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SAMSARA  輪廻


BARAKAに続いての2012年の作品、やはり音と映像だけの編集は素晴らしい。今回初めて観た。 画面右下のユネスコのマークのようなアイコンをクリックすると、画面は粗くなるが大きくなる。

独創的なカメラアングルと観点、そして見事にマッチした音や音楽には魅せられる。

SAMSARAとはサンスクリット語で輪廻を意味する言葉だが、5年間をかけて世界25カ国の知られざる風景や思わず目を疑ってしまう光景を撮影したこの映画「SAMSARA」は、ナレーションなし、完成度の高い音楽と共に圧倒的なイメージ映像を観る者に訴えかける。多少演出過多で押し付けがましいという部分もあるが、ドキュメンタリーというよりは、多くの時間をかけて撮った実写映像を芸術作品らしく編集がされている。

非言語的で、音とイメージだけによる表現は完成度が高い。 

音と映像が観る人々の心の内へ導いてくれる…。

と、いうような感じで世界中の美麗な光景をまとめています。

そして70mmフィルム映像は色も濃淡も自然に美しくて、やはりアナログにはかなわない。
監督のこだわりは前作同様、この作品にしっかりと反映されている。

また、BARAKA(1992年制作)からの時代の流れと変化も確認できる。

その視点から観ると、人間社会は瞬く間に変化するけど自然自体の変容は明らかに少ないことに気づく。

インドネシア・バリ島のガムランと舞踊から始まり、チベット仏教の神祕、砂曼荼羅を壊すシーンなど、メインにアジアの宗教観が表現されていて心に響く。

人が人として、動物として、また野獣として、豊かさと貧困の中に生きる我々人間の真実の姿を、時には離れたところから、はたまた非常に近いところから、いや、もっと深く内に入りこんでくるような、まるで『神仏』の視線で描いているような、私はそんな気がする。

1時間45分ほどの美しい映像と音楽。あなたは何を感じますか?

あとで、じっくり時間をとって観て下さい。



ご紹介 | 16:31:25 | Trackback(0) | Comments(0)
藤野正観のちょっと書いてみます(2015年9月号原稿より) 
2015-9月号用-1997年、大涅槃図完成記念旅行、弟子達とはじめての仏跡へ(ネパ-ル・ルンビニ)
1997年、大涅槃図完成記念旅行、弟子達とはじめての仏跡へ(ネパ-ル・ルンビニ)


私の仕事場と伝承

 前号では、私が仏画を描いて生活する事になった経緯を簡単に紹介しましたが、今号では、私の仕事場、仏画を専門に制作する工房と、私の元で修行する弟子のほんの一端ですが書いてみようと思います。

 今からちょうど三〇年前、私が三十四歳の頃、仏画を描いて生活できないものかと、図案の仕事をしながら触手を伸ばし、仏画制作の仕事を探していました。仏教美術の雑誌などに曼荼羅制作記事を見つけてもそれは、美術系の大学や日本画家が制作している様子が紹介してあり、図案家が図案を専門に描くように、仏画を専門に描く仏画家という職業が成り立っていないことに気が付きます。
 やはり、仏画を描いて生活することは無理なのかと、半ば諦めかけていたところへ、ある出版社の社長さんが尋ねてきました。その社長さんは、全国の寺院にお経や仏画のレプリカを作って販売する会社の社長さんでした。これからは印刷ではダメだ。手描きの仏画を売りたい。と言って来たのです。自宅近くの西国二十番札所・善峯寺に集印軸の観音図を描いていたことがご縁となったのです。願ってもないことです。本業の図案の仕事はそこそこに、私は、提示された画代が格安にも関わらず、損得抜きで仏画の制作にのめり込んでいきました。
 やがて、その出版社は、私の描いた仏画に手応えを得たのか、とても一人では描けない量の仏画制作を依頼してくれるようになりました。
 私は、京都のタウン誌に、求人の広告をお願いし、助っ人を募集することにしました。
 二十余人の女性が応募して来ましたが、伝統的な仏画が描ける人は一人も居ませんでした。
 その応募してきた二十余人の中の五人が、給金は要らないから仏画の描き方を教えて欲しいと言い、その内の一人が、毎日、私の机の傍らに居座るようになりました。その情熱に絆され、「手伝ってくれたら教えるよ。」ということになり、私とその五名の弟子達とで、仏画制作工房・楽詩舎としての活動が始まるのです。
 あれから三十年。当初の彼女たちは、長く居た人で十四年、私の傍らで勉強し、経験を積み、それぞれがプロとして活躍し、今では中国から来た若い僧が他の三人の弟子達と机を並べています。

 仏画を描く前には日本画家をルーツとする染織図案家の内弟子として修行し、日本の色や形を勉強し、プロとして実践して来た私は、仏画の制作を通してその日本の伝統的な描法や色、形を後進に伝えることが、今の自分の使命と思っています。
 その「徒弟」という伝承方法しか経験がないと言ってしまえばいい訳のように聞こえそうですが、昔ながらの徒弟という古い形態での伝承形態こそが、技術やその仏教の心の伝承には適していると信じています。
 私のホームページでは、私の想いを綴った「弟子募集」のページがあり、今も、その私の想いを受入れた全国の若者が門を叩いてくれます。



冊子原稿より | 16:47:51 | Trackback(0) | Comments(0)
老いた母が来た
日曜日、故郷に一人で住む86歳の母親を京都の私の家に連れて来た。

「いつまでも居れば良いやないか。」
私の運転する車のバックミラーにうつる母に話しかける。

母は、通り過ぎる景色の移ろいを感慨深そうに眺めている。

最近は特に「一人で生活するのが限界だ」と電話で弱音を吐くことが多くなった。

実際、足腰がいうことを利いてくれないらしい。

杖をつけばなんとか歩けるのだが、いつ倒れても不思議ではない。
おぼつかない脚力に限界を感じていたのだと思う。

耳も聞こえなくなった。

何でも一人で難なくこなしてきた母は、この2・3年でいっきに老いた。

田舎の母の住む家には畑がある。

母は、その周囲の草むしりが気になる・・・。

数年前からそこには野菜もない。畑の世話が出来なくなった。

あるのは雑草に混じって咲く野生化したダリアと菊の花。

隣接する放置された竹藪からの竹の進出阻止と落ち葉の掃除。

秋になるとその藪の中に育った巨大な欅の木から落ちる大量の葉が屋根に積もり、樋を詰らせる。

荒れて行く自宅が気になる・・・。

「体さえ元気なら、何でもするのに・・・」と、情けなそうに言うが、それ等の作業も叶わぬ夢となった。

先日、電話があった。雑草と竹と欅の落ち葉との戦いに敗北宣言をしてきた。

1年ほど前、車で10分ほどの処に住む妹夫婦の近くに、適当な老人介護付きの施設を探し、入所体験をしたのだが、本人曰く「まだ自分がお世話になるところではない」といい、お世話になるのを断った経緯がある。

昨晩、母が床に就く前に、少し話をした。

「また、お前の都合の良い時に送ってや。」と、早くも頼まれてしまった。

「えぇ~、昨日来たとこやないかぁ。しばらくここに居て様子をみたらよいやないかぁ。それで、居れるようやったらいつまでも居たら良い。そう言ってたやろうがぁ。」

昔から、来れば帰りのことを気にする性分で、その性分が一人での生活を長引かせているわけだ。

今回も、「台風が三つも来てるらしいから・・・・」と言って、雨合羽を2個も持って来た。

「こんなの、持ってきてどうするの?」

「台風が来てるやろ、雨がきつうなったら着るようにやないの。」

「その足で、暴風雨の中、雨合羽着て走って逃げるわけ?」

「・・・・・、そら、そうやなぁ」と笑いながら反省はするものの、臆病で心配性な母は、雨合羽を大事そうに片付ける。

別にぼけているわけではない。そういう性分なのだ。

3年前、ワシントン在住の娘が出産する時に、妻がその手伝いの為に渡米して留守の時、その時も、私と母と二人で京都の自宅で過ごしたことがある。

たしか、1週間も、もたなかった記憶がある。
久しぶりの母と息子。
水入らずの生活ということで、何かと世話をやいてくれるのは良いのだが、慣れてくるとついつい、お互いわがままが出、言いたいことを言ってしまうようになる。

疲れた母は、「もう連れて帰って!」となるわけだ。

あの時は息子の私と二人きりだったが、今回は、ちょうど、そのワシントン在住の娘と二人の6歳と3歳のひ孫が8月後半まで居る。

賑やかである。

我々夫婦も、普段は二人きりなので、それなりの静かな生活リズムがある。

そこへ、3人組みの娘と孫二人、それと、よぼよぼで心配性で神経質で気の短い母・・・・。

さて、この母との慣れない生活、いつまで続けられるのだろうか・・・。


うだうだ | 16:38:26 | Trackback(0) | Comments(0)