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ふんだりけったり
7月8日に急性肝炎で入院し、13日に退院。その間6日間の内5日間、抗生物質等の点滴を受け続けた。
肝臓の数値も私の通常値に戻り6日目にはめでたく退院することができた。
退院後は、あれは何だったの?というぐらい元気になり、リフレッシュできたようだった。

元気になった私は、お盆を前に庭の手入れをしようと、仕事の合間をぬって少しずつ工房の庭木の選定作業を開始した。
24日の金曜日朝、玄関脇にある青木の選定を短い手バサミでしていると、突然「チクッ」と右手首に痛みが走った。

蜂に刺されたのだ。二匹に同時に刺されてしまった。

小さな可愛い蜂が巣を作っていたのだ。それに私の手が触れたらしい。蜂もビックリするのが当たり前だ。すかさず、キンカンを塗って様子を見ていたのだが、刺された傷口がはっきり分かる程度まで赤い点が二つ現れ、その周りが、腫れだした。
でも、たいしたことはないだろうと、仕事につこうと二階に上がったところ、弟子たちが『先生、顔が赤い、目も赤いしおかしいですよ』 『そうかぁ・・・でも、大丈夫やろぉ・・・』 『二回目に刺されると大変なことになるそうですよ・・・苦しくないですかぁ?』 と心配してくれる声をよそに高を括っていると、そのうち手や足首が痒くなってきた。『先生、病院へ行きましょう』
鏡を見ると、確かに顔の様子もおかしい。むくれてきたようだ。

弟子の運転する車に乗って工房に一番近いのナカガワ内科医院へ、『当院では、対応できないので、この先にある中安外科クリニックに行って下さい・・・』
中安外科クリニックに行くと、すでに発疹が出始めており、医者も看護婦さんも、おおわらわ。
処置を間違えるといけないので、念のため総合病院『洛西ニュータウン病院』に指示を仰ぐと、ステロイド系の点滴を打ちながら、すぐに来いとのこと。すぐにいける所なので、中安外科医院に駆けつけた妻の運転する車で『洛西ニュータウン病院』に緊急患者として入った。
緊急処置室には皮膚科の佐々木先生と看護士さんが待っていてくれ、すでに投与している点滴にいくつかの薬を混入していた。
私は、息苦しくなることはなかったが、体中に発疹が出てやたら痒くてたまらなくなった。
『あんな小さな蜂に、負ける身体になったのか・・・年をとるということはこいうことなんだなぁ・・・』とつくづく感じてしまった。
なにせ、一週間も経たない間にまた点滴。『入院しますか?』とも言われた。

刺された日にステロイド3本、次の日の土曜と日曜が先生もお休みなので、念のために点滴を受けに来いという。
結局、土曜、日曜と続けてステロイド系の点滴5本を投与した。
実は、2本目の点滴を受けた後、3時間後には発疹も見事になくなり、当日に受けた3本目の点滴はほんとうに必要だったのか、どうなのか・・・。
でも、私は根がまじめなので、土曜、日曜と一本づつ点滴を受けに通った。

月曜日に先生に見せると、すっかり良くなった私を診て、一週間後にアレルギーの血液検査結果を聞きに来るようにと言われ、完治したこととなった。

蜂刺されは完治したのだが、どうも身体の調子がおかしい・・・・。

28日には朝から足の裏や手のひらが少々痺れる。ステロイドのせいなのかもしれないし、血糖値があがっていたこともあり、ちょうど急性肝炎になる前にかかりつけの土井内科医院で血液検査をしていたこともあり、その結果を聞きに行きがてら、この症状を相談した。
『様子を見ましょう。』だった。
次の日は、済生会病院に急性肝炎の再診の日だったのだが、朝から尿の出が悪い。予約の11時頃には、どんどん悪くなっている。
相変わらず、足の裏に痺れまでもいかないが違和感がある。
血液検査は、やはり以前の数値で、問題はない。痺れや尿のことはステロイドと関係はないと診断され、ひとまず様子見で、自宅に帰ってくるが、3時ごろには、何やら熱まで上がってくるし、なおいっそう尿意はあるが尿が少ししか出ない。

今度は、済生会病院の泌尿器科に電話で症状を告げ、また出直した。
泌尿器科にかかると、超音波での前立腺の確認や再びの尿検査。結果、多少の炎症がみられるが、先日来、薬(抗生物質)をだいぶ投与されておられるので、『薬はやめて様子を見ましょう。また熱が出たら来て下さい。』

前立腺には異常がなく、まぁ年相応ということで安心はしたものの、夜が心配だった。

案の定、夜になると熱も微熱が続き、尿意があるものの少ししか出ない。
15分から20分で尿意がある。 「膀胱などに炎症があり尿が溜まっていないのに、尿意が生じ、結果尿がないものだから少ししか出ない。」と、こういうことのようだった。
この夜には、あまりの頻尿にペットボトルを半分に切断し、それを寝床で尿瓶代わりに使った。

これではやはりたまらない。熱も38度ある。30日の午後、もう一度、済生会病院の泌尿器科にかかった。

医師が違ったのだが、昨日の医師とやはり同じ見解で、「水をたくさん飲んで膀胱の菌を流し出しましょう。」という指示と共に、熱があったのでマイルドな抗生剤を貰って帰って来た。

熱はその薬のおかげで、引いたが、31日の今に至っても、尿意の改善がないのはどうしてなのだろう?
水も結構飲んでいるのに・・・。暑いから、尿になる前に汗で出てしまうのか・・・・。いったいどのぐらい飲めばいいのだろう。
しかし、こうなった原因というとは、私自身の老いなのか、蜂なのか、ステロイドの後遺症なのか原因ははっきりしないままである。
言えることは、蜂に刺され、ステロイド系のソルメドロール、メチルプレゾロン500ccを5本投与後の症状であることは確かなのだが・・・。

明日から8月。さんざんな7月だった・・・。

うん?来月も続くのかぁ・・・・。




うだうだ | 17:45:00 | Trackback(0) | Comments(1)
胆石が見つかった
三日目になると、高熱も下がった。ただ、夕刻には38度くらいにはなるが、解熱剤の投与をしなくても平熱近くまで下がるようにはなった。
この日、胆石の様子を見るために、またこれも初めての体験。MRI検査を受けた。
胃や他の臓器の見分けがはっきりする為に、結構な量の・・・たしか・・・(造影剤マグネシウム?)液を飲まされた。
これは、後で、分かることなのだが、私にとっては、どうも無駄なようだった・・・。
両手が万歳状態で、狭い筒の中に入れられ、お腹の辺りを断層撮影する。
狭い空間で「ガリガリガリ・・・」の音が恐怖心をあおる。息を止める間隔最初は戸惑ったが、最後には慣れた。
土曜日になって、ようやくDrよりMRIの結果が知らされた。

やはり、胆嚢に、小さな石が二個写っている。Dr曰く、もしかして、急性肝炎の原因は、三個目の石が胆管に詰まって肝臓に胆汁が行かなくなり、肝臓が悲鳴をあげたのかもしれない・・・との見解。
もう一つは、通常の健康な人なら何ともないはずのウイルスが肝臓に悪さをしたのかもしれない・・・と、実に曖昧な検査診察結果だった。
なので、退院した、現在も、何が原因で肝炎になったのか、分からない。
普通は完治するまで一ヶ月はかかるそうだ。
今、退院してきてからまる一週間が経った。高熱で知恵がついたのか頭も入院以前より研ぎ澄まされた感じ。点滴のおかげとはいえ、身体は、実に爽快なのだから不思議。
これから定期的にメンテすると良いのかも・・・。
青年期からしばらく『快適な身体』の状態を忘れていた感がする。
しかし、相変わらず、脂肪肝の症状は残るわけだから、せいぜいダイエットに励むことにする。
特に脂質の摂取は控え、毎日30分以上は歩かなければならないことは確かなようだ・・・。

また、いづれ、胆石の手術を受けなければならないようだが、しかし、漢方か何かで、溶けたり流れ出さないないものか・・・。
まだ、気が抜けない日々が続きそうだ。 
10月で59歳になる・・・。
こんな時期なのだろう・・・。

おわり


うだうだ | 07:51:04 | Trackback(0) | Comments(0)
急性肝炎と潰瘍と『収用』と胆石
 Drの第一声は「胃よりも、肝臓の数値が悪すぎる。入院です。」なんでも病名は急性肝炎というそうで、原因が良く分からない。
点滴室に移動し、身体を横にし、意識朦朧の中で点滴注射となった。
入院支度を終えた女房が再来した頃には2本目の点滴の最中で、その後も針を抜くこともなく、栄養、抗生物質、看護士曰く体液に近いポカリスエットのような何からしいが、その3種の点滴を、退院する一日前の12日まで続いた。
管に繋がれたまま眠るのは、初めての経験なのだが、やはりどうしてもぐっすり眠れない。
安静な状態で、2日目を迎えた。

高熱が出たり下がったりで、高熱にうなされた中で、5分から10分間隔で 聞こえてくるボケ老人の発する大声、「おーい」「まちこぉ~」の声が未だに耳に焼け付いている。
「まちこ」ってどんな人なんだろうと、そのボケ老人の絶対的に信頼している奥様(後で看護士に聞いた)ってどんな人なんだろう・・・とうなされながら考えるのだから、余裕といえば余裕なのだが、相変わらず2日目の夜にはまだ39度を超えた。

2日目の昼頃、やはり胃の辺りの鈍痛で入院したはずなのだから、お決まりの胃カメでの検査があった。
先に書いたように、私は極度の口内異物混入異常反応を癖としている。
Drに「全身麻酔でやってくれないか」と懇願するが、笑いながら、「麻酔の穏やかなのを注射をします。」という返事があった。あまりにニコニコ顔のDrの笑顔にちょっと安心した。「任せよう」と思った。

なにせ、生まれて始めての胃カメラなので、病室からその検査室に向かうことも緊張しぱなっし・・・。
「胃粘膜がとれるので、これをお飲み下さい」といって助手がコップいっぱいの液を私に手渡した。
カメラの写りが良くなるらしい。
これだけでも気持ちが悪くなる。我慢して飲み干すと今度は、「口を開いて下さい。」「少々苦いですが、麻酔です。」恐る恐る口を開けると、少々どころではないそうとう苦い液をのどの奥に噴霧された。
思わず嘔吐くとしばらく待って、また丁寧に噴霧された。 私が嘔吐いているその間に軽い麻酔液の点滴をもう一つ追加し、同時に、私の意識を鈍感にしたようだった。

私は、カメラが口から入りやすいように、マウスピースをくわえさせられ、されるがままの状態となった。
「はい、終わりました。」というDrの声で検査が終わったことを知ったのだが、検査中のことをぜんぜん覚えていない。たいへん楽な検査だった。
私の記憶では、早く終わった印象なのだが、きちんと検査をしたと聞いた。

 まるで私の身体は何もなかったかのように、検査後も爽快で、検査後1時間半後には遅れていた昼食もしっかり食べ、おびえていた「胃カメラ検査」は一応何ともなかったのだ。
検査結果は、もっとも恐れていた胃癌などではなく、ちょっと十二指腸が潰瘍ぎみとのことで、この春ぐらいから、私の聖地、仏画工房 楽詩舎が、高速道路建設に伴って、敷地部分の最も重要な部分が『収用』にかかった。
残った残地(工房そのもの)が使い物にならなくなるので、現況を復旧して貰う為には残地収用しかないのだが、これを、国交省や京都市との間でいろいろ訳のわからない理由を言われ、私の当然の権利がスムーズに聞き入れて貰えなくて、ホトホト困っている。
こういった人種との交渉事はまったく初めてで、誠実そうで、実は不誠実であったり、まったく何を考えているのか、世間づれしていない私には読めない。
こんなことで、イライラすることが多い昨今であったのだが、これが潰瘍の原因だと思われる。

「知的なやくざ」のようなやり口で、収用法という大きな国家権力を盾に、そんな特殊な法律に疎い地権者にあの手この手と挑んでくる手法は、絵の制作以外に神経を使ったことのない、純粋無垢な私にとっては、誠に疲れっぽい交渉ごとなのである。

また、このことについてはいっぱい書きたいことがあるので、改めて書く事にするが、とりあえず、初めての胃カメラ検査が無事終わり、胃もたいしたことはないそうで、一安心ということだった。

Dr曰く、あとはMRIで、胆石の検査をするとのこと。金曜日の10日まで、急性肝炎になった原因が分からないまま、また点滴の管に繋がれたまま病室で過ごすことになった。 

つづく

うだうだ | 16:12:03 | Trackback(0) | Comments(1)
五十年ぶりに入院しました
初めての胃カメラ

8日の深夜2時ごろ、胃の辺りに鈍痛を覚え目が覚めた。
やたら暑い寝苦しい夜だったので、汗びっしょりだった。微熱もあったのかもしれない。
朝までそのまま鈍痛を堪え、医者に行くことを覚悟した。
胃癌かもしれない・・・・。胃カメラを飲むことになることは明白・・・・。

私は、口に異物が入ると、嘔吐く性質なので、歯医者が口に入れる金属の鏡だけでも過敏に反応し、医師が治療できなくなる。そんな敏感な私が胃カメラなど飲み込めようはずがない。
胃癌だったら・・・さぁ、どうするのか・・・・。
鈍痛と、胃カメラのプレッシャーで眠れようはずがない。

朝になり、妻にこのことを話すと、すぐさま病院へ打診してくれた。
胃カメラの覚悟をした。
8時半、自宅近くの長岡京市にある済生会京都府病院に、妻の運転する車に乗って、外来患者として行った。
微熱のせいか、寒気がしたので、上着を取りに戻ったことを覚えている。
9時、かなり熱が高くなってきた。立っていられない。
内科の診療室前のイスに座り、体温、血圧測定と血液検査を受け、診察の順番を待った。
39度あった。
胃腸の専門医・塩見Drの前に座る時には、フラフラで思わずDrの机に肘をついて顎を乗せ、意識朦朧の中で話を聞いた・・・・。

つづく

うだうだ | 09:18:10 | Trackback(0) | Comments(0)

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