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11、 胸空鏡下左上肺葉切除術 を受ける
4月24日(水) 手術当日
6時15分 ヘパリン点滴 中止する。
午後2時  肺癌の疑いによる胸腔鏡下手術を受けるために歩いて手術室に入ります。
部屋の向こうには大きなモニターが設置され、数人の医師が、そのモニターの映像を見守りながら手術が執行されることが想像できました。

麻酔は、点滴で行われた模様。麻酔下で、人口肺気管支挿入 胸空鏡下手術は開始されました。
術中迅速病理検査ということで、この検査で、あの腫瘍が癌細胞と確定すれば、肺につながる動脈と静脈は剥離され、さらに気管支を切り離し、癌の病巣がある左上肺葉が切除され、さらに、胸の(縦隔)リンパ節郭清が行われます。
(※リンパ節郭清とは、周辺のリンパ節をすべて切除することだそうで、癌細胞がリンパ節に転移しやすいことから、通常、癌の根治・予防のために行われるそうです。)

午後6時頃  胸空鏡下左上肺葉切除術 終わる。


手術直後、まだ意識が朦朧としていて記憶のほとんどはありませんが、手術室から出てリカバリー室に運ばれた時だと思うのですが、まず、寺田Drの声で、「藤野さん!分かりますか。やはり癌でしたよ、きれいにすっかり取りましたよ。」次に妻の声で、「今、6時よ!、無事に早く終わったよ!やっぱり癌だったそうよ!」私がどんな反応をしていたのかわかりませんが、私が気がついたときには、まったく不自由な状況で、リカバリー室というその呼吸器病棟の看護士の詰め所と併設した部屋のベッドに寝かされていました。

辺りを見回すと、カーテンで仕切った私の左側にも誰か居るようでしたが、とにかくこの不自由さは何だとばかりに、自分の体に何が起こっているのか辺りの様子を見回しました。

まず、左の脇腹あたりから太い管が出ているようです。
術後のドレーンというもので、体内に貯留した体液、膿、血液や浸出液などを体外に排出する管です。その排出されたものを通して、創傷部の状態を観察、確認し、治癒を促し、感染を早期に発見する目的で行なわれているようです。
管の行き先のベッド下には、その排出した体液を貯蓄するケースがあるらしく、ポコポコと水が泡立つ音が聞こえています。カーテンの向こうの患者さんの方からもその音が聞こえます。
もちろん、手術中におしっこを漏らすといけませんので、私が麻酔で寝ている間に、やっぱり尿道に管が入れてあります。けっこう違和感があります。
また、鼻には酸素の吹き出し用のビニールの管が入れてあります。そして両足のふくらはぎがしっかりカバーされ、空気の出し入れでマッサージ運動をしています。
健康な時ならさぞかし気持ちいいのでしょうけど、足も自由に動かすことができず不自由さにイライラします。

左腕の付け根には、ここにもしっかりと何かで包み込まれ、後で聞くとただの血圧測定装置だったのですが、これも、圧迫感でうっとおしくて長時間に渡って付けているのは大変です。
胸には何種類かのコードで繋がれた心臓を見守る為のマットが貼ってあるようで、余ったコード類が、左肩のあたりにごちゃごちゃと束めてあるのが気になります。
その左手の手の甲には、点滴の注射針が挿入中。また右腕の手首の動脈には、そこにも頭の後方にある何かの薬から繋がった点滴針が挿入中でした。

時計の針は、夜の9時ごろでしたでしょうか・・・。消灯時間です。この頃、咳が出だしました。
咳をしますと、傷口は痛み止めのおかげか直接的な痛みではないのですが、気持ち悪く痛みます。
その傷口よりももっと違和感のあるのは、左胸の中、つまり内臓の様子が不快なのです。
それよりももっと苦しいのは、息ができないのです。普通に呼吸ができないのです。
おとなしく寝ていれば、酸素が鼻から入ってくるので、僅かな呼吸でも酸素は取り入れられ、思ったほどは苦しくないようなのですが、自分でいつものように呼吸がままならない状況には、苦しくてイライラします。

また素裸に寝巻きのように紐で合わせてあるだけの手術着だけですので、下半身など肌蹴ていてなんとも気持ち悪い状態が続きます。

時々様子を見に来る看護士は、「痛みますか?MAXが5ならいくつぐらいですか?」左のカーテンの向こう側の人に聞いています。
「息ができないので苦しい。」と、 カーテンの向こう側の患者さん。私より先に執刀された女性の方のようで、私より4時間は早くこの部屋においでのようです。彼女とまったく同感です。
 
痛み止めのおかげでMAXの痛みなど、まだ経験していなくてわかりません。ので、数字は答えられないのです。

看護士は、私のところにも聞きに来ましたが、私はこう答えました。
「とにかく息ができなくて苦しい。痛みは手術前に比べたら1ぐらいです・・・。」
とにかく、身動きできないのが辛いのです。時計の針が10時(22時)から進みません・・・。ウトウトとして目が覚めても5分も進んでいません。何度、その経験をしたでしょう・・・。
それでも、なんとか夜中の2時ごろになりますと、この環境に馴染んできます。

ベッドの上部を起こせば、角度の関係からか苦しい咳のコントロールができるような気がしました。
左手には、看護士を呼ぶナースコールスイッチ。右手にはベッドの上下をコントロールするコントローラーを握り締め、狭いベッドから落とさないように気をつけながら苦しいながらもウトウト浅い眠りを繰り返していました。

真夜中なので、夜番の看護士は少なく、部屋は薄暗い静寂の中、ドレーンの泡の音だけです。
顔を触って見ますと、ベトベトの脂汗で、イライラストレス満開状態を物語っています。

静かな中で、私はベッドの上部をやたらと上下に動かして気を紛らせていました。
部屋は二人分のドレーンの泡の音と、私の操作するベッドの上下運動する音だけが支配していました。

4時ごろだったでしょうか、命綱のひとつナースコールのボタンがベッドから落ちてしまったらしく辺りを手探りするのですが、管やコードばかりで本体がみつかりません。
落ちたのなら、コードを辿ればよいのですが、どのコードがそれなのかわかりません。

仕方が無いので、小さな声しか出ないとは分かっていましたが「お~い」と呼んでみました。やはり元気のない小さな声しか出ませんので、向こうの部屋に居る看護士さんには聞こえないようです。
何度か呼んでいるうちに、カーテンの向こうの女性の患者さんから「お呼びしましょうか?」「あぁ、はい、ありがとうございます。お願いします。」
そうすると彼女のベッドの上の天井の赤い回転ランプが点り、看護士さんが来てくれます。「何でしょうか?」「いえ、お隣の方がお呼びですよ。」とやはり私と同じような元気のない声で対応してくれています。

「どうしました?」「呼び出しのスイッチがベッドの下に落ちたので拾って下さい。」看護師さんは笑いながらスイッチを拾って、私の手に握らせてくれました。「このスイッチは、今の私にとっては命の綱ですから、手元にないと不安なのです・・・。」
私は思いました。このナースコールスイッチにしろ、ベッドの上げ下げコントローラー、ベッド上のほとんど身動きできない患者の手が届くところに設置しておいてくれれば、患者は安心してベッドに居れるのに・・・。

喉が渇きます。看護師さんに、水は貰えないかと聞きます。「6時になったら良いですよ。」その時が何時だったでしょう・・・悶々としながら朝の6時を待ちました。」

6時です。看護師さんに再度水を要求しました。

「冷たいほうが良いですか?」「はい、お願いします。」持参したコップにストローを入れて、氷で冷えた水を差し出してくれました。
恐る恐る、一口を口に入れると、まずは濯いで吐き出しました。飲むのが怖いのです。息穴に入りそうで怖いのです。
もし、間違って息穴にでも入ろうものなら、どれでだけ苦しむことになるか分かりません。
二口目は恐る恐る飲んでみました。「旨い・・・!」 三口目を飲んで、コップを返すと、その看護師さんは満足げな顔をしてコップを私の手の届かないところに置いて、詰め所に戻りました。交代の時間のようです。

6時以降の二人目の看護士は男性でした。同じように水を要求しても、水道の蛇口から出した生ぬるい水を持って来ます。
口を濯いだものを吐き出すトレイも、口に合わない反対側を差し出します。やはり看護士は女性のほうが向いているのではと思いました。

一晩中、右腕の手首を多用したベッドの上下コントロール操作をしていた為か、動脈へ挿入してある点滴針が抜けてしまい辺りが血で染まっているのに気づくのですが、この動脈への針を挿入する資格は看護士にはないらしく医師でないとできませんので、看護士は日直のDrにお願いしたようです。でも、執刀からすでに12時間が過ぎていた為この点滴は終了となったようで、事なきを得ました。ただし、その後しばらく右手首付近は内出血で青あざが広がっていました。

8時ごろ、食事が出ました。まだベッドに繋がれているというのに・・・。
大きなどんぶりにたっぷり重湯が入っていました。「食えるわけないやないか!」と思わずぼやいてしまいます。
牛乳パックだけ、開けて少し飲んでみましたが、お腹が減っているはずなのに、ほとんど寝ることもなくへとへとで食欲など何もなくなったようです。

25日の午前11時頃、待ちに待った個室に移る時間となりました。長かった・・・。
お隣のカーテンの向こう側の女性は、すでに体を拭いてもらっているようです。その女性の処理が終わり、歩いてリカバリー室を出て行かれる後姿がカーテンの隙間からチラッと見えました。背の高いおかっぱ頭の女性でした。
「ナースコールのスイッチの件ではお世話になりました。」またお会いした時にはお礼を言わなくてはなりません。

次は私の番です。3人目の担当の女性看護士に代わっています。私の体からは、ドレーンの管を除きすでにいろいろなコードや管類ははずされています。長い時間、違和感のあった尿管も抜いてもらい、ものすごい開放感です。
脂汗でべっとりの体を蒸しタオルで丁寧に拭いてもらい、手術着から持参していたパジャマに着替えさせて貰いました。
車椅子で部屋まで移動かなと思っていたのですが、甘かったようです。
脇腹と太い管で繋がったドレーンケースを自分で転がしながらゆっくり歩いて、術後の新居となる一人部屋に移動しました。私の様子は、左手に抗生剤と痛み止めの点滴。ドレーン挿入状態です。
リハビリの先生の指導の元、1時間ほどかけて肺機能のリハビリが始まりました。
退院までの2週間を、大部屋に戻らず、ここでゆっくり過ごすことにしています。
      

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肺癌 | 18:04:38 | Trackback(0) | Comments(0)