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藤野正観のちょっと書いてみます(2016年4月号原稿より) 
2016-4月号用-当麻曼陀羅彩色中の筆者-2016年3月3日撮影
当麻曼陀羅彩色中の筆者-2016年3月3日撮影


伯母の死

 行年九十三歳でお淨土に旅立った伯母の葬儀に出席してきました。
 絵描きになりたかった亡き伯父の事業を片腕として支え、いくつかの事業を作り育てた女性です。
 四人の息子たちのうち三人を事業の継承者として、一人を胸部外科医として著名な医者に育てた偉大な母でもあります。
 三人の息子たちは、うまく事業を継承し育て、数年前には、グループ会社での売り上げが数百億円を達成したと聞いています。
 先の戦争で身一つで満州から帰った伯父は、細々と薪炭商を営む家業を継ぐことになるのですが、もともと絵を描くことが何よりも好きだったそうで、青年時代には数多くの作品を残し、後に自費出版で画集まで出版しています。
 絵描きの道をあきらめて家業を継いだ伯父は、そういった意味で、絵描きの道を志した甥である私を気にかけていてくれたようです。
そんな伯父を良く知る伯母は、私の絵描き人生の所々で声をかけてくれています――。

 私が、京都の染織図案家本澤一雄門下でお世話になり、内弟子生活三年が過ぎた頃、普段顔も合わせたことのないその伯母から師の家の電話を通じて突然、私に電話がかかって来たことがあります。
 電話をとった師の奥様と丁寧な挨拶を交わした後、私に代わってもらったのですが、当時は携帯電話などありませんから私の親からも電話などもらったことはありませんでした。
 伯母は、そつなく挨拶をし、私との間柄も説明したようで、その電話直後の師の奥様の伯母への印象はかなり良かったようで、内容は忘れましたが伯母の人格を褒められた記憶があります。 
 その電話、「今度、食品関係の事業を展開するので、次男のK と一緒にやらないか?」というお誘いでした。
一歳年上のKとは年が近いので私をパートナーに選んだのか、それとも絵描きになったところでどうせ食っていけないのだから、そろそろ根をあげている頃だし、声をかけてみてやろうといったことだったのか、私の本気度を試そうと伯父の指示を受けて電話をしてきたのか定かではありませんが、図案家を志して修行中の私へ新規事業へのお誘いがあったのです。
 もちろん、当然ながら、私は日本の伝統的な色や形にのめり込んでいた頃ですから、伯母のお誘いは、お断りしたのですが、それから後、独立させて貰って数年後、仏画に出会い描きはじめた頃、ほとんど仕事らしい仕事がなかった頃、ふと、あの時、伯母に「Kと一緒にやる」と言っていたら・・・今頃は年商何百億の専務ぐらいにはなっていたかも・・・と後悔のような気持ちが脳裏をよぎった事を思い出します。

 葬儀場の片隅に伯母の歌集「もじずり草」が置いてありました。伯母の長男が「お前のことが詠んであった」とページを開けてくれました。
「十八畳の涅槃図かきし甥の記事載れる新聞夫に供ふる」


冊子原稿より | 13:43:50 | Trackback(0) | Comments(0)