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醍醐寺・三宝院の襖絵に思う
醍醐寺の霊宝館にて「祈りの系譜」展が開催中である。12日の日曜日に我が工房の弟子たちと一緒に行ってきた。
醍醐寺は、今年の四月二十五日から八月二十四日まで、ドイツ・ボン市にある国立美術展示館において、初の海外での単独展「聖なる山の寺宝 醍醐寺・日本密教僧院」(国宝九点、重要文化財七十五点を含む寺宝百六十五点)を開催した。現地では約六万人が入場し、好評のうちに幕を閉じとと聞く。
そこで、この展覧会「祈りの系譜」では、ドイツから戻った寺宝を中心に約百点を展示し、(ドイツ展出陳品八十点を含む)。海外展での展示をそのままではないが、欧州の人々を魅了した「醍醐寺の祈りの世界」を再現したというわけだ。霊宝館入場料は600円だが、受付で三宝院と山内を拝観しないかと薦められ全部で一人1500円を支払った。

展示中の仏画では、やはり大きな図、「大元帥明王図」が圧巻だった。ドイツでも皆の心を捉えただろう。

この特別展を見た後、三宝院も拝観した。
この中に入るのは初めてだったが、この機会にどんなものか見ておこうとおもった。
障壁畫とか、襖絵とか観るべきものがたくさんあると思ってのことだった。

ここで、正直な感想を書いておこうと思う。
誰かが書かないと、発言しておかないとダメだと思ったからである。

それは、この三宝院に新しく描かれた襖絵のことだ。

ビックリした。あまりに調和していないその襖の画風に我々一行は唖然とし、思わず入口の左側の桜のポスターのような襖に駆け寄り、この絵は何だ!とばかりに分析をした。
一昔前に流行ったエアーブラシ(絵画用噴霧器)や型を駆使して描いたものであった。
なんで、こんな現代風の無機質な絵がここにあるのか信じられなかったが、辺りを見回すと、あちこちにその画風の絵が、襖絵としてあった。

「何!これは・・・?・・・・。」「沈黙・・・・。」

絵は、伝統的な襖絵のそれではなく、絵自体が、ガンガン主張して古い寺の建物や風情を無視していた。
上品さのかけらもなく、温かさも無い。ただただ無機質な表現で、醍醐寺の四季の風景がイラスト画のように描かれていた。

昨今、京都や奈良の寺院に、いろいろな絵描きさんが、襖絵を描いているが、時代が変わるということはこういうことなのか・・・。

明治時代に、それまでの伝統的な絵描きは、画学校を中心とした中央画壇を形成する片一方で、京の住空間をコーデネートする職人絵描きに分かれた。
いわゆる、芸術家と職人に分かれたのだ。
それまでの、日本の絵描きは、すべて職人だった。画工とも呼ばれていた。
自分を主張し、我を表現する芸術家は、異端と呼ばれていた。
今も、京の都には、昔からのように、住空間をトータルでコーデネートする伝統が息づいていると思っていた。
調和こそが伝統文化である。
そこには、品格とか風格とか奥ゆかしさとか日本古来の独特の美意識があった。
また、それを基盤に物が作られ、育まれて来た。 今もそうであると思っていた。

が、しかし、昨今のお寺・・・は、伝統文化の流れを脈々と継いでいるはずのお寺が、何を考え出したのだろうか?

それとも、すでに、そういった古き京都の精神文化は必要がなくなったのだろうか・・・。

いや、そんなことはない。 あの仕事を与えられた絵描きの感性が寺の襖に合わなかった・・・。
それだけのことだと思う。そう思いたい・・・・。
本来、そういった仕事を請け負うべき職人絵描きの質も落ちてしまい、どうしようもないのかもしれないが、ほんとうに困ったことになっている。

お寺の襖絵や障壁画は、展示スペースではない。アーティスト個人の感性を表現する場ではない。
ましてや、既存の古い襖絵を新調するわけだから、伝統文化や美意識を意識しない「我」を主張してはならない。

そう感じ思うのは、私たちのような伝統的な美意識の中に生きている者だけなんだろうか・・・・。

読者や一般の観光客は、正直、どうお感じになっておられるのだろうか・・・。



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うだうだ | 10:00:40 | Trackback(0) | Comments(0)
懲戒請求扇動発言の判決報道に思う


山口県光市の母子殺害事件(99年)を巡り、橋下徹弁護士(現・大阪府知事)のテレビ 番組での発言で懲戒請求が殺到し業務に支障が出たなどとして、被告の元少年の弁護士4 人(広島弁護士会)が計1200万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が2日、広島地裁で あった。橋本良成裁判長は「発言と懲戒請求との間に因果関係があることは明らか」とし て橋下氏に原告1人当たり200万円、計800万円の支払いを命じた。橋下氏は控訴す る方針。

という報道が流れた。
今の法曹界の常識というものが浮き彫りになった。
こんなことでよいのだろうか・・・。

弁護士である前に優しい人であるべし。
人の善悪が正しく理解できる人が法律家になるべきなのだが、現実はそうではないようだ。
法律は、社会生活を円滑に営むために人がその時のものの考え方や価値観によって作ったもの。
法律は、善人か悪人かを決めるものではない。
法律は、単に犯人が今の社会生活に害を及ぼしたかどうかということを判断する材料に過ぎない。
法律は、神や仏ではない。
法律に携わる人々は、人に害を及ぼしたかどうかをシンプルに判断すればよい。
被告人が、どんな事情で法律を犯したにせよ、害を及ぼせば罰する。それがそもそも法律である。
もう一度書く。
法律では人の善悪を裁くことはできない。
法律ではものの真理や正しい判断はできない。
単にその時の社会生活にどの程度害を及ぼしたを判断すれば良いだけのものである。
したがって、この事件の殺人犯をコネコネ訳の分からん弁護をする弁護団などこの社会に必要はない。
懲戒請求あってしかりだと思う。
遺族に何の配慮もない理不尽な発言を繰り返すこの弁護団に憤りを感じ、怒りの持って行き場のない一般の一個人が、橋本氏から、懲戒請求という、法で許された方法があると聞き、実名入りで実行に移したものである。
この判決は、これらの一般の方々の気持ち、意思を踏みにじるものではないのか?
あきらかに、問題のすり替えが行われた。
この一般の優しい清らかな社会人からの怒りの懲戒請求を飲めない今の法曹界は、いったい誰が戒めれば良いのだろうか。平成21年5月21 日から裁判員制度が実施されようとしている今、 大問題である。

と思う・・・。

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ご意見 | 09:32:26 | Trackback(0) | Comments(0)

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