FC2ブログ
 
■プロフィール
■最近の記事
■月別アーカイブ

■カテゴリー
■ブログ内検索

昨日、朝一で、慣れない東京へ行ってきました。
Hojo-ji_temple.jpg P1060943.jpg P1060932.jpg 褒賞状


昨日、朝一で、慣れない東京へ行ってきました。

昨年、当工房で完成した両界曼荼羅が、昨日、東京西早稲田にある松光山 放生寺において開眼法要が営まれ、高野山真言宗管長猊下中西啓寶大僧正をご導師に、入仏開眼されました。
法要に続いて、式典では筆者の私に中西猊下より直々に「褒賞状」を手渡して頂きました。

また。原本所蔵の東寺の砂原管長猊下からも、この放生寺に描いた曼荼羅を、正式に「伝真言院曼荼羅放生寺本」と認定され、その旨の書いた書状を祝宴会場で公開されました。

この世界最古の彩色曼荼羅、一級国宝指定、伝真言院曼荼羅、西院曼荼羅ともいうのですが、写本を正式に東寺(教王護国寺)が認めたものは、1100年間でこれが三作目だそうです。

と、いうことは、私で三人目? 身の引き締まる思いです。



仏画 | 11:09:08 | Trackback(0) | Comments(0)
国産初のジェット旅客機MRJが初飛行に思う。
MRJ


今朝の新聞では、「国産初のジェット旅客機MRJ(ミツビシ・リージョナル・ジェット)が11日午前、初飛行を果たした。」というニュースで賑わっている。

この今の技術大国日本で、どうして国産初のジェットエンジンなのか、若い人達は理解できているのだろうか?

あの世界に誇る優秀な戦闘機「零戦」を作った三菱重工が戦後70年を経て、やっとジェットエンジンを自ら開発し、搭載した小型の旅客機を作ることになった。

そして、昨日、ようやく名古屋の澄んだ青空に飛んだ。

戦後直ぐGHQは、日本に航空機の設計、資料、航空機本体、全てを没収し、その脅威となる日本の優秀過ぎる技術力を封鎖した。

日本のそれまで培ってきた航空機製造技術はたちまち封印されたが、同じ頃、GHQによって与えられた「日本憲法」と同じように、5年後の朝鮮戦争勃発によって、米軍の航空機の整備や修理を請け負うことになった。

かろうじて、その航空機の技術は生きながらえた。

日本国憲法が、不戦に関わる全てを禁止したのにも関わらず、その4年後の朝鮮戦争勃発で米軍がお留守になった日本の治安維持の為に警察予備軍という自衛隊の元を作ることをGHQは容認した。

先日、世界の常識となっている独立国の権利、「集団的自衛権」を、この平和憲法にも適応するとした解釈が、国会を通った。

これと、同じようなことが、航空機製造においても、長い空白の時を経て、ようやく作らせて頂けるようになった。
(と、表現したほうが良いのかもしれない・・・。)

初めてのジェットエンジン。

少しずつではあるが、『重い戦後』が終わろうとしているのを、なんとなく感じたのは私だけではないと思う。



うだうだ | 09:00:24 | Trackback(0) | Comments(0)
藤野正観のちょっと書いてみます(2015年12月号原稿より)
2015-12月号用-1995年-平成大涅槃図-表具工房にて
1995年-平成大涅槃図-表具工房にて



私 と 善峯寺

 この原稿を書き始めたのは十月末日。この冊子が読者のお手元に届く、ほぼ一ヶ月ほど前に、たまたま私の脳裏にあったこと、浮かんだことを自由気ままに書かせて頂いています。
 十月二十九日は、私の心の師でもあり恩人でもある西国観音霊場二十番札所・善峯寺前住職、故掃部光暢師の六度目の命日でした。
 先ほどまで、三年前に師の思い出を綴った私のブログを読み返し、師とのご縁を振返っていました。

 三十年ほど前、図案家として活動していた私が、美しい観音図に出会い魅かれ、仏画を描いて生活できないものか、洛西の自宅から西山の中腹に伽藍の見える善峯寺にアポイントもとらずお邪魔し、ご住職に相談にのって頂きました。その日からこの寺との深いご縁が生まれ、人として、また絵師としての私を育てて頂いています。
「お経も読めない私が仏画を描いて生活するということはいかがなものか、許されるのでしょうか。」と、私の問いに、ご住職は、「僧には僧の修練があり、絵描きさんには絵描きさんの修練があると思います。ご自由におやりになったらいかがですか。描けたら見せて下さい」と、笑顔でそっと肩を押して頂き、今の私が存在し得ています。
 その三ヵ月後に観音図を描いて持って行くと、気にいって頂き、今も手描きの集印軸として頒布して頂いています。本業の仏画制作の仕事がうすいときには不思議と寺から注文が入るのです。この観音図のおかげで今の仕事がなんとか継続できたように思います。
 一九九五年、東京の学校法人に、一枚和紙では世界最大の十八畳大の「平成大涅槃図」の制作依頼を受けます。私の工房では図のサイズが大き過ぎて描けないので、善峯寺の薬湯場の板の間をお借りしました。
 三ヶ月間、毎日寺に通い、彩色を完成すると、「納める前に参拝の方々に観てもらえば」と、ご住職のお勧めで、急遽三日間だけの大涅槃図完成記念のお披露目展となります。
 釈迦堂の外陣に、完成した大きな涅槃図を絨毯を敷くように置き、裏山から青竹を切り出し、結界を作り、その三日間、たまたまお参りに来られた方々にだけ観て頂きました。
 その短い期間に、あっという間に噂が流れ、地元京都の新聞に取材されたり、TVニュースの特番で放送されたり、たまたま家族でお参りに来ていた某全国紙の記者に取材を受けたりと、思ってもいない事が次々と起こり始めたのです。
 全国紙の一面にカラー刷りで載るという大事件をきっかけに、全国放送のテレビ出演やら、某経済新聞から涅槃図の制作記を書いてくれ等、仏絵師に名声など必要はないとモグラのように地の下で仕事をしていた私がいきなりスポットライトを浴び、目が眩んだ瞬間でした。
 こうして、「仏画制作」という仕事は、私に善峯寺という本格的な仏教への入口を与え、私自身の生き方や仕事に対する姿勢、物の見かた、捉え方など、仏教徒としての私の在り方も教えてくれています―。


冊子原稿より | 12:14:50 | Trackback(0) | Comments(0)

FC2Ad