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伝教大師最澄御影
昨日、善峯寺のご住職と副住職の三人で延暦寺に行って来た。

私が描かせて頂いた『絹本着色・伝教大師最澄御影』の奉納の儀に参列した。

昨年はじめ、善峯寺のご住職より伝教大師最澄の御影制作の依頼があり、延暦寺に奉納したいとの意向を聞き、快諾する。
すぐに善峯寺を通じて延暦寺参拝部長の山本光賢師との間で相談。御姿のイメージを固める作業を始めた。

やはり、お坊様方は、法華山一乗寺の天台高僧御影(国宝)のイメージが強いようだし、実は、以前にもその国宝の御影を写し、天台宗寺庭婦人連合会にお描きしていることもあり、私のイメージもそうだった。

伝教大師最澄のことを私なりに簡潔にまとめると、そもそも最澄は、802年に入唐求法の還学生に選ばれたエリート学僧だった。
そのエリート学僧である最澄は、自費で入唐し、惠果阿闍梨から真言密教を持ち帰った『空海』に、本来なら意地でも教えを受けたくないとなるところだと思うのだが、一人の求法者として空海に典籍を借りたり灌頂を受けたりと、この蟠りのなさが、最澄の人柄の良いところ。ただならぬ求法、求道の精神を見る思いがする。
空海の下で、真言密教を学ばせようと預けた弟子のうち泰範は、二度と最澄の元に戻らず、空海に師事したままとなった。
最澄は、それでも、「理趣釈経」の借用を申し出ようとする。しかし、結局、空海は、法は「文章修行ではなく実践修行によって得られる」との見解を示して以後、交流は相容れなかった。
下世話に表現するなら、たぶん、空海は最澄の直向な理論求法の精神(肉体を労せず法を得ようとする純粋無垢な姿勢)にあきれ、慄いたのだろうか。

こんなエピソードから、伝教一途といわれる最澄さんのお姿が浮かんでくる。
『空海』の男性的で超人的なイメージとはまったく違う、純粋、無垢、求法者、求道者・・・まさに菩薩そのもののお姿。求道者としての直向な信念の炎が内に青白く燃えてはいるが、一切の人間的な邪念煩惱がない、そういったイメージができる。
私のイメージでは、あまり男性的なお姿は浮かんでこない。男性的な空海と対照的で、美しい菩薩の様相なのである。

ということで、法華山一乗寺の国宝御影が、最澄さんのイメージどおりと落ち着いたわけである。
そのお顔は、やや横を向いて描かれているので、それを正面に向いてもらった。そのイメージを大切に描いた。

山本師は、延暦寺会館のコンベンションホール正面ステージに年間20回程度は掲げたいと言われる・・・。
軸装での使用頻度は過酷だし、痛みも早いと思う。が、仏画は、使われて用を成すので、仕方がない。

コンベンションホールのステージに掲げた『伝教大師最澄御影』は、サイズ的にはやや小ぶりかと思っていたが、意外と、広い会場に馴染んだ。
往々にしてこういったものである。

延暦寺執行(しぎょう)の武覚超 権大僧正を導師に、奉納の儀が執り行わられ、厳かに無事終わった。


奉納の儀の後、山本参拝部長が「浄土院の最澄さんの廟にお参りしませんか。」とご案内頂いた。
昨年、私の所属する仏教クラブでも参拝し、山本師にご案内頂いているのだが、二度目のお参りとなった。

ということで、本日は、あの比叡山一の聖域といわれる神聖な霊気漂う浄土院の空間で、私の魂が、共鳴し感じたことを書き留めたくてキーボードを叩きだした。


正式には、「比叡山延暦寺東堂西谷浄土院御廟所」というらしい。
この伝教大師御廟内の拝殿の前で、4人で読経する。静寂の冷気の中、御廟に読経が響き渡る。と言っても私の読経はいい加減なもので、年季の入った御三名のお坊様の読経についていくだけなのだが・・・・。

12月22日の空気は冷たい。厳かな霊気と我々の凍えた身体とが重なり合い、次第に寒さを感じなくさせる瞬間である。

聞くところによると4層構造になった拝殿の奥にその最澄さんが鎮座されているそうだ。
読経の中、生きた最澄さんが、やさしく微笑みながら見つめておられるようなそんな錯覚を覚えた。

読経を終えると、山本師から、その浄土院で、十二年に渡り篭山し、生きている最澄さんに食事を用意し、辺りを掃除するという『侍真僧 渡部光臣師』のことをお聞きすることが出来た。

師は、12年の間この廟の塀の周囲の外には出ない。
いや12年後でも次の志願者が出てこない限りこのお世話をし続けるのだそうだ。今年の4月からこの侍真僧となったそうだ。37歳だそうだ。

何の見返りも求めず十二年籠山行(侍真僧)を実践中の一人の直向な青年僧のお話をお聞かせ頂いた時、思わず浄土院に向かって合掌してしまった。



工房に帰り、この侍真僧のことをネットで調べると、渡部師のことが記事にあったので以下に転載しておく。

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【■比叡山延暦寺 渡部氏、難行「好相行」を成就(仏教タイムス)】

比叡山延暦寺一山本行院の渡部光臣住職(37)が難行「好相行」を先月満行し、今月11日に同寺大乗戒壇院で大乗菩薩戒を自誓受戒することになった。

。受戒後は戦後7人目の侍真僧として祖廟・浄土院で「十二年籠山行」に入る。

「好相行」は、比叡山に伝わる難行の一つ「十二年籠山行」に入る前に修めなければならない行法で、一仏に対して焼香・供華し仏名を唱えながら不眠不臥で五体投地を1日3千回繰り返す。これを毎日続け、仏の「好相」を感得することで満行となる。「好相」とは、梵網経には〈仏来りて摩頂し、光を見、華を見る種々の異相にして、便ち罪を滅することを得るなり〉と説かれている。

渡部住職は6月16日に「好相行」に入り、75日目の8月29日午後1時頃、「好相」を感得、これが先達によって証明された。「好相行」成就で渡部住職は11日に延暦寺東塔の戒壇院で大乗菩薩戒(十重四十八軽戒)を自誓受戒し、祖廟・浄土院で十二年間、伝教大師の真影に侍る侍真僧として籠山行に入る。

渡部住職は昭和47年6月、兵庫県生まれ。山形大学理学部地球科学科卒。会社勤めを経て平成14年4月、叡山学寮第5期生として入山し同年10月得度受戒。その後比叡山行院、叡山学寮、本山交衆の諸課程を遂業し今年4月、本行院住職に就任した。

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【■戦後7人目の「侍真」僧に 延暦寺 渡部光臣さん (京都新聞)】
天台宗の総本山・延暦寺(大津市)で、1000日回峰行と並んで厳しい「12年籠山(ろうざん)行」を修行中の渡部光臣(こうしん)さん(37)が11日、戦後7人目の「侍真(じしん)」僧となる儀式に臨んだ。仏の姿や光を感じるまで、五体投地の礼拝を1日3000回続ける好相(こうそう)行を行ってきた。

 この日の儀式「自誓受戒」では、半田孝淳・天台座主や武覚超・延暦寺執行ら高僧ととも戒壇院に入り、厳しい戒律を守り、宗祖に仕えることを誓った。

 渡部さんは4月から12年籠山行に入り、6月16日から好相行を始めた。72日目の8月29日、仏を感応する境地に達したことが認められた。

 2021年3月まで、比叡山で最も聖域とされる最澄の廟(びょう)所のある浄土院にこもる。午前3時半から午後9時まで礼拝や読経などの日課を務めながら、境内を落ち葉一つ残さず、雑草1本生えないよう掃き清める。その厳しさから「掃除地獄」とも呼ばれる。

 昨年3月に12年籠山行を満行した宮本祖豊さん(49)は、仏に感応するまで600日かかったという。「『仏はいないのでは』と迷いが生じ、精神的に苦しかったが、信心が確信に変わると喜びで体が包まれた。回峰行が『動』なら、籠山行は『静』の修行にあたる。宗祖に日夜お仕えする喜びは大きい」と話した。

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■また、http://www5d.biglobe.ne.jp/~yuyujuku/hiei/syugyo.htmに、その『侍真』のことを詳しく書いてあったので、抜粋転載しておく。

----------------------------------------【侍真】--------------------------------------------------
  
侍真僧の一日は午前三時半から始まる。谷底のような窪地にある浄土院拝殿の四方の戸が開けられる。人の気配も鳥獣の声さえない時間である。
侍真僧の日課は延暦寺条例第八号「浄土院祖廟規定」によって決められている。その用語は一般には馴染みのないものであるが、概要は次のようになっている。

午前三時半   出定(起床)・開拝殿戸
午前四時    朝課(依国清百録敬礼法)所為祈念・梵網菩薩戒経・心経七巻・宝号七返
午前五時    侍真備御小食(大師宝前)献供作法・大黒天法楽
午前五時半   侍真小食
午前六時半   弥陀供一座・護国三部経読誦・大般若真読真言等
午前十時    献斎供養(大師宝前)・献茶(大師・弥陀・文殊)
午前十時半   侍真斎食
午後四時    晩課(依国清百録敬礼法)敬礼三宝・梵網菩薩戒経論読)
午後五時    閉拝殿戸
午後九時    入定(就床)

規定によれば侍真の食事は午前五時半と午前十時半の二回である。これは伝教大師にお供えしたものを戻していただくのである。
この規定は安楽律の霊空の侍真制復興の時に制定された「開山堂侍真条例」によっているという。朝課、晩課にある「依国清寺百録敬礼法」というのは、中国の天台知者大師が天台山での日課として定めた「国清百録」の中の敬礼法で、そこに伝教大師の大乗菩薩戒の主張を取り入れ、梵網経・法華経・金光明経・仁王般若経などの読誦を加えたものと言われている。
侍真僧はこうした日課の他に大師廟前の掃除、自分自身の修学を行わなければならない。浄土院は比叡山でも特に湿度が高く、冬は雪が降り積もり、寒さは厳しい。現在籠山中の宮本祖豊侍真の話によれば廊下に濡れた雑巾を滑らせると、凍りついた板の上を走っていくときもあったと言う。その湿気、寒さに耐え、十二年の籠山は全うするのも並大抵ではない。
このように厳しい籠山行であるが、侍真になるためには大きな関門を通らなければならない。それは「好相行」と呼ばれるもので、「一仏に対して一々焼香、供華し、各仏名を唱えながら五体投地の礼法を一日三千回、不眠不臥して繰り返す行法」であると言われている。(武覚超「比叡山の行」)
 五体投地というのは全身を床に投げ出して行う礼拝行で、この行は過去の罪を懺悔し、身を清浄にして仏の好相を感得するまで無制限に続けるもので、感得したかどうかの判断は先輩侍真に委ねられる。感得した仏の姿、そのときの状況を先輩侍真が好相行の体験によって判断する。「好相を見る」とはどういうことかと言えば、「梵網経」によると、
「好相とは、仏来りて摩頂し、光を見、華を見る種々の異相にして、便ち罪を滅することを得るなり」と説かれている。
延暦寺執行清原恵光師は、「好相感得そのものが日常体験を超えた次元だけに、この行にいどむには並々ならぬ不退の決意を要する」(「最澄を辿る」)と述べられている。
意識が朦朧とし、無我の状態になったとき、あたりは光と華に包まれ、その荘厳な世界に仏が現れるのだろうか。
その劇的な瞬間をまわりのものも感じると言う。
こうして好相を見た後、戒壇院で釈迦如来の前で、自ら誓い、受戒(自誓受戒という)し、十二年の籠山に入ることが出来るという。

私は比叡山に取材に行くと現侍真宮本祖豊師に会うことを楽しみにしていた。
宮本侍真はいつも穏やかで、優しげな表情で迎えてくれた。北海道出身で、浪人中人生に悩み、得度したという。
お話しをしていると、襖の向こう側から伝教大師が「お茶をおくれでないか」と声をかけてこられそうな、静かで、時の流れを超えた至福の時間を味わった。
比叡山は伝教大師が奈良仏教と決別し、山上に小さな草庵を結び、山修山学の道を切り開いてからおよそ千二百有余年、伝教大師の「志」を伝えてきた山である。
「伝教」。根本中堂の中陣に掲げられた「伝教」の勅額(昭和天皇親筆)は、「教えを伝える」伝教大師最澄の「志」を私たちに教えているのかも知れない。

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ということで、現代仏教が、葬式仏教だとか退廃しているとか、いろいろ耳にするが、こういった直向な仏道を歩む若い僧が居る事実に読者はどうお感じになるのだろうか・・・。
歴史ある延暦寺に『伝教大師最澄御影』を描かせて頂いた者として、このことを私の心に大切に留めておきたく、まとめてみた。
魂の洗われる一日であった・・・・・。



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仏画 | 11:03:54 | Trackback(0) | Comments(0)
明るい笑顔は周囲を優しい空気に包むこと間違いなし
明るい笑顔は周囲を優しい空気に包むこと間違いなし。

そりゃぁ、そうだ!!

告知 | 09:56:13 | Trackback(0) | Comments(1)

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