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♪心は青空-T-Bones


2015年4月27日 朝、最近、天気が良いので気分がいい!! 

T-Bones の Tippy Toeing(心は青空)を鼻歌に、大原野の自宅から自転車で遠回りして、工房に向かった。

大原野→2.63kmJR向日町駅→4.2km桂離宮→2.91km桂川の自転車道路→工房 合計9.74km  所要時間40分

ということで、何年前になるのだろう・・・。

T-bonesのヒット曲『心は青空』。  
ちょっとマニアックですが、私はこの明るい荒削りのエレキギターの音と女性の声のハーモニーが好きでした。

大ヒット曲 「真っ赤な太陽」(美空ひばりの歌ではない)の次のヒットだったと記憶している。

高校1年生頃に、なけなしの小遣いから330円のシングル版を買ったのを思い出す。

年を重ねると、 昔のことが現実とオーバーラップすることが多くなる。 

気分が良いと、ついつい、なつかしい青春時代の音が自然に出てくる。

知らない間に口ずさんでいる自分が居る。

今日の朝は、そんな気分だった。

ので、急いで動画にまとめてみた。  些細なことで気分良くなるものだ。




音楽 | 11:31:26 | Trackback(0) | Comments(0)
堂本印象名品展に行って来ました


友人に招待券を頂いたので、12日の日曜日、堂本印象美術館で開催中の『堂本印象名品展』に自転車で行ってきました。

雨続きの日が続いたので久々のサイクリンクです。朝の10時に出発し、午前中に帰ってこようと思っていたのですが、いろいろ寄り道をしていると到着が、11時半頃になりました。
自転車はこれが良いのです。

どんな細い路地でも入って行け、都人の住空間に入り込めます。

実は、印象が32歳の時に描いた『維摩居士』に会いたくて久々に行ったのです。

この絵に漂う霊気のようなものが凄くて、私もいつかはこんな絵が描けたら・・と思っているのです。
私はすでに64歳ですから、印象は今の私の年齢の半分で描いたということになります・・・。

印象は、27歳で絵画専門学校に行くまで、京都の龍村美術織物で社員として、図案を描く仕事をしていたそうです。

ここまでは、私と同じなのですが・・・。

私は、彼の「絵描き」としての画風の変貌に共感できます。

仏画を始めとする、古画の模写で力をつけ、仏画から具象、印象派、抽象派まで、日本画家の枠をはみだし、「芸術の旅人」といわれるぐらい画風が変貌して行きますが、その根底に流れるその日本の美意識は彼の内に浸み込んでいたのだろうと思います。

良く理解できます。

結局、工房に帰ってきたのは1時を過ぎていましたが、冷蔵庫の残飯で昼食を済ませ、先日アマゾンから届いて本棚に立てかけておいたブルーレイ、「インターステラー」を鑑賞しました。

この映画、なかなか魅力的な映画なので、SF好きの方には絶対お勧めです。4次元、5次元の世界観が描かれています。


仏画 | 08:50:32 | Trackback(0) | Comments(0)
「仏の顔も三度まで」という言葉のほんとうの意味
2015-4-8おしゃかさまを讃える夕べ

昨晩は、京都仏教会の主催する「おしゃかさまを讃えるゆうべ」という催しに出席してきた。
仏教徒の皆さんが集っておしゃかさまのお誕生日のお祝いをしようというわけだ。
毎年4月8日のこの日には参加させていただいているが、もう、10年は経過しただろうか。
毎年、宗派ごとにその僧たちが担当する法楽で始まり、仏教会の常任理事やゲストの挨拶や祝辞があり、その後のメインゲストの記念講演を聞く。
その後、食事を頂いて、最後に常任理事の挨拶で終わるというわけだ。
丸いテーブルには、ほとんど初対面の人達が隣り合わせに座る。
もちろん毎年のことなので、1年に一度だけお会いし挨拶を交わす人も多く出来た。
昨日は、各宗派の管長をはじめ、京都市長やインド総領事等400人のそうそうたる人達でANAクラウンプラザホテルの会場は、いっぱいになった。

会の終わりの常任理事のお一人の挨拶が、考えさせられたので、ちょっとまとめておこうと思った。

この方とは、インドの仏跡にもお供したことのある、お歳の割には実にお元気なご門跡で、いつも憲法九条を死守する意味のお話をされ、この催しを締めくくられる方である。

お坊様が、政治思想のお話をおもしろおかしくされるのは、積極的で好感はもてるのだが、今まで私は笑えなかった。
昨今の隣国の理不尽な日本バッシングに、そぐわないお考えだなぁ、と密かに思っていた。

「でも、こんな時、仏陀ならどうするのだろう・・・。」ともすれば、隣国の過剰な反日情報に苛立ちと怒りを覚える自分に問いかけていたのだが、答は見つからなかった。

しかし、昨日の催しの最後の挨拶で、その常任理事のお坊様のお話された内容は、私の仏陀ならどうするだろう・・・といった疑問に一石を投げられた形となった。

「仏の顔も三度まで」という言葉をご存知だと思う。

三度は許すが、4度目は許さない・・・そんな意味で理解している方が多いと思う。しかし、これは違います。 

と、釈迦の生まれた釈迦族の国カピラ城と強大な隣国コーサラ国のお話をされた。

自宅に帰って、ネットで確認すると、知恵袋にそのお話があったので、以下にコピペさせてもらうことにする。

-----------------ここから転載--------------------------------

お釈迦様がおられたカピラ城の隣にコーサラ国という強大な国がありました。 
この国王パセーナディが妃を釈迦族から迎えたいと思って、使者をカピラ城に出しました。 
使者の口上の中にあった「もし不承知ならば力ずくでも」という一言に、釈迦族は憤慨しましたが、コーサラ国は強大でとても相手にできる国ではないので、ある長者が下女に産ませた娘を長者の娘としてパセーナディ王に嫁がせました。 

妃は、王子ビドゥーダバを産みました。 
王子が八歳になった時、弓術を学ぶためにカピラ城に留学させられました。 
新しくできた講堂でビドゥーダバが修行をしているのを見て、釈迦族の人々は「下女の子をなぜここに入れたのか」と言って、王子の帰国後、彼のいた場所の床を削り、その下の土を七尺も掘って清浄な土と入れ換えました。
 
このことを聞いたビドゥーダバは身を震わせて怒り、お付きのバラモンに「もし自分が王位についたら『釈迦族に辱められたことを思い出せ』と一日に一回必ず私に言い聞かせよ」と命じました。 

父王パセーナディが死んで、王子が王位を継いだ時、バラモンは命令どおり実行しました。
 
ビドゥーダバ王は、軍を率いてカピラ城へと向かいました。 

これを聞かれたお釈迦様は、やがてカピラ城へ通ずる街道にある一本の枯れたチークの木の下で端座されました。
 
その前を通りかかったビドゥーダバ王は、お釈迦様を礼拝してから「ほかに繁った木があるのになぜ枯れた木の下にお座りですか?」とお尋ねすると、
「王よ、親族の蔭は涼しいものだ」というお応えでした。(チーク樹は釈迦族発祥に関係していて、いわゆる親族の象徴的なもの) 

王はお釈迦様が釈迦族出身であることと、「遠征のとき沙門(男性修行者)に会ったなら兵を返せ」という言い伝えを思い出して、その場から兵を引き揚げさせました。
 
しかし、王はまもなく、あの屈辱を思い出し、耐え切れなくなり兵を出しました。 
すると、またお釈迦様が枯木の下で座っておられたので、王はまた兵を返しました。 

同じことが三度あったのですが、四度目にはお釈迦様の姿は見えませんでした。
 
お弟子の目連が神通力でカピラ城を救おうとしたのですが、「釈迦族の積んだ業の報いは、自ら受けるより仕方がない」とお釈迦様は、目連をおとめになりました。
 
お釈迦様は三度目まではかつての故郷、親族の人々の為に滅亡から救おうと努力されたのですが、四度目には『因果応報の理』にまかせられたのです。 

この為、釈迦族はビドゥーダバ王に滅ぼされましたが、王もまた帰国後、遊びの時に突風が起こって兵と共に水没したということです。 

これは『増一阿含経』二六・「瑠璃王経」に出てくる話ですが、悲しい話の中にも、人としてのお釈迦様の情を偲ばせる一面があります。

-------------------ここまで修正加筆して転載-------------------------------


ということだった。

この常任理事のお坊様は、何が言いたかったのだろう・・・。

昨今の日本人の右寄り思考を懸念し、せめて仏教徒だけでも、戦わないという平和を実践した仏陀のように、強大な隣国の侵略を受け入れ、日本文化がないがしろにされ滅ぼされても、仏陀のようにドシッと構えていろと言うことなのだろうか・・・。

『因果応報の理』が日本国にも適用されるのだろうか・・・。

いやいや、やっぱり、意図的に作りあげられた濡れ衣とそれとは違うと思うのだが・・・・。




うだうだ | 17:55:16 | Trackback(0) | Comments(0)

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