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12、術後一週間、ドレーンをはずすまでのまとめ
4月25日(木) 
午前11時ごろ、個室へ移動。一睡もできなかった感じでクタクタ。  
左手に抗生剤と痛み止めの点滴。ドレーン管挿入中。
午後6時頃、やっと術後24時間経過。
術後一番辛い時期だそうです。寺田Drや合地Drが様子を見に来てくれます。
夜は導眠剤を貰って、なんとか眠ることができましたが、よく覚えていません。
個室ですので、リカバリー室の時よりは、かなりリラックスしています。

4月26日(金)
左手に抗生剤と痛み止めの点滴。ドレイ管挿入したまま過ごす。リハビリ一時間。
6時間おきの痛み止め(ロキソプロフェイン錠60mg)と咳止め(メジコン錠15mg)で維持。
寝る前に、胸がヒューヒューいうので、合地先生にお願いし、気管支を広げるための貼り薬(ホクナリンテープ2mg)を貰う。24時間毎に貼り変える。
弟子より曼荼羅の木枠に絹を貼り、ドーサまで塗ったと連絡あり。
朝、昼飯ほぼ完食 夕食は、量が多く残す。バナナやゼリーは食す。

4月27日(土)    
あまり眠れていないが、体調はそこそこ。
朝、自分で頭を洗う。左手の点滴をはずしてもらい、1人で着替える。
朝食は、ほぼ完食。プリンを食す。ドレイを引っ張りながら、A棟4階内を自分でリハビリ歩行。
術後初めての排便。
手術前の大部屋のT氏とY氏に挨拶に行く。 妹に元気であることを自分で電話をする。
ちょっと、調子が良いのでPCを取り出し、思い出しまとめをはじめる。
夜、1時間ごとに目が覚める。夜中の3時に痛み止めを飲む。胸に気管支を広げる貼り薬ホクナリンテープを貼ってあるので、喘息のようなヒュルヒュル音はなくなり快調。
曼荼羅の下図のデータを確認するため明日弟子に来て貰い、数時間作業をする予定。 

4月28日(日)
5時には目が覚め窓のカーテンを開ける。早朝の陽光とちょっと冷たい爽やかな風を感じます。
すこぶる調子が良い。あとはドレーンを抜くだけだが、合地先生は本日お休みなので、後日、寺田先生と相談して決めるそうだ。
朝、自主トレ、リハビリ約800m歩く。午後、浜松から義理の妹夫妻がお見舞いに来てくれる。
2時ごろ、弟子が仕事の打ち合わせに来る。明日、予定通り曼荼羅の白描下図を完成できそうで一安心。

4月29日(月)
朝、自主トレ、リハビリ5周 500m
10時45分 合地先生 ドレーンの管の流れをはさみで止めて様子を見ることになる。
レントゲンを撮って、具合がよければ明日ドレーンを抜くそうだ。   
量の多い食事も完食できた。 昼、新入り弟子が自転車で様子を見に来る。

4月30日(火)
朝、自主トレ 800m歩く
11時30分ごろ、合地先生によるドレーン外し(麻酔2回)縫い合わせ作業。 一気に爽快になる。
午後、自主トレ 700m
リカバリー室でお隣さんだったIさんと一緒に歩きました。私にあまり痛みがないのを不思議がっていましたが、彼女はたまたま私と同じ年の独身女性でした。
リカバリー室での様子を良く覚えていて、話が弾みました。ベッドの上げ下げをして気を紛らわせている私が羨ましかったそうで、自分は体を動かすなどと発想できないほど痛かったと告白。今も切った方を腕で押さえながら弱弱しい足取りでリハビリ歩行をしています。

リハビリ歩行中、元主治医西村知子内科医と遭遇しました。
笑顔の西村Drはリハビリ歩行に付き合ってくれました。彼女と歩きながら話をしました。
「先生のおかげで手術をし、どうやらラッキーだったようです。」と感謝を伝えました。
彼女は、喜んでくれました。やっぱり若くて頭の切れる美人女医さんという感じですが、相変わらずマスクで顔の半分は隠れています・・・。
西村Drは、自分の担当から離れた私のカルテをチェックしていてくれたようで、「また、お部屋まで行きます。」と言ってその場を離れました。
この日は、寺田Drも病室に来てくれて、けっこう長い時間、雑談を含め、おしゃべりをしました。
採取した各部細胞の病理検査で、もし、リンパに散っていたらガチンコ抗がん剤。散っていなくても、再発予防用の抗がん剤を飲むこともあるということを聞きました。

夜の食事時に右上奥歯2本目の歯が大きな音をたてて割れました。
ちょうど妻が、仕事の用件で工房に戻ったところだったので、着替えの作務衣を持ってきてもらい、近所の「浅井歯科」に寄って、事情を説明し予約を入れてもらい、私は看護士詰め所で、外出許可を貰いました。
7時10分~8時頃まで外出。
浅井歯科には7時30分着で、レントゲン、麻酔で割れた歯を抜き取り、セメントで応急処置。神経が見えていなかったので、それが可能だっのだが、8日退院後また電話予約をして、院長先生の予約をとることになりました。たぶん、「かぶせ」でなんとかなるとのことで一安心です。
手術以降、ストレスが最高潮になりギシギシと歯軋りをして、右上奥歯にひびが入っていたのだと思います・・・。


肺癌 | 22:27:43 | Trackback(0) | Comments(0)
11、 胸空鏡下左上肺葉切除術 を受ける
4月24日(水) 手術当日
6時15分 ヘパリン点滴 中止する。
午後2時  肺癌の疑いによる胸腔鏡下手術を受けるために歩いて手術室に入ります。
部屋の向こうには大きなモニターが設置され、数人の医師が、そのモニターの映像を見守りながら手術が執行されることが想像できました。

麻酔は、点滴で行われた模様。麻酔下で、人口肺気管支挿入 胸空鏡下手術は開始されました。
術中迅速病理検査ということで、この検査で、あの腫瘍が癌細胞と確定すれば、肺につながる動脈と静脈は剥離され、さらに気管支を切り離し、癌の病巣がある左上肺葉が切除され、さらに、胸の(縦隔)リンパ節郭清が行われます。
(※リンパ節郭清とは、周辺のリンパ節をすべて切除することだそうで、癌細胞がリンパ節に転移しやすいことから、通常、癌の根治・予防のために行われるそうです。)

午後6時頃  胸空鏡下左上肺葉切除術 終わる。


手術直後、まだ意識が朦朧としていて記憶のほとんどはありませんが、手術室から出てリカバリー室に運ばれた時だと思うのですが、まず、寺田Drの声で、「藤野さん!分かりますか。やはり癌でしたよ、きれいにすっかり取りましたよ。」次に妻の声で、「今、6時よ!、無事に早く終わったよ!やっぱり癌だったそうよ!」私がどんな反応をしていたのかわかりませんが、私が気がついたときには、まったく不自由な状況で、リカバリー室というその呼吸器病棟の看護士の詰め所と併設した部屋のベッドに寝かされていました。

辺りを見回すと、カーテンで仕切った私の左側にも誰か居るようでしたが、とにかくこの不自由さは何だとばかりに、自分の体に何が起こっているのか辺りの様子を見回しました。

まず、左の脇腹あたりから太い管が出ているようです。
術後のドレーンというもので、体内に貯留した体液、膿、血液や浸出液などを体外に排出する管です。その排出されたものを通して、創傷部の状態を観察、確認し、治癒を促し、感染を早期に発見する目的で行なわれているようです。
管の行き先のベッド下には、その排出した体液を貯蓄するケースがあるらしく、ポコポコと水が泡立つ音が聞こえています。カーテンの向こうの患者さんの方からもその音が聞こえます。
もちろん、手術中におしっこを漏らすといけませんので、私が麻酔で寝ている間に、やっぱり尿道に管が入れてあります。けっこう違和感があります。
また、鼻には酸素の吹き出し用のビニールの管が入れてあります。そして両足のふくらはぎがしっかりカバーされ、空気の出し入れでマッサージ運動をしています。
健康な時ならさぞかし気持ちいいのでしょうけど、足も自由に動かすことができず不自由さにイライラします。

左腕の付け根には、ここにもしっかりと何かで包み込まれ、後で聞くとただの血圧測定装置だったのですが、これも、圧迫感でうっとおしくて長時間に渡って付けているのは大変です。
胸には何種類かのコードで繋がれた心臓を見守る為のマットが貼ってあるようで、余ったコード類が、左肩のあたりにごちゃごちゃと束めてあるのが気になります。
その左手の手の甲には、点滴の注射針が挿入中。また右腕の手首の動脈には、そこにも頭の後方にある何かの薬から繋がった点滴針が挿入中でした。

時計の針は、夜の9時ごろでしたでしょうか・・・。消灯時間です。この頃、咳が出だしました。
咳をしますと、傷口は痛み止めのおかげか直接的な痛みではないのですが、気持ち悪く痛みます。
その傷口よりももっと違和感のあるのは、左胸の中、つまり内臓の様子が不快なのです。
それよりももっと苦しいのは、息ができないのです。普通に呼吸ができないのです。
おとなしく寝ていれば、酸素が鼻から入ってくるので、僅かな呼吸でも酸素は取り入れられ、思ったほどは苦しくないようなのですが、自分でいつものように呼吸がままならない状況には、苦しくてイライラします。

また素裸に寝巻きのように紐で合わせてあるだけの手術着だけですので、下半身など肌蹴ていてなんとも気持ち悪い状態が続きます。

時々様子を見に来る看護士は、「痛みますか?MAXが5ならいくつぐらいですか?」左のカーテンの向こう側の人に聞いています。
「息ができないので苦しい。」と、 カーテンの向こう側の患者さん。私より先に執刀された女性の方のようで、私より4時間は早くこの部屋においでのようです。彼女とまったく同感です。
 
痛み止めのおかげでMAXの痛みなど、まだ経験していなくてわかりません。ので、数字は答えられないのです。

看護士は、私のところにも聞きに来ましたが、私はこう答えました。
「とにかく息ができなくて苦しい。痛みは手術前に比べたら1ぐらいです・・・。」
とにかく、身動きできないのが辛いのです。時計の針が10時(22時)から進みません・・・。ウトウトとして目が覚めても5分も進んでいません。何度、その経験をしたでしょう・・・。
それでも、なんとか夜中の2時ごろになりますと、この環境に馴染んできます。

ベッドの上部を起こせば、角度の関係からか苦しい咳のコントロールができるような気がしました。
左手には、看護士を呼ぶナースコールスイッチ。右手にはベッドの上下をコントロールするコントローラーを握り締め、狭いベッドから落とさないように気をつけながら苦しいながらもウトウト浅い眠りを繰り返していました。

真夜中なので、夜番の看護士は少なく、部屋は薄暗い静寂の中、ドレーンの泡の音だけです。
顔を触って見ますと、ベトベトの脂汗で、イライラストレス満開状態を物語っています。

静かな中で、私はベッドの上部をやたらと上下に動かして気を紛らせていました。
部屋は二人分のドレーンの泡の音と、私の操作するベッドの上下運動する音だけが支配していました。

4時ごろだったでしょうか、命綱のひとつナースコールのボタンがベッドから落ちてしまったらしく辺りを手探りするのですが、管やコードばかりで本体がみつかりません。
落ちたのなら、コードを辿ればよいのですが、どのコードがそれなのかわかりません。

仕方が無いので、小さな声しか出ないとは分かっていましたが「お~い」と呼んでみました。やはり元気のない小さな声しか出ませんので、向こうの部屋に居る看護士さんには聞こえないようです。
何度か呼んでいるうちに、カーテンの向こうの女性の患者さんから「お呼びしましょうか?」「あぁ、はい、ありがとうございます。お願いします。」
そうすると彼女のベッドの上の天井の赤い回転ランプが点り、看護士さんが来てくれます。「何でしょうか?」「いえ、お隣の方がお呼びですよ。」とやはり私と同じような元気のない声で対応してくれています。

「どうしました?」「呼び出しのスイッチがベッドの下に落ちたので拾って下さい。」看護師さんは笑いながらスイッチを拾って、私の手に握らせてくれました。「このスイッチは、今の私にとっては命の綱ですから、手元にないと不安なのです・・・。」
私は思いました。このナースコールスイッチにしろ、ベッドの上げ下げコントローラー、ベッド上のほとんど身動きできない患者の手が届くところに設置しておいてくれれば、患者は安心してベッドに居れるのに・・・。

喉が渇きます。看護師さんに、水は貰えないかと聞きます。「6時になったら良いですよ。」その時が何時だったでしょう・・・悶々としながら朝の6時を待ちました。」

6時です。看護師さんに再度水を要求しました。

「冷たいほうが良いですか?」「はい、お願いします。」持参したコップにストローを入れて、氷で冷えた水を差し出してくれました。
恐る恐る、一口を口に入れると、まずは濯いで吐き出しました。飲むのが怖いのです。息穴に入りそうで怖いのです。
もし、間違って息穴にでも入ろうものなら、どれでだけ苦しむことになるか分かりません。
二口目は恐る恐る飲んでみました。「旨い・・・!」 三口目を飲んで、コップを返すと、その看護師さんは満足げな顔をしてコップを私の手の届かないところに置いて、詰め所に戻りました。交代の時間のようです。

6時以降の二人目の看護士は男性でした。同じように水を要求しても、水道の蛇口から出した生ぬるい水を持って来ます。
口を濯いだものを吐き出すトレイも、口に合わない反対側を差し出します。やはり看護士は女性のほうが向いているのではと思いました。

一晩中、右腕の手首を多用したベッドの上下コントロール操作をしていた為か、動脈へ挿入してある点滴針が抜けてしまい辺りが血で染まっているのに気づくのですが、この動脈への針を挿入する資格は看護士にはないらしく医師でないとできませんので、看護士は日直のDrにお願いしたようです。でも、執刀からすでに12時間が過ぎていた為この点滴は終了となったようで、事なきを得ました。ただし、その後しばらく右手首付近は内出血で青あざが広がっていました。

8時ごろ、食事が出ました。まだベッドに繋がれているというのに・・・。
大きなどんぶりにたっぷり重湯が入っていました。「食えるわけないやないか!」と思わずぼやいてしまいます。
牛乳パックだけ、開けて少し飲んでみましたが、お腹が減っているはずなのに、ほとんど寝ることもなくへとへとで食欲など何もなくなったようです。

25日の午前11時頃、待ちに待った個室に移る時間となりました。長かった・・・。
お隣のカーテンの向こう側の女性は、すでに体を拭いてもらっているようです。その女性の処理が終わり、歩いてリカバリー室を出て行かれる後姿がカーテンの隙間からチラッと見えました。背の高いおかっぱ頭の女性でした。
「ナースコールのスイッチの件ではお世話になりました。」またお会いした時にはお礼を言わなくてはなりません。

次は私の番です。3人目の担当の女性看護士に代わっています。私の体からは、ドレーンの管を除きすでにいろいろなコードや管類ははずされています。長い時間、違和感のあった尿管も抜いてもらい、ものすごい開放感です。
脂汗でべっとりの体を蒸しタオルで丁寧に拭いてもらい、手術着から持参していたパジャマに着替えさせて貰いました。
車椅子で部屋まで移動かなと思っていたのですが、甘かったようです。
脇腹と太い管で繋がったドレーンケースを自分で転がしながらゆっくり歩いて、術後の新居となる一人部屋に移動しました。私の様子は、左手に抗生剤と痛み止めの点滴。ドレーン挿入状態です。
リハビリの先生の指導の元、1時間ほどかけて肺機能のリハビリが始まりました。
退院までの2週間を、大部屋に戻らず、ここでゆっくり過ごすことにしています。
      

肺癌 | 18:04:38 | Trackback(0) | Comments(0)
10、入院するが、大部屋で仕事・・・。
4月19日、午前10時、弟子二人に仕事用のPCなど大荷物を運んでもらい、入院しました。

今、仏絵師としての集大成のような大仕事「両界曼荼羅」の制作を任され、後少しで下図が完成するという時の入院となりました。
病室にパソコンとペンタブレットとWiFi接続が可能なEモバイルを持ち込み作業を続けました。
幸い、我が工房と桂病院が近くで、自転車でも15分もかからないキョリなので、弟子たちが入れ替わり立ち代り来訪してくれました。
それにも増してネットが繋がればほとんど不自由はありません。
点滴で左手が多少不自由なのですが、工房に居る時の様に仕事が捗りました。毎日部屋に様子を伺いに来てくれる寺田Drはその仕事をする様子を見て、興味を示してくれました。
結局、寺田Drは所長さんなので、今春から桂病院に勤めることになった、京大付属病院に居た若い合地Drが私の直接の担当受け持ちとなったようです。寺田Drは、私に気を使ってか、若い医師のことを、「彼には書類を担当して貰ったり、患者(私)の様子を見てもらったりします。」と紹介してくれました。

4月19日(金)入院 ヘパミン点滴開始。 血糖値、血圧、血中酸素、(一日中曼荼羅修正作業)。
       気管支鏡検査から咳が頻繁に出るので痰きり薬(ムコダイン錠500mg)続けて飲む。 

4月20日(土)ヘパミン点滴。 血糖値、血圧、血中酸素、(曼荼羅修正作業完了)

4月21日(日)ヘパミン点滴。 血糖値、血圧、血中酸素、
 
4月22日(月)看護師の採血  凝固検査 血糖値測定  医師の採血 レントゲン 心電図
       出血時間 心臓エコー 鼻腔MRSA検査
    ※出血時間は、3分で止血(普通の人で4分とのこと)。
    ※心臓エコーでは、体系や年恰好からすると意外と弁も石灰化せずに非常に綺麗とのこと。
       3時ごろ、酸素吸入用の管を止めるために髭を剃る。
       4時ごろ、術前リハビリ。 5時ごろ、寺田医師と担当となった合地史明医師の
       手術の内容と合併症の説明を受ける。

4月23日(火)9時より術前リハビリ訓練。術後の経過が良くなるらしい。
       ベッドで横たわり、錘を付けて足の上げ下げ、手の上げ下げ。 1Km徒歩など
       11時ごろ、麻酔医の説明を受ける。(15分間隔で点滴麻酔のみで通すとのこと。
       出血を避け、通常の脊髄からの注射による麻酔はしないとのこと。)

大部屋の私のベッドのお向かいには、片腕で肺癌に立ち向かう一人の屈強な67歳の男性が居ました。
私は、彼と意気投合し、いろいろお話をしました。
また、改めて、その常に前を見て癌と戦う彼のことを書きたいと思っております。

いよいよ明日は、執刀の日です。

肺癌 | 15:57:25 | Trackback(0) | Comments(0)
9、手術日を4月24日に決める。
循環器科と泌尿器科の診断結果に異常は無く、私が手術に耐えられることが証明されたことを告げると、寺田Drは、「手術日は、いつが良いですか?」とさりげなく聞かれました。
「24日(水)か26日(金)のどちらでもいいですよ。その5日前に入院してもらって点滴で血流をコントロールします。」と続く。
やはり、気管支鏡検査の時と同じように、血流のコントロールのための日数が通常より余分にかかるそうです。

妻が、「それなら24日にしてもらったら?」と私に言う。「なんで、そんなに急ぐの?」と私。
「だって、こうなったら早いほうが良いでしょう。」妻の発想はあさっさりしたもので、思わず私も「そうやな・・・。」
ということで、19日に入院して24日に手術、5月の連休明けには退院という計画を立てることになりました。

さっそく、明日の朝からブラビクスを飲むのを止めなくてはなりません。
入院したその日から、一日しか効かないヘパミンを点滴で入れますから、ブラビクスの体内での有効期限は、9日間ということなのでしょうか、その後17日にはバイアスピリンの服用を止めることになりました。
バイアスピリンは5日間ほど効力が続くと言うことなのでしょうか・・・。気管支鏡検査の時と服用を止める時期が違いましたので、ちょっと意味がわかりません。

さて、明日から入院の為の準備として、抱えた仕事のだんどりなど弟子たちと念入りな打ち合わせが始まります。

肺癌 | 15:24:45 | Trackback(0) | Comments(0)
8、呼吸器科外科医寺田Drに始めてお会いする
初めてお目にかかった寺田Drは、「先日、久々にかつての同僚で先輩だった藤野昇三先生から電話があって、ビックリした。
彼とは30年来の付き合いで、京滋のいくつかの病院で一緒に経験を積んできました。」と、ニコニコ顔で対応して頂きました。
普段は、ほとんど付き合いのないりっぱな従兄弟の存在に改めて感謝です。

寺田Drは、さっそく、今まで撮ったCT画像をモニターに写し出し、その詳細を説明してくれました。
まず、モニターに写った肺の位置や構造、写っている内臓の位置関係やCT画像の見方を教えてくれました。
CT画像は素人が見ても何が何だか分からないのです。
ある程度体の構造を知っていなければ、きちんと見ることはできません。

私の場合は、シミズ病院でも桂病院でも、私の体の中を撮ったCT画像は全部頂いています(有料ですが、患者本人が要求すれば出してくれます)。
DVDに納めた画像は、我々の手元にある一般のPCでも閲覧できるように、閲覧ソフトも組み込んであるので、何度も操作して見ていると何がどの部分かは大体分かってきます。

足のほうから上向に寝た自分の体を輪切りにした画像が何枚も連続で撮影されているのですから、その画像を上方に順番に見ていけば、左右の肺が下のほうから順に輪切り状態で映し出されてきます。
私は、この肺癌を疑わなくてはならない状態になってから、自分のPCでも執拗に自分の体の中を見ていますので、結構理解しているのですが、一緒にお話を聞いた妻は、寺田Drの丁寧な説明で全部理解できたようです。

腫瘍の位置や大きさから胸腔鏡下手術は可能。
この種の手術は桂病院の呼吸器センターでは、年間100例以上普通に行われているもので、心配無用とのこと。
いよいよ手術という現実が覆いかぶさってきます。

その手術の前に、寺田Drの気になるところとして、私のステントの入った冠動脈の様子から心臓が手術に耐えられるのかどうか?
そしてPET検査で写った前立腺の様子が気になるようです。詳しい検査をする為に、循環器科と泌尿器科を受診してきて欲しいと言われました。
帰りが遅くなるのを覚悟し、午後から各科を受診することにしました。 

循環器科は、私に三段しかない階段の上り下りをさせ、心臓の強さを計測。人並みの心臓とのことで、これで、ひとまず安心。

泌尿器科は、PET画像診断と触診つまり、肛門から指を挿入し直接前立腺に触れて診察する。その結果は、年並みに多少肥大化しているが、柔らかいので問題はない、PETに写っている光は前立腺の上にある尿道にあった尿が、たまたま写っているだけと、前立腺がんの疑いを払拭してくれました。
次の外来9日には、その診断結果と手術日を決めることになりました。

肺癌 | 18:00:03 | Trackback(0) | Comments(0)
7、せっかく知らせてくれたのだから、そのまま放置は有り得ない。
午後3時 PET-CTで見つかった前立腺マーカーの数値 と今後の治療方針を相談、説明を受けました。
結果、前立腺のPSA数値は、1.61で、正常値の範囲内ということでした。
また、西村Drが、良性、悪性に関わらず、肺にある腫瘍を病理検査を兼ねて手術し、もし悪性なら切除することを勧めようとしたので、私から手術を受ける決心をしたことを告げ、従兄弟の藤野昇三の名前を出し、彼からその優秀さと信頼のおける医師だとお墨付きで紹介された寺田泰二呼吸器外科医(所長)を指名しました。
驚いたことに、内科医の西村知子Drも藤野昇三という外科医の名前を聞いて驚いていました。
藤野昇三Drも、なかなかの医者のようです。

私のような者が従兄弟であることに申し訳なく思いましたが、西村Drはひとまず安堵、すぐさま、寺田Drの診察日が明日ということで、予約を入れてくれました。


私の体のことは私でさえ分かりません。

何でこの世に生まれて、早いにせよ遅いにせよ、いづれ死んで逝くことの意味すら知る術はありません。

自分自身の経験と判断と、周囲の想いの流れに身を任せようと思うしかありません。

今回は、また自覚症状のないまま、たまたま見つかった肺の腫瘍らしき何か・・・。

近藤医師の本を何冊か読んで、「このまま自然に身を任せ、運に身を託すか・・・。」などと嘯くと、本気に受け取った妻や娘が慌てます。

米国のワシントンD.C.近くのベセスダにあるNIH(アメリカ国立衛生研究所(National Institutes of Health))で研究者として働くウイルス学者の娘婿曰く、「僕等学者や医者は、お父さんの仏画に対する思いと同じように、それぞれの専門研究者は、人の身体を犯す病をいかに克服するか、いつもそのことを考え、想いを以っています。年がら年中そのことで頭がいっぱいです。医者を信じてください。素人の一夜漬けの知識(私)ではお話になりません。」 と、毎日繋がっているスカイプの向こうで言われました。

癌もどきではなく、ほんとうの癌に対しては、今のところ近藤医師の、説が正しいのでしょう。

二人に一人が癌患者で、その癌患者のうち三人に一人が、その癌が原因で亡くなっているそうです。
癌患者の三人に二人は、癌以外の原因で亡くなっているということになります。
つまり、20年前に比べると、それだけ特定の癌細胞だけをやっつける分子標的薬が作られて、延命に成功しているのだそうです。

癌細胞の撲滅はまだ叶わないそうですが、延命治療はかなり進んでいるとの事です。

気管支鏡検査を担当した西村Drは、しっかりその腫瘍周辺の細胞を採取できたと私には言えないのでしょう。実はできないことの方が多いそうです。従兄弟の外科医から聞きました。
採取が難しい部位だったこともあり、やはり担当医師としては、まだ悪性癌細胞の疑いが拭いきれないのでしょう。

従兄弟の外科医は、私の送ったCT画像を見て、はっきり90%癌細胞と言い切りました。

従兄弟に電話をする前は、2ヶ月待って、CT検査をして貰うつもりでした・・・。

でも、その2ヵ月後の結果が、腫瘍の大きさがそのままでも、切除した方が良いというのが、今の現代医療の常識だそうです。
癌細胞は、ある日突然、増殖し始めることもあるということで、やはりこの何人かの私に近しい医師や学者の説を否定するには、私には、あまりにも知識がなく、その情報も少な過ぎます。

もし、手術を拒んでも、やはりその後の定期CT検査は欠かせなくなるはずですし、不安を抱えながら毎日を過ごすことになるはずです。

そうこうしている時に、このブログの前に書きましたが、私の一歳年上の従兄弟の会社の新社屋に、たまたまお守り本尊を描いていることもあり、その完成連絡のおりに、たまたま 今の私の状況を話したのですが、従兄弟自身も昨年の今頃肺癌の手術をしたとのことを聞きました。
胸部外科医の藤野昇三という実弟に切除して貰ったのです。

私の様子をたまたま聞くことになったその従兄弟(フジノ食品社長)は、すぐに私の工房に来てくれ、一刻もはやく切除した方が良いと、アドバイスをくれました。

そんなことで、先に書きましたが、知人の新潟大学の内藤眞教授(この春に退官)という分子細胞学の専門家の4年前の肺癌手術など、そんな情報を聞く機会が偶然重なり、手術する決心に至ったのですが、「何かが、せっかく知らせてくれたのだから、そのまま放置は有り得ない。」と確信するに至ったのです。

明日は、その優秀な外科医でもあるこの病院の呼吸器センター所長の寺田Drに診察を受けます。


肺癌 | 17:54:05 | Trackback(0) | Comments(0)
6、従兄弟の藤野昇三帝京大学医学部胸部外科教授に電話
夜、三歳年下の従兄弟の藤野昇三帝京大学医学部胸部外科教授に電話をする。
まさか、従兄弟の専門分野で相談に乗ってもうことになるとは思ってもみませんでした。
むかし、彼が医者になった頃、「喫煙者の肺を見たら、とうていタバコを吸う気になどなれない。」と喫煙者の私に言っていたことを思い出します。
私は20歳の頃から45歳頃までタバコを吸っていました。
母が、狭心症で医者にかかり、「この細くなった血管は、タバコの煙を吸っただけで、細く縮み上がり血流が止まってしまいます。つまり死にます。」という医者の言葉でたばこを止めました。
45歳の頃でした。
だけど、しっかり25年も喫煙していたことになり、肺癌になっても、何ら不思議ではないというお墨付き状態なのだそうです。

その従兄弟の胸部外科医の携帯電話を呼び出しました。
夜の9時前だったでしょうか、彼はまだ帝京大学医学部附属溝口病院の一室に居たようです。

彼は、数年前までは、外科医は実践でしか評価できないと、地元の滋賀や京都の医療現場でガンガン手術をして外科医である自分を鍛えてきたそうです。
実践主義の彼も60歳を前に、帝京大学の教授として向かい入れのお呼びがあったのでしょう。
60歳になった彼は後進の指導者としてご奉公中といったところでしょうか。

実は、少し前にその彼の4歳上の実兄が、昨年、昇三外科医に肺癌の手術を受けていたことを知ることになり、先にその兄である私より一歳年上の従兄弟に相談の電話をしたのですが、すぐさま、専門家の弟に振られたというわけです。

すっかり出世した、従兄弟の胸部外科医の第一声は、若い頃のようにただ頭の良いエリート医師ではなく、人間味漂う話口調に変化し、彼の今までの外科医人生における経験の豊富さを垣間見る思いがしました。

「昇ちゃんか?久しぶり、今回はすまんなぁ、なんかえろうなったんやなぁ。ちょっとググると名医の中に入ってるやんかぁ。」
「いやいや正観さんもすごいです。よくホームページ見ています。」との返事。ちょっと感動ものでした。
「お話は、兄からだいたい聞いています。病院はどこですか?」
「桂病院の呼吸器科やねん。」
「あぁ、そこなら安心して手術を受けて下さい。そこの呼吸器センター所長の寺田先生や吉村先生とは長年のお付き合いで、一緒に仕事をしてきた信頼できる優秀な外科医です。」
「へぇ~、世間って狭いなぁ・・・。」
「僕の名前を出してもらって構いませんから従兄弟だと言って下さい。悪いようにはしないはずです。」
こう聞けば、百人力です。不安は一気に吹っ飛びました。医者も人の子、患者との何らかの信頼関係があればお互いが任せられるし親身にもなれるはず・・・と思いました・・・。
従兄弟の胸部外科医が言ってくれたその一言が、私に決心をさせてくれました。「そうか、桂病院の呼吸器センターの外科医は信頼できる医者か、なら、任せるか!」といった気分でした。
「ありがとう!、その言葉を聴いて決心できたワ。」と、お礼を言って、電話を切りました。


肺癌 | 22:52:32 | Trackback(0) | Comments(0)

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