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83歳の母が入院
昨日、昼ごろ妹から工房に電話。
「妹」といっても、60前のおばさんである。孫も二人居るので、りっぱなバァさんでもある。
彼女から電話がかかってくると、あまり良い内容ではない。必ず母の様子、しかも悪い様子の知らせなのだ。
昨日の電話も例に漏れず、良い知らせではなかった。

 1人暮らしの母が、寒くて身体の震えが止まらないと電話をしてきたらしい。
母も急を要する時は、妹に電話をすることにしている。
妹は、母の住む実家から車で10分~15分ぐらいのところに嫁ぎ、1人住まいの母の様子をまめに見てくれている。
京都に住む長男の私は、彼女の存在のおかげで母の1人暮らしを容認できているのだ。

 体温を測ると39.5度とびっくりするぐらいの高熱。慌てて近くの町医者に連れて行くと、急な発熱から、膀胱炎か尿道炎かもしれないと判断。
いつもお世話になっている湖東記念病院へ搬送する為に救急車を呼んでくれたとか・・・。

 湖東記念病院の検査では、やはり尿がかなり濁っているので、緊急入院となった。
「年寄りなので、予断を許さない」とのこと。
にわかに、孫2人と暮らすことになって、時差ぼけから夜中に起き出す孫たちの影響で寝不足気味のうえ、土曜日の浜松長距離往復運転で疲労も残る老体に鞭打ち、1時頃工房を出て自宅に戻り、車を変えて病院に急行した。
私が病院に駆けつけた時には、既に2時45分。

 病室で点滴に繋がれ妹に寄り添われた母は、うつろな眼差しで私を確認したとたん、尿意を訴えた。
介護士に手助けしてもらいながら自分で車椅子に乗り、用を足しに行ったが、病室に帰ってくると、また直ぐに眠りに堕ちた。
しばらくすると、いつもの狭心症の発作だろうか、胸が苦しいのでニトロをくれと、聞こえるか聞こえない声で言う。
介護士に聞いて、いつも世話になっているニトロを口に含むが、まだ苦しいと言う。
「もうひとつくれ・・・。」と言う。心電図を記録していた介護士が担当医に電話をして聞いてくれると、許可が出たらしく、もう一錠口に含ませてくれた。

 母は、発作が起きた時には、1人で判断して効くまでニトロを口に入れるのだろう・・・。
一錠で効かなかったらもう一錠・・・といった具合に・・・。妹と顔を見合わせ「しょうがないね・・・。」とお互い口に出さなかったが、同じように思った。

 気持ちの上で楽になったのか、ニトロが効いたのか、ちょっと苦しそうにしていたのが落ち着いてきたので、起き上がりたいという。
半身を起こし、肩や首筋を揉んでみた。まだちょっと熱が残っているのか熱が伝わってくる。やはりそのせいか寒いらしく、また横になりたいというので、身体に布団を掛けた。

 そのうち、やっと母の顔に安堵の表情が見受けられ、また眠りに堕ちた。
その後、担当医から説明を受け、腎盂全なので、抗生剤の投与の後、電解水?(スポーツ飲料のようなものらしい)を点滴し、この後様子を見ながら治療したいとの意向を聞いた。

ということで、母は、約2週間ほど入院しなければならないことになったが、回復に向かっている様子を確認した私は、病院近くに住む妹を残し、6時過ぎに病院を出て自宅に向かった。

今朝、病院に行って母の様子を見て来た妹から電話があった。
血液検査の結果も、やはり白血球が異常に多いらしく、血液に菌が廻っているとのことだが、母自身は、朝食も「重湯」をとり、徐々に元気を取り戻しているそうだ。
妹も、今日は、母を病院に任せ、家業の仕事をすると言っていた。
午後からは、私と同じく時差ぼけ孫の世話で疲れ気味の我が妻が、母の様子を見に行くことになっている。

※追記
見舞いに行った妻の報告では、病院に到着時には、すでにいつもの母に戻っていたそうで、そこそこ元気に話をしていたそうで、まずは、一安心。


うだうだ | 10:50:37 | Trackback(0) | Comments(0)
今日から3ヶ月間だけ五人家族
道に詳しくないが、車のナビに連れられて大阪国際空港(伊丹空港)には、6時前に無事到着。さっそく展望デッキに行き、離発着の様子を眺めながら、長女たちの到着を待つことにした。
この空港の展望デッキ(ラ・ソーラ)は、床が全面ウッドデッキで、そこそこに置かれた多くの植木鉢の緑も美しく、なかなかくつろげるスペースだった。
ANAとLALの飛行機がほとんどで、国際空港とは名ばかりで、外国の機体は今や見当たらない。
この空港、現在では、「国内線の拠点空港」として利用されているそうだ。
旅客機の着陸時には日本航空では「大阪国際空港」、全日本空輸では「伊丹空港」と機内アナウンスされているらしい。

32年も前になるのだろうか・・・。ちょっと遅れた新婚旅行ということでハワイに行った時は、この空港から直接飛び立った。
パン・アメリカン航空、いわゆるあの懐かしいTV番組「兼高かおる世界の旅」の協賛航空会社がパンナムだった。
当時、世界一有名なアメリカブランドの航空会社だったと思う。その憧れのパンナム機でハワイに行ったのだ。
今ではその憧れの航空会社はない・・・。
その後、関西国際空港が開港するまで、外国へ旅した時はこの空港から出かけた。

しかし、ANAは、国際線の連絡拠点としてこの空港を利用しているので、成田・ワシントン間のフライトなどは、伊丹と成田間の運航を提供しているというわけだ。ちなみに、NH2179便は「AIR CANADA」、「AIR CHINA」との共同運航便なのだそうだ。国際空港の名前をかろうじて維持している。
私は、1年7ヶ月前、長女と孫を連れてワシントンに行った時には、久々にこの空港を利用しているし、我が妻に至っては、長女が長男を出産する時にも1月・2月と利用していて土地勘も有り慣れたものである。

というわけで、多少は国際的な飛行機の離発着が楽しめるかもしれないと1時間ほど早く到着し展望デッキに行ったのだが、機体は見慣れたJALとANAのみ・・・。しかし、離発着の様子は迫力満点だ。

西の空には太陽が沈み紅く照らしている。誘導路には、色とりどりのイルミネーションが灯りはじめる。
夕日に向かって離陸した機体が左に傾き大きく力強く旋回しながら真反対の東の空へ上昇して行く。やがて夕日に照らされた雲の中へ消えて行く。
何度見ても美しい光景だ・・・。「兼高かおる世界の旅」の影響か、私はこの旅客機の離発着シーンが好きだ。

午後7時15分、長女たちを乗せたNH2179が5分遅れで到着。持っていたカメラでその機体を撮る。が、はたしてその飛行機なのかどうかは展望デッキでは確認できない。

到着ゲートから、出てきた長女一行は、大泣きしたのであろう頬を濡らし不機嫌な顔をした3歳の長女をベビーカーに座らせ、四ヶ月の巨大ベイビーの長男大和を抱えた私の長女が、これもまた疲れた顔で現われた。
その後には、大きなスーツケース2個とその上に積み重ねた荷物を押してサポートしてくれたグランドアテンダントが居た。
グランドアテンダントから荷物をそのまま我々夫婦がバトンタッチし、空港出口へ。
毎度お決まりの、出口付近にある蓬莱空港店で「551の肉まん」を妻が買っている間、疲れた顔の長女のぼやきを聞いた。

ほんまに、飛行機から飛び出したかったわぁ・・・と、過酷な旅を想像させるぼやき話が始まった。
自分も胃痛など体調不良だったこともあって、長時間に渡って生後4ヶ月の巨大児を前で抱えているので、その腹部の圧迫から、初めて飛行機に酔ったとか。
おまけに、悲惨なのは、隣の席の親切な中年の女性の気遣いで、長女がご飯を食べる時にその巨大児を預かってくれたそうなのだが、彼女の肩に大量の飲みたての乳を吐いたそうで、それはもう大変だったとか。
おまけに、成田からのフライトでそろそろ着陸という時に、うとうと眠っていた3歳児の長女を起こすと、これがもう機嫌が悪く、泣くわ喚くわで、「にほんきらい、にほんきらい」と喚きちらし大泣きしたそうで、見かねたキャビンアテンダントさんが、いろいろお世話してくれたそうだ。

今朝も、早朝5時半、時差ボケで早起きした孫の愛子が、「おじいちゃん!おそと、もう明るいよ!」と私の部屋まで起こしに来た。
やはり母親は、この時とばかりに子育ては放棄したらしく、おじいちゃんに振ったらしい。

しかたがないので、疲れた長女とその巨大児を寝かせたまま、昨晩は真っ暗で何も見えなかった「おそと」の探検に二人で出かけたのだが、孫は1年半前の辺りの記憶はどうも皆無のよう・・・。
「思い出した?」と私のいじわるな質問に、「うん、思い出した・・・」と、スカイプ以外での初めての会話が弾む。

そんなこんなで、さぁ、これから8月末まで、ジジババだけの静かな家に、いきなり3人も増えた我が家。

どうなりますことやら・・・・。

うだうだ | 14:35:02 | Trackback(0) | Comments(0)

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