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阿修羅道
阿修羅道。
阿修羅とはアスラのことで、戦闘を好む鬼神のことです。
争い事の好きな者や、自ら争いを起こして命を落とした者が堕ちるところです。

須弥山(しゅみせん)の北の大海の底と、四大州の山中の岩石の間が住処で、海上の雷鳴を聞いては、宿敵、帝釈天の軍鼓と勘違いし、恐れおののき、また戦いに負傷し、若くして生命を落とす。
絶えざる戦闘と殺戮、そして敵襲の不安に一時も心休まらない世界なのです。

阿修羅の手下となって日々争いに明け暮れ、その争いには必ず負け、戦いによって身体を切り裂かれてしまうのです。

すぐに争いごとに巻き込んだり、争いごとがお好きな方ってたくさんおいでになりますね。
そんな方は、どうぞ、悔い改めてください。

次は、六道のうち、畜生道へと堕ちて行きます・・・。



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六道のこと | 11:03:20 | Trackback(0) | Comments(0)
人道
人道、つまり人間界には、3つの様相があります。

1、不浄の相。
人間の体は三百六十の骨、九百の肉片、九百の筋などでできており、腹の中には五臓六腑と呼ばれる内蔵や腸がぎっしり詰まっています。
そして、どのように上等で上品な食べ物を食べても、体内では、一夜も経てば不浄となります。
その糞のように、老いも若きも、いかに美しく飾ろうとも、人の体は不浄なものなのです。
まして、死後、墓地に捨てられ七日もたてばその体は腐乱し、発酵し、ふくれあがり。
野獣に食われ蛆がむらがり、ついに白骨となり、多くない年月を経ると土に還ります。
つまり、人間の体は生まれた始めから死ぬ終わりまで不浄なのです。
絶世の美女とて同じこと、死んで野に捨てられれば、その身は腐乱し、鳥獣の餌食となり、蛆におおわれ、白骨となり、やがて土に還ります。

2、苦相。
男も女も、この世に一度生を受け、外気に触れるとともに、誰もが同じようにはげしい苦悩を受けます。
成長した後も、体内には四百四病といわれるような、全身さまざまの病を宿し、体外には罪によって捕らえられ責められたり、寒さ熱さ、飢え渇き、あるいは自然の暴威など、さまざまな苦悩が迫ります。これを四苦八苦といいます。
四苦とは生・老・病・死を、八苦は四苦に愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦、五盛陰苦を加えたものです。

3、無常の相。
人は誰もどんな人も必ず死にます。
一日が過ぎるごとに生きる日数が一日減っていくさまは、乏しい水に浮かぶ楽しみもない魚や、屠殺場へ一歩一歩死に近づく牛の歩にも似ている。
無情の死神は、権力のあるなし、頭のよしあしに関係なく、いつでもどこでも誰にでも、無常に迫ってきます。

ということで、人として生まれると、こういった辛いことが溢れるように襲って来ることが当たり前なんだと知ることで、どんな困難も不幸も、なんとか肝要に受け入れることができると思います。
でも、人間界に生まれた人はまだ良いのです。
まだ、この下の世界にはこれ以上の苦しみがあるのです。

次は、畜生道について書きます。





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六道のこと | 16:39:07 | Trackback(0) | Comments(0)
天道
 天道は、天人の世界で、人間の世界の人道より楽多く苦の少ない世界なのだそうです。
それでも、欲界、色界、無色界の三つに分かれるといいます。

 欲界は、あるのは至福や快楽のみという、うれしいこと極まりない世界を言いますが、そのとう利天とて、天寿尽き臨終の際には、天人に五衰の相が現れるといいます。

一つには、華の髪飾りがしおれ、二つには羽衣が埃や垢で汚れ、三つには脇の下に汗が流れ、四つには眼がくらみ、五つには歓楽の場所であったこれまでの住処をも楽しめなくなるといいます。
つまり、至福の状態は続かない、たいくつし、飽きるということなのかもしれません。

 この五衰の相が現れると、天女や一族の者は、その天人を雑草のように見過ごし遠ざかってしまう。
経験はありませんが、歓楽に慣れた後だけに、そのちょっとした苦しみは地獄の苦しみより大きいのかもしれません。

欲界の上に位置し、欲望を離れてはいますが、なお物質的存在(色)からは解放されていない色界と、一切の色法(肉体・物質)の束縛を離脱した、受・想・行・識の四蘊(シウン)だけで構成する無色界には五衰の相はないとはいえ、ついには天を去らねばならぬ苦しみがあるのだそうです。

天界最上の天である悲想天でさえも、地獄の底の阿鼻地獄に堕ちないという保証はないのだそうです。

ということで、この世界が、六道輪廻で行く最上の世界なのです。

このあと、人道阿修羅道畜生道餓鬼道、そして地獄道へと堕ちていきます・・・。お~怖!




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六道のこと | 09:10:19 | Trackback(0) | Comments(0)
殺人を犯した者が、死後どうなるのか
無意味に殺人を犯せば、この世で裁かれると、普通は良くて無期懲役、わるくて死刑となる。
最近は、どんどん死刑の執行が行われていると聞く。

では、そんな大罪を犯した者が、死んだ後、あちらの世界でどんなふうに過ごすことになるのか、ちょっとイメージしてみたい。

私は、仏絵師なので、六道絵を描くことがある。

仏教では、それぞれが生前に行った善行、悪業の度合いによって、死後、生まれ変わる場所が、説かれている。私の仕事は、それを絵にすることにある。

現に、今、地獄図を描いている。

六道とは、まずは、天道にはじまり、人間道、阿修羅道、獣道、餓鬼道、そして地獄道と大きく六つに分かれる。
絶対、行きたくない地獄にはまた、等活、黒縄、衆合、叫喚、大叫喚、焦熱、大焦熱、阿鼻の八つの恐ろしい地獄世界があって、閻魔様等の裁きによって、責めの度合いが決められ、行く地獄世界が決まる。
亡者の生前の悪業がビデオ再生のように鏡に映る仕掛けがある。そこでは嘘は通用しないことになっている。

私は閻魔様ではないが、殺人を犯した者は、当然ながら地獄に堕ち、永遠に責め苦を受けることになると思う。

次は、仏教における六道思想をもう少し詳しく調べ、ここに書こうと思う。

仏教寺院は、30年ほど前から、このことを怠ってきた感がする。

このこと・・・、つまり、仏教の真髄であるところの人々を正しく、善良に教化すること。

嘘をついたり悪いことをしたら、地獄に堕ちるよ、ましてや殺人などしたら地獄に堕ち、地獄の責め苦に遭うよ・・・。
と、このことだけでも、幼少の頃の間に、丁寧に伝えておけば、刷り込んでおけば、脅しておけば、世の中は、もっと住み良くなるはずだった。

少なくとも、私の育った環境はそうであった。



うだうだ | 09:56:05 | Trackback(0) | Comments(0)
自暴自棄
東京・秋葉原で7人が殺害された通り魔事件。犠牲者の御冥福を心よりお祈り申し上げます。

殺人未遂で現行犯逮捕された派遣社員、加藤智大容疑者の生い立ちが、各社テレビで報道される。
本人が望んでいたとおり、ワイドショでは、連日のメイン話題。
テレビに登場するコンメンテーターは、「凶器となりうる刃物などの売り方を考えなければならない」などと、その場しのぎのコメントを寄せている。
ネットの掲示板に書かれた彼のコメントから、彼の異常性が感じられるのだそうだ。

彼は、それほど、異常だったのだろうか・・・。
私は、そうは思えない。

今時、どこにでも居る、普通の男性のように見える。 
福井市内のミリタリーショップで、接客した店長や店員は「行儀の良いお客さんだった」と話しているらしい。

私は思う、誰でもそういった心境になる時がある。

その時、どうするかなのだ。

とことん落ち込んだ時、何をどうすれば良いかまったく考えが浮かばない。
前向きになど何も考えることができなくなった時、やけくそになるしかない時・・・・誰にでもある。

どうせ、浮かばれないまま、名も無く貧しく人生をあくせくして終えるのなら、善も悪も関係なく、自分の存在した証ぐらいは残したい。

そう思ったのだろう・・・。分かる気もする。

これから先も、資本主義の底辺でオロオロ、ウロウロと蠢きながら一生を終える自分の姿が見えたのだろう・・・。

彼は、親の育て方に問題があったと言う。 親に責任を取らせたかったから事件に及んだのかもしれない。
世間も、彼を育てた親のせいかもしれないと思う。

親の育て方が悪かったから、あてつけに殺人・・・・自暴自棄

関係のない被害者の人生など想像する余裕など、一片のかけらもなかったのだろうか・・・。

殺人を犯した者が、死後どうなるのかイメージしたことがなかったのだろうか・・・・。

加藤智大に聞いてみたい。

また、その加藤智大と同じような境遇で自暴自棄に陥っている若者にも聞いてみたい。

殺人を犯した者が、死後どうなるのかイメージして欲しい。



ご意見 | 17:46:28 | Trackback(0) | Comments(0)
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