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2016 我が家の夏のおわりⅡ
新海浜にて2016夏の夕暮れ
2016夏の終わり 琵琶湖新海浜にて


今日から、静かな日常に戻れると思っていたら、昨夕、羽田空港から電話が入りました。
娘からの電話です。

「羽田で、エアカナダ機に乗り継ごうとしたら、伊丹から搭乗したANA NH30 に落雷があり、荷物が出せなくなったので、エアカナダAC0006には乗れないことになった。今、ANAと今後のことを交渉中!」 とのこと。

何のことかよく分かりませんでしたが、ようは、人と荷物は一緒に搭乗しなければならないのですが、「荷物が積め込めないのなら、さっさと出発します。」ということで、ANAと提携するエアカナダAC0006便は、娘たちを乗せずに、ワシントンDCのダレス空港までの経由地、トロントに向かって飛び立ってしまったそうです。

そこで、ANAは、娘たち他17人の客に対し「深夜便になるがロスアンゼルスまで飛んで、国内線でワシントンDCまで行ってくれないか」と頼んできたらしいのです。
ANAは、その日の内に積み残しを処理したかったらしいのですが、娘は、小さな子供連れなので、とても無理だと断ったらしいのです。

さすがに担当者も二人の小さな子連れでは無理も言えぬと、羽田に宿をとり、明日、つまり本日の午前11時に成田発のワシントンDCダレス空港行直行便ANA NH2 を手配してくれることになり、昨晩はホテルでゆっくり休めたそうです。
災い転じて何とやらで、結果は、成田から直行便で帰れることになったわけです。

今頃、羽田から成田までリムジンバスで移動中だと思います。
成田で再度出国手続きを済ませ、本日11時にワシントンDCのダレス空港に向かって飛び立ちます。

ANA NH2 11:00 NRT発 → 12時間40分 直行便 10:40 IAD着

フライト時間12時間40分で、旦那が待つ目的地、ダレス空港です。

一時は、どうなることかと思いましたが、これで、我が家は今日から本当に静かな日常になるようです・・・。( ^_^;




うだうだ | 09:00:23 | Trackback(0) | Comments(0)
2016 我が家の夏のおわり
 
2016-結婚式


 結局、先月25日に、近所の医者に診てもらって処方してもらった薬を服用しても咳だけが残り、今月13日に至って、咳もひどくなりだしたので、再度、同じ医院に行って来ました。

こんなに長引く風邪は、夏風邪とは言わないそうで、もともとアレルギーがあるのかもしれないと診断されました。
気管支アレルギーかもしれないので、鼻から吸入する点鼻薬ナゾネックスを頂いて帰ってきました。
さて、これで、咳が緩和されれば良いのですが・・・。

でも・・・、我が家の家族、
今日ワシントンDCに帰る娘母子と我が妻も、軽いのですが全員コホコホ咳をしています・・・。

もっとも、私がうつされたと思われる娘の長男4歳の咳は、完全になくなり、元気いっぱいです。

中国の観光客のように、たくさんの荷物・・・と、いってもほとんど食料らしいのですが、今朝の我が家の玄関はそれ等の荷物でいっぱい、山積みです。

よくこんなたくさんの荷物を一人で持って帰れるものかと、あきれるやら心配するやら・・・。

本日昼頃、その娘と子供たち三人は、そのおびただしい荷物を妻の運転する車に積み込んで、伊丹の大阪国際空港へ向かいます。

今朝、家を出る時、車のETCカードをセットし、妻の苦手なナビの行き先設定をしてきました。

午後3時のエアカナダの提携する全日空機NH30で羽田まで行って、同じく帰国していたワシントンDCでのご近所さんの母娘と合流して午後5時40分、エアカナダ機AC006でカナダ、トロント経由にて米国、ワシントンDCに向かうそうです。
二人の子連れ乗り換え3回の長旅です。

また、時差による体調の崩れがあるはずです。
軽いとはいえ、私と同じような咳が出ている娘の帰ってからの身が心配になります。

我が家の長いようで短かった賑やかな夏はこれで終わりです。

この夏は、7月に弟の結婚式に出席るするために帰ってきた娘たち母子の6月の帰省に始まりました。

その間のウイルス学者の旦那の帰朝講演の為の帰省、(実はこの帰朝講演の予定が一番先だったのですが、これに長男の結婚式の日を合わせたのです。)
長男の結婚式4日前の義母の葬式、
メインイベントの長男の結婚式、
私の母の米寿の祝いの宴とお盆帰省、長引く風邪等々・・・。

何かと落ち着かない夏でした・・・。

明日から、前の静かな生活に戻れそうですが、バタバタと何かと忙しく動き回っていた妻は、2・3日寝込むかもしれません・・・。

あぁ、あと今月28日には、浜松の妻の実家で義母の49日の法要を済ませないといけません・・・。



うだうだ | 11:27:39 | Trackback(0) | Comments(0)
藤野正観のちょっと書いてみます(2016年9月号原稿より) 
2016-9月用-完成間近の観経変相図(当麻曼陀羅)阿弥陀浄土部分
完成間近の観経変相図(当麻曼陀羅)阿弥陀浄土部分


尊厳死と安楽死

 七月十八日早朝、妻の母が亡くなったと知らせが入りました。
二十四日に長男の結婚式を控えた我家は、大慌てです。

 早朝、浜松の実家に帰った妻から十九日に通夜、二十日にお葬式となったと連絡が入り、たまたま旦那の仕事でワシントンDCより帰省中の長女家族四人を乗せて京都から久々に長距離運転です。
 葬儀の終わったその日の夕刻、妻を残して、通夜に婚約者の彼女と一緒に駆け付けた長男の運転で京都の自宅まで帰って来ました。四日後に結婚式を控えた彼女は、その準備もあり通夜の後、急いで奈良の実家まで帰りました。

 義母は、数年前に脳梗塞で倒れた後、意識は戻りましたが、そのまま闘病生活を余儀なくされ、自宅に帰ることなく八三歳の生涯を閉じました。後半は鼻からチューブで栄養補給する「経鼻」という処置を受けて約二年の間、命を繋いでいました。
 義母が倒れた初期の頃、何度か浜松までお見舞いに行ったのですが、認知症も進み、行くたびに痩せて弱弱しくかつての凛とした理知的な顔立ちの義母が、行く度に変貌していく姿を見るのは辛いものがありました。
 後半の一年ほどは、妻が一人で見舞っていましたが、本人の意識の有る無しを知る術がないといった容態が続いていました。
 納棺前に死化粧をしてもらい、安らかな眠り顔になった義母に手を合わせながら、「楽になってよかったね」と思わず声を出して呟いた自分に驚きました。葬儀に参列した方々も、そのことを知っていますから、皆さん、「やっと逝けたね。」と、いった思いで手を合わせていたことと思います。

 たぶん、その頃、やっと『長かった病』から解放された義母は、十年前に先に逝った義父に、すがすがしい笑顔で会ってるようなそんな気さえしました。
 痩せて小さくなった義母は、最近の火力のパワーアップのせいもあるのかもしれませんが、信じられないぐらい僅かな遺骨だけになりました。
 葬送で私が持つことになった骨壺に義母が全部納まりました。
 今、長い間、帰ることのなかった自宅に、二〇年ほど前に撮った若々しい笑顔の遺影の横に義母の遺骨が祀られています。

 今回の義母の葬儀で強く思ったのですが、義母の認知症からくる誤嚥性肺炎の予防と栄養状態の改善、生存期間延長、床ずれ、感染症予防、そして患者の苦痛を軽減する為、と言われて仕方なく、チューブ栄養に頼ることになります。鼻から胃へ管を通す「経鼻」と、お臍(へそ)の上あたりから直接胃に管を通す「胃ろう」があるのですが、我が国では、チューブ栄養を受けている人の七〇%が「経鼻」だそうで、義母もそうでした。
 その流れから、いわゆる「延命」という、患者としては過酷な状況に追いやられていたのです。
 どこからどこまでが医療による「治療」なのか「延命処置」なのか私たちには判断できません。復活できない「不治の病」に対しての「尊厳死」や「安楽死」の法制化を急いで欲しいと願うのは私だけなのでしょうか・・・。


冊子原稿より | 15:02:14 | Trackback(0) | Comments(0)

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