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藤野正観のちょっと書いてみます(2015年9月号原稿より) 
2015-9月号用-1997年、大涅槃図完成記念旅行、弟子達とはじめての仏跡へ(ネパ-ル・ルンビニ)
1997年、大涅槃図完成記念旅行、弟子達とはじめての仏跡へ(ネパ-ル・ルンビニ)


私の仕事場と伝承

 前号では、私が仏画を描いて生活する事になった経緯を簡単に紹介しましたが、今号では、私の仕事場、仏画を専門に制作する工房と、私の元で修行する弟子のほんの一端ですが書いてみようと思います。

 今からちょうど三〇年前、私が三十四歳の頃、仏画を描いて生活できないものかと、図案の仕事をしながら触手を伸ばし、仏画制作の仕事を探していました。仏教美術の雑誌などに曼荼羅制作記事を見つけてもそれは、美術系の大学や日本画家が制作している様子が紹介してあり、図案家が図案を専門に描くように、仏画を専門に描く仏画家という職業が成り立っていないことに気が付きます。
 やはり、仏画を描いて生活することは無理なのかと、半ば諦めかけていたところへ、ある出版社の社長さんが尋ねてきました。その社長さんは、全国の寺院にお経や仏画のレプリカを作って販売する会社の社長さんでした。これからは印刷ではダメだ。手描きの仏画を売りたい。と言って来たのです。自宅近くの西国二十番札所・善峯寺に集印軸の観音図を描いていたことがご縁となったのです。願ってもないことです。本業の図案の仕事はそこそこに、私は、提示された画代が格安にも関わらず、損得抜きで仏画の制作にのめり込んでいきました。
 やがて、その出版社は、私の描いた仏画に手応えを得たのか、とても一人では描けない量の仏画制作を依頼してくれるようになりました。
 私は、京都のタウン誌に、求人の広告をお願いし、助っ人を募集することにしました。
 二十余人の女性が応募して来ましたが、伝統的な仏画が描ける人は一人も居ませんでした。
 その応募してきた二十余人の中の五人が、給金は要らないから仏画の描き方を教えて欲しいと言い、その内の一人が、毎日、私の机の傍らに居座るようになりました。その情熱に絆され、「手伝ってくれたら教えるよ。」ということになり、私とその五名の弟子達とで、仏画制作工房・楽詩舎としての活動が始まるのです。
 あれから三十年。当初の彼女たちは、長く居た人で十四年、私の傍らで勉強し、経験を積み、それぞれがプロとして活躍し、今では中国から来た若い僧が他の三人の弟子達と机を並べています。

 仏画を描く前には日本画家をルーツとする染織図案家の内弟子として修行し、日本の色や形を勉強し、プロとして実践して来た私は、仏画の制作を通してその日本の伝統的な描法や色、形を後進に伝えることが、今の自分の使命と思っています。
 その「徒弟」という伝承方法しか経験がないと言ってしまえばいい訳のように聞こえそうですが、昔ながらの徒弟という古い形態での伝承形態こそが、技術やその仏教の心の伝承には適していると信じています。
 私のホームページでは、私の想いを綴った「弟子募集」のページがあり、今も、その私の想いを受入れた全国の若者が門を叩いてくれます。



冊子原稿より | 16:47:51 | Trackback(0) | Comments(0)