その京の美意識が犯されている・・・。

最近、特に目立つのが、経済至上の現代だからやむを得ないのか、商業主義に追いやられた観光寺院の姿勢である。悠久の時を経、古都に静かに鎮座する大寺。最近、その大寺にそぐわない俗っぽい襖絵やイベントの開催が気になる。話題を提供して、誰でもいい、一人でも多くのお客さまにお出かけいただき、お賽銭を落として頂こうということなのだろうか・・・。
何の為に出家したのか忘れてしまったお坊様の代わりに、寺の職員が対応している。数百年前に彫られた仏様が拝されることもなく、美術品として鑑賞されている。過去の遺産におんぶに抱っこ、仏教そのものも過去の遺産と割り切っているのだろうか・・・。

京都は観光で成り立つ古都である。過去の遺産で飯を食う京都だから、それでいいじゃないか!
はたしてそうなのだろうか・・・。
先に書いたが、その遺産は仏教がなかったら存在しなかったものである。
京都の町衆の美意識もその教えが元にある。
寺は、全国何処にでもある。
では、なぜ、日本中、世界中から観光客が集まってくるのだろうか・・・。
寺の立ち並ぶ京の町並みはもちろん古都に息づく伝統的な文化の香り・・・。
それが来る人を魅了し、引きつけているような気がする。
何を美徳とするか、この京の町に住む人々の大切な価値観が京の町を創造し、魅力的にしているわけで、それを育み構成してきた張本人の寺院の有り様、つまり和の美意識が崩れてしまっては、もともこもないのではないだろうか。
どんどん西洋化されていく中で、せめて「和」つまり「仏法」の美意識ぐらいは、寺にだけでもきちんと残して欲しいと願うのは私だけなのだろうか。


うだうだ | 09:04:24 | Trackback(0) | Comments(0)

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