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twitter を再開
最近、ふとしたことから、twitter を再開した。
昨年の今頃だったか、登録はしたものの、何が便利なのか、何が良いのか理解できなかった。

このブログの投稿記事の下にもいつの頃からか「ツイートするボタン」ができたが、自分のホームページに、フォローボタン等を貼り付けることで、私の疑問が吹っ切れた。

この作業をしないと、ツイート内容が検索可能にはなるが、おおむね、ただただ友人同士で短いメールのやり取りをするようなことにしかならない・・・。

あくまでも読まれることを念頭においた受け狙いの独り言を、フォロー(追跡閲覧)してくれている友人に伝える・・・といった、見られたい、聞かれたい、といった誰にでも潜在的にある心理をくすぐる。

そもそも、英語の「tweet」は、「小鳥のさえずり」といった意味の語である。ちなみに「twitter」という語も、小鳥がちゅんちゅん鳴く、さえずる、といった意味があるそうだ。
日本語版のサービスでは、当初「つぶやき」と表現されていたが、2009年の後半頃からは「ツイート」の表記が正式に用いられているようだ。

ということは、本来なら小鳥のさえずりのような心地よいツイートが理想なのだろう。

では、私がこの twitter になぜ興味を示したかというと、自分のその時の気分や思い、それとその時の心境等気軽にiphone等から書き留めることができることに尽きる。

他人のことはわかるが、自分のことは客観的にはわからない・・・。
記事の修正はできないが削除はできるそうだが、記事を自分で削除しない限りこのツイッターは、生身の自分を映し出す。
自分の正体が見えてくる気がする。

また、当然ながら、私のツイートにフォローしてくれる誰かが少しずつでも増えて、その中でもニコッと笑ってうなずいていてくれている人が居ることを少なからず期待している私もいるのだから、おもしろい。

楽しかった事や興味のあること、怒っていること、そういった自分の「魂」に共感してくれる誰かと繋がっていたいのだ。
魂などとわけの分からない表現をしたのは、自分が心地よく感じたり数多い音楽の中からの自分の好みなどには理由がないからだ。
こういったものはもともとDNAに組み込まれているか「魂論」でしか語れないだけに共感できる誰か(同じ種類の魂)を求めてしまうのかもしれない。

ブログでは、長々と書いてしまう癖がある私にとって、140文字以内で自分の思いを綴ることはむずかしいことではあるが、例えばこのブログをリンクして、ブログのタイトルと共にリンクツイートすることも可能なので、短いメッセージと言えども、なかなか便利な意思伝達アイテムとなった。

いまのところ、このブログと同じように、「私のうだうだ」と「私のご意見」をメインに、「私自身がブッダの真理の言葉を親しみやすいように現代語にアレンジしたもの」「私の好きなOldies動画の紹介」「私の好きな格言」「私の気になるニュースやツイートのリツイート」等、仕事の合間にまめに発信しようと思っている。
61歳のジジィという厄介な世代に片足をつっこんだでしまった仏絵師が、日頃何を思い、何を感じているのか興味をお感じの方は、twitter にアカウントを登録してぜひ、フォローして欲しい。m(__)m


うだうだ | 13:51:25 | Trackback(0) | Comments(0)
信仰なくして道徳に根を張らすことは出来ない。
18日、中国広東省仏山市で2歳の幼い少女が、比較的人通りの多い商店街で、2度も無残にひき逃げされた。
瀕死の幼女を助けることも無く18人の通行人が倒れる幼女を脇目に通り過ぎる姿が近くの店の防犯カメラに映っていた。
昨晩のテレビで、このショッッキングな映像を流し、恐ろしいほどの中国人民のモラルの欠如を指摘していた。
今朝から、一日中、昨晩のこのニュースのおかげで胸糞が悪い・・・。
中国人民のモラルといった次元ではない。人間性の欠如、仏教的に表現すると、今や中国は、経済急成長の代償として、「餓鬼たちの住む世界」を作り出してしまった。

餓鬼道・・・。地獄道、餓鬼道、畜生、修羅道、人間道、天道(浄土ではない)等六道の内、下から2番目の世界ということか・・・。

中国の真っ当なメディアや「新唐人テレビ」も盛んにこの異様な光景を放送し、これではいけないと国民に訴えている。
http://www.ntdtv.jp/ntdtv_jp/society/2011-10-23/872858847545.html

中国政府の今までの政策に矛盾がある。
人権無視といった根本思想の上に急速に経済至上社会を作り上げた。捩れた自由という矛盾で塗り固めた中国社会の価値観がそういった「面倒なことには関わらない」といった生きる知恵を身につけさせたのであろう。
自分の権利を主張できない社会では、内から湧き出る社会的・人間的責任感も育たない。

文化革命では、先人たちが培った素晴らしい伝統文化や宗教・信仰心を捨てた。
その時点で、国民一人一人の権利の喪失に伴い、道徳観を育むことが出来なくなった。
統率できることといえば、武力と暴力といった政府に都合よく作った法律に名を借りた国家権力。
それと、今では「お金」といった経済活動に不慣れな人民にとっては、得たいの知れない大きな魔の力が襲いかかっているのかもしれない。
道徳観は、宗教なくしては育たない。

「信仰なくして道徳に根を張らすことは出来ない」(トクヴィル)

私がネットをはじめた14年前、送信するメールの文末には、私の住所氏名と共に、必ずこの格言を貼り付けたことを思い出す。
宗教観や人生哲学を持たない一部の若い世代には、深い道徳観念が育たないことを懸念していた。それを確信していたからだ。

中国政府は、この件で、信仰を人民に返そうと反省するのであろうか・・・。

もちろん、わが国も、そろそろせめて世界三大宗教(キリスト教、イスラム教、仏教)の共通した理念や根本思想を教育の場できちんと教え伝えるべきだと思う。

中国ほどにはないにせよ、弱肉強食が当たり前の世界が迫ってきている。

わが国を餓鬼道にしてはならない。



うんちくひけらかし | 17:45:36 | Trackback(0) | Comments(0)
無憂樹 と おにぎり と 植物園
無憂樹01  無憂樹02 無憂樹03

無憂樹
 2500年以上も前、北インドのカビラ国で、6本牙の白象がお腹に入って来る夢を見て身籠った摩耶夫人(マーヤ)が、ルンビニ園(現在はネパール国内)にて、「無憂樹」の花があまりに見事に咲いていた為、その花房を手折ろうとして右手を上げた瞬間、夫人の右脇からお釈迦様が生まれました。
お釈迦様は、すぐさま7歩歩き、「天上天下唯我独尊」と発声したと言われている。

何年か前に2度もそのルンビニに行っている。
遺跡に植えられた無憂樹の樹をなんとなく見てはいるのだが、マメ科の樹であったことは記憶があった。
でも、訪れた時期には花が咲いていなかった為に印象がいまいちだった。

今回は、仕事のこともあって、その無憂樹の樹を再度確かめるため、その樹を求めて、京都府立植物園に行って来た。

一昨日、植物園に電話を掛けて、無憂樹の樹の存在を聞いた。係りの方がリストの中からそれをみつけ「観覧温室にあります」という応えだった。
昨日も天気が良かったので、工房の皆と「自転車で行ってみるかぁ!」と、いつもそうなのだが、急に計画を企てた。
おにぎりを持って、片道12Km。
今の元気な私にとってはなんてことはない。
11時に出発して12時に到着、自転車を停め入園。1人200円3人分を支払った。4人目の私はというと、60歳以上ということで「無料」だった・・・。
温室に入るには、あと200円づつプラスした。もちろん私は無料。

うれしいやら、かなしいやら・・・。

無憂樹の花は6月頃に咲くそうだが、実際に見るとその葉の大きさや構成、構造、質感を感じ取ることができた。
これで、ネット上にある他の無憂樹の画像を見てもすんなりとイメージできるというものだ。
(※上の花の画像はネット収集より無断掲載です。)

おにぎり と 植物園
 37年以上も昔のこと、図案家の師匠の下で修行中の頃、24歳の頃、今の妻と付き合っていた・・・。
日曜日、朝早く洗濯を済ませると、そそくさと最寄の駅、阪急電車の桂駅から乗り、河原町駅で降りて合流、彼女の握った手作りのおにぎり二人分を持って鴨川の堤を歩いて植物園へ行った。
夕方まで、図案に必要な花を写生する。彼女は写生する私の傍らで何をして待っていたのだろう・・・、記憶がない。
そうして夕刻まで植物園で過ごすと、また鴨川の堤を二人で歩いて四条まで帰った。
そこで彼女とは別れて私は師匠の家に、彼女は下宿先へと帰った・・・と思う。
余談だが、記憶というものは、ほんとに曖昧で、もし、事件にでも巻き込まれアリバイなど証明しなければならなくなった時などどうしましょう・・・と思ってしまう。

その日のデート経費は電車賃のみ。当時、二人とも極力節約していた。

遠い昔のお話である。当時の日曜日は、たいていそんな風に過ごしていたように思う。

その植物園に37年ぶりに行ったわけである。
植物園の中が何が変わっているのかまったく思い出せない。
昔の園内の様子の記憶が私の頭の中になかったから不思議・・・。
ただ、蒸し暑い温室の中でカトレアを写生していたことは思い出した。

昨日も37年前と同じように彼女の握ってくれたおにぎりを植物園で食べた・・・ことになる。
37年ぶりのおにぎり。

2時に植物園を出発して、計画通り3時には無事に工房に帰って来た。往復24Km。
夕方、これにも増して7Kmの登りの道程を自転車で帰ったのだから、しめて31Km!!
61歳にして一日における最大の自転車移動距離となった・・・。

 以下に「仏教三大聖樹」を挙げておく。

お釈迦様が、この樹の下で「誕生」された聖なる樹「無憂樹ムユウジュ」。
お釈迦様が、この樹の下で「悟り」をひらいたとされる聖なる樹「印度菩提樹インドボダイジュ」。
お釈迦様が、この樹の下で「入滅」されたとされる聖なる樹「沙羅樹サラジュ」。


うだうだ | 11:04:17 | Trackback(0) | Comments(0)
震災復興担当相の発言
「津波から逃げなかったバカなやつがいます」

「(津波被害を受けた)現地で何が起こったのか。これもさまざまな角度から検証が必要です(中略)。前の津波の経験からここの高さに逃げていれば大丈夫だと言ってみんなで20~30人そこに集まってそこに津波が来て、のみ込まれた方々もいます。逆に、私の高校の同級生みたいに逃げなかったバカなやつがいます。まあそういったね、彼は亡くなりましたけれども、バカなやつって言われてもしようがないですけどね、そういったことも全部、一つ一つ検証して、次の震災に役立てることがもう一つの大きな課題だと思っています」

という発言が本当らしい。

逃げられるのに逃げなかった人は、油断の他にもいろいろな事情があったのかもしれないが、何が何でも生き抜くといった人生観点からいえば、バカなのだろう。

バカには、何種類かあって、自分の命を顧みず他人を救おうとして命を落とす人が居る。
そういう人のことも、その人を慕う人から言えば、愛すべきバカなやつなのだ。

それとは反対に、同じ被災者を蹴落として自分の命を永らえた人もいるだろう。
そういった人をどう表現すればいいのだろう・・・。賢い人と言えるのだろうか・・・。

被災し、どういった理由か分からないが、逃げようとしなかった同級生の死を、個人的な想いや愛をもってバカと表現した震災復興担当相の発言の真意は、発言の前後を聞けば十分理解できる。

もちろん、身体が不自由で逃げ遅れ被災された方の身内の立場からすれば、彼の立場上から一般論と捉え、「バカとは、何だ!」と怒る人も居るだろう。
でも、ちょっと冷静に考えれば彼の発言の真意は理解できること。

被災そのものが異常な状況であったし、我々は今もその傷をひきづっていることを忘れてはならない。

逆に、そういった想いのある人を、揚げ足をとり、蹴落とそうとするわけの分からない「大きな魔物」の存在を感じてしまう。

住みにくい嫌な世の中になったなぁ・・・と、つくづく感じる。

今日は、お天気が良いので、工房の皆と自転車に乗って、おにぎりを持って、植物園に行って、「無憂樹」の樹を愛でようと思っています。

従いまして、11時から3時頃まで、京都・仏画館は閉館となります・・・(^^;


ご意見 | 08:35:17 | Trackback(0) | Comments(0)
いつか通った道
浄住寺/地蔵寺/西芳寺(苔寺)/鈴虫寺/月読神社/松尾大社と『京都・仏画館』
苔寺南側の門 看板 苔寺2

昨日は61歳の誕生日。
朝、自転車で工房に到着すると、ちょっと仕事をしたあと、1人で『旅番組』の録画を観た。
近所の松尾中学のグラウンドでは、松尾学区区民体育祭が行われていた。
場内アナウンスの声や声援が聞こえていた。

午後4時頃、あまりに天気が良いので外に出たくなった。
自転車に乗りたいので、いつもより早いが帰宅することにした。
自宅へ帰る道を大きく変えてみた。
桂川の堤を南に進み、伏見区久我の曹洞宗の開祖、道元禅師誕生の寺といわれる誕生寺まで遠回りし、そこから向日市経由で自宅に帰った。
しめて17Km。アップダウンもあったが別にどうってことはなかった。
私の体もけっこう自転車に慣れた。さわやかな季節のおかげか、とても気分良く帰る事が出来た。

誕生日だったので、女房が気を利かせて、好物のかしわ(鶏肉)ですき焼きを作ってくれた。
朝から、地鶏を飼育している大原野の佐藤鶏肉店に『ひね鶏(親鳥)』をつぶしてもらうように御願いしておいたのだ。
私は、柔らかい歯ごたえよりしっかり噛むと味わえるような硬い肉が好きなのだ。
昔、スリランカのアヌラーダプラのホテルで食べた硬い水牛の肉の味が忘れられない。
年をとって歯が使いものにならなくなる前に、食しておきたい一品だ。
ダイエット中なのでお誕生日特別メニュー、久々のボリューム『かしわのすき焼き』はやはり旨かった。疲れたので22時に床についた。

夕べ早く寝たせいか、今朝も5時半に目が覚めた。
朝食を済ませ、6時45分に自宅を出て、自転車で工房に向った。
今日の世間は体育の日でお休み。通りには人の姿といえば、リハビリで散歩中の中老年の姿か70歳~85歳前後の本物の老人の散歩姿が目立つ。
若い人など1人も居ない。
近い将来、昼間でもこういう光景が多くなるのではと本気で心配する・・・。

いつもは素通りする上桂付近の坂道を、連休をエンジョイする親子連れの自転車につられて後を追った。
自転車で通うようになってから、かねてより気になっていた急な登りの坂道だった。
その父親と子供の3人連れは、どんどん遠ざかって行く。
かろうじて、自転車を降りずに上がりきったそこには、りっぱな葦ぶきの門構えの旧家があった敷地にして600坪ぐらいか、そうとうな旧家であるが人が居ないようだった。表札も見えない。

そこから松尾地区に向け、「浄住寺」「地蔵寺」「西芳寺(苔寺)」「鈴虫寺」「月読神社」「松尾大社」へと、その先は嵐山の山麓に続く。
この観光寺院でやはり圧巻なのは、世界遺産「苔寺」であろう。
往復ハガキで申し込みをしないと、入山させてくれないそうだが、その寺の南側の整備されすぎた谷川のせせらぎと平行に続く道を散策してみようと自転車を走らせた。
苔寺の南の山門越しに見る境内は、やはり気品があって美しい。まだ入ったことはないが、さぞかし緑の苔が美しいのだろう。垣根越しに見える境内のそれで十分想像できる。

この道がどこまで続いているのだろう、散歩の帰りだろうか、ちょうど山の方から犬と歩いてくる中年の男性に遭遇した。
聞いてみた「おはようございます、この道はどこに向っているのですか?」「この道ですか?林道なので、山に向ってるだけです。」「そうですか!もうちょっと先に行ってみます。ありがとうございました。」
少し、進むと、何やらこの道、見覚えがあるゾ・・・。
そうそう、私が京都の桂(かつら)に弟子入りに来た頃、先生の次男、当時彼は中学生だったか、その中学生の息子さんと一緒に、自転車でここを通った・・・。
この先に古墳の跡があって、その洞穴で掘りつくされようとしている間際の水晶が取れた。
岩を砕く為のハンマーを持ってここを通ったのだ。
まだ18歳の頃だったかもしれない。43年も前の記憶だった・・・。

記憶が蘇って我に返り、鈴虫寺の石段前を通過し、月読神社の前の参道を真っ直ぐ東に向った、この先500mに我が工房と「京都・仏画館」がある。

同じように少年の頃の水晶発掘を思い出した人が居たので、その方のブログをリンクしておく。

グーグルで「京都・仏画館」を検索するとクチコミを書く欄が有る。
まだ何も書き込まれていないのは当然なのだが、そろそろ公にこの存在をお知らせしないといけないと思っている。
ここにクチコミが書かれる日を楽しみに待つことにしよう。
仏画館を訪れた人は、書き込んで欲しい。



うだうだ | 15:05:33 | Trackback(0) | Comments(0)
61歳になってしまった
今日10月9日は、私の61歳の誕生日。

誕生日を聞かれると、中学に入ったころから誰にでも言うセリフがある。

「ジョン・レノンと同じ誕生日なんやで!!」

だからどうした なのだが、あの偉大なるロックバンド The Beatles の John Lennon と同じ日に生まれたのだから、ただなんとなくうれしいのだ。

私の西洋音楽好みは、このビートルズよりもっと前、テレビ番組の創世記、「ザ ヒットパレード」だった。
小学生の高学年の頃だったろうか、「シェリー」「電話でキッス」「ワシントン広場の夜は更けて」など、ダニー飯田とパラダイスキング等日本の歌手が、一週間ごとにランクインするヒット曲に対応し、日本語の歌詞をつけて歌う番組だった。今、思うと歌手も作詞家も編曲者も必死だっただろうと思う。
ユーチューブにも動画がないので生番組だったはずだ。
凄い番組だった。

小学生の私は、日本語の歌詞で、西洋のポップスをのりのりで口ずさんでいた。

中学に入ると、ビーチボーイズやベンチャーズ、そしてこのビートルズ、深夜ラジオから流れてくる曲を、英語の練習のために買ってもらったテープレコーダーに録音し繰り返し聞いた。
英語の歌詞を真似て、それ風に・・・口ずさんでいた。
あの頃、イタリアのカンツォーネやフランスのシャンソンポップスもヒットチャートの上位にあった・・・。

高校に入ると、なけなしの小遣いで、当時330円だったシングル版レコードを買うことが出来た。
フランスギャルの「アニーとボンボン」が最初に買ったシングル版だった。

あれから、長い時が流れた。遠ぉ~くの昔にジョンは撃たれて死んだ。

うん?

私は60年生きたのかぁ・・・? それとも、61年生きたことになるのかなぁ?

誰か教えて欲しい。



うだうだ | 15:55:53 | Trackback(0) | Comments(0)
ワシントン・ナショナル・ギャラリー
早いもので、ちょうど一年前の今日、長女と初孫の愛子を連れて、アメリカのワシントンD.C.近郊のベセスダという町に向った。
長女の旦那の勤め先が、彼の希望通りここになったからだ。
NIH(National Institutes of Health-アメリカ国立衛生研究所)。合衆国で最も古い医学研究の拠点機関。
世界の衛生保健をリードする、この施設の研究員として働くことになり、6月に先に渡米し住居を確保、車も購入していた。

大阪国際空港から全日空でワシントンD.C.へ。
まだよちよち歩きの初孫の愛子はぎりぎり2歳前で運賃は無料、私と妻と娘の席は、その席の前にしきり壁と通路のあるエコノミー席だった。
この4席並んだ席の前の壁には乳幼児を寝かせる為の篭を取り付ける事ができるのだ。客室乗務員がサービスで取り付けてくれる。ちゃっかり長女の賢い案だった。 
乳児を連れていると特別待遇で、搭乗もビジネスクラスと同等に優先的に受け付けてもらえるし、エコノミーの客より早く搭乗させて頂ける。おまけに、ぐずった時の策のひとつなのだろうか、おもちゃも頂けるのだ。
幸い、長いフライトにも他の乗客に迷惑になるほどはぐずることは無かったが、昼と夜が真逆なので、ぐずる愛子を抱っこし、機内をあやしながら往復歩行する長女の二の腕はパンパンに腫れ上がっていた。

特別席

9.11テロ依頼の厳しいチェック体制なのか、水(液体)の機内持込や米国内持込に神経質なのが印象的だったのを思い出す。

その旅は、かつての中国人旅行者のように、とにかくたくさんのダンボール箱に詰めた荷物を抱えての旅だった。
まるでポーターのように長女と孫と大量の荷物を彼等の住居に送り届けるのが我々夫婦のお役目だった。

この上品な町、ベセスダの長女家族が住むことになった総煉瓦作りの築50年の古いアパートの一室に、我々夫婦は2週間ほど滞在した。
メイプル(楓)の木があちこちに植えられ野生のリスがあちこちで見え隠れする。
ちょうどこの葉が色付く頃、この町で、私は還暦を迎えた。

滞在中には、核シェルターに使うつもりなのだろうか、恐ろしいぐらい地中深くを走る地下鉄で、長女たちの住むベセスダのメディカルセンター駅から20分ほどの距離にある首都ワシントンまで数回通った。
ワシントンモニュメントを中心とした緑溢れる芝生の大広場、スミソニアン博物館群、国会議事堂、ホワイトハウス、FBI本部等などいかにも合衆国の首都らしい有名迫力の光景がそこにあった。

アメリカという巨大な国に憧れて育った我々世代は、見るもの聞くものがまるでTVや映画の一場面のように、なぜか懐かしく感じたのを覚えている。
しかし、そんなアメリカには、文化面では何も期待していなかったのだが、滞在の途中からは、財力で物言わせ世界中から集めに集めた、国立スミソニアン博物館群(19の博物館と研究センター)の美術館や博物館巡りが主となった。世界中の文化的遺産がここに集めてあった・・・。
世界中の一流の文化遺産や芸術作品の収集物の数は、1億4,200万点にも及ぶという。

我々夫婦は、2週間の滞在を終え、予定通り長女家族3人を残し帰国したのだが、今、長女のお腹には長男となる予定の赤ちゃんが宿っているそうだ。1月に生まれ出るらしい。1月には4人家族になる。

スミソニアン博物館の本部 ナショナルギャラリー本館前 ナショナルギャラリー

この秋、9月13日(火)-11月27日(日)まで、京都市美術館で「ワシントン・ナショナル・ギャラリー展、印象派・ポスト印象派 奇跡のコレクション」という展覧会が開催されている。
今、新聞、テレビ・ラジオ等でかなりの頻度で広報している。
国立スミソニアン博物館群のひとつ、ワシントン・ナショナル・ギャラリーが、開館70年を機に行われる大規模改修によってその間、初めて来日する作品も含め、印象派の優品50点をお借りすることがきたのだそうだ。

このワシントン・ナショナル・ギャラリーに何度か通った。
ここに収蔵される絵画は超一流品ばかりで、当然ながら我々夫婦はこれ等の印象派の絵画やルネッサンス期の絵画を3日間に渡って堪能した。

モデリアニ モネ ピカソ

京都で開催される展覧会は、これ等の多くの収蔵品の内ほんの極一部(50点)を展示するらしい。
大人1500円 高大生1000円 小中生500円 ということのようだ。 所詮借り物だから有料は仕方がないにせよ、わが国では国立博物館にせよ公立の美術館にせよ、収蔵されている作品の常設展覧でも有料だ。
おまけに、展示作品の写真撮影も、模写作業も許されない。

米国では、ワシントン・ナショナル・ギャラリーをはじめ、国立の美術・博物館群は入場無料という。
おまけに写真も撮り放題。(といっても他の客に迷惑になるようなことをすると、大きな黒い肌の警備員が飛んでくる)ブロンドの髪を後ろで無造作に束ねた画学生と思われる女性が、描きかけのキャンバスとイーゼル、画材を手に抱え、さっそうと入ってくる。
模写作業も許可申請の上だが許されるらしい。彼女はここに模写に通っているようだ。
誰でもが、彼女が絵を描くことにおいて、相当の力をつけるであろうことが予測できる。

名画の模写は、日本画も、西洋の油絵も、それを学ぶ人は率先してやるべきだと思う。
アメリカやヨーロッパでは、それが可能なのだが、わが国日本では、それも叶わない。
ほんの一部の特権を持った人だけがその作業に関われるだけ。

何とかしないといけない。

今、「ワシントン・ナショナル・ギャラリー展」開催の広報を聞くたびに、絵描きの立場としてこの状況を憂いてしまう・・・。

うだうだ | 09:09:43 | Trackback(0) | Comments(0)

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