FC2ブログ
 
■プロフィール
■最近の記事
■月別アーカイブ

■カテゴリー
■ブログ内検索

藤野正観のちょっと書いてみます(2016年9月号原稿より) 
2016-9月用-完成間近の観経変相図(当麻曼陀羅)阿弥陀浄土部分
完成間近の観経変相図(当麻曼陀羅)阿弥陀浄土部分


尊厳死と安楽死

 七月十八日早朝、妻の母が亡くなったと知らせが入りました。
二十四日に長男の結婚式を控えた我家は、大慌てです。

 早朝、浜松の実家に帰った妻から十九日に通夜、二十日にお葬式となったと連絡が入り、たまたま旦那の仕事でワシントンDCより帰省中の長女家族四人を乗せて京都から久々に長距離運転です。
 葬儀の終わったその日の夕刻、妻を残して、通夜に婚約者の彼女と一緒に駆け付けた長男の運転で京都の自宅まで帰って来ました。四日後に結婚式を控えた彼女は、その準備もあり通夜の後、急いで奈良の実家まで帰りました。

 義母は、数年前に脳梗塞で倒れた後、意識は戻りましたが、そのまま闘病生活を余儀なくされ、自宅に帰ることなく八三歳の生涯を閉じました。後半は鼻からチューブで栄養補給する「経鼻」という処置を受けて約二年の間、命を繋いでいました。
 義母が倒れた初期の頃、何度か浜松までお見舞いに行ったのですが、認知症も進み、行くたびに痩せて弱弱しくかつての凛とした理知的な顔立ちの義母が、行く度に変貌していく姿を見るのは辛いものがありました。
 後半の一年ほどは、妻が一人で見舞っていましたが、本人の意識の有る無しを知る術がないといった容態が続いていました。
 納棺前に死化粧をしてもらい、安らかな眠り顔になった義母に手を合わせながら、「楽になってよかったね」と思わず声を出して呟いた自分に驚きました。葬儀に参列した方々も、そのことを知っていますから、皆さん、「やっと逝けたね。」と、いった思いで手を合わせていたことと思います。

 たぶん、その頃、やっと『長かった病』から解放された義母は、十年前に先に逝った義父に、すがすがしい笑顔で会ってるようなそんな気さえしました。
 痩せて小さくなった義母は、最近の火力のパワーアップのせいもあるのかもしれませんが、信じられないぐらい僅かな遺骨だけになりました。
 葬送で私が持つことになった骨壺に義母が全部納まりました。
 今、長い間、帰ることのなかった自宅に、二〇年ほど前に撮った若々しい笑顔の遺影の横に義母の遺骨が祀られています。

 今回の義母の葬儀で強く思ったのですが、義母の認知症からくる誤嚥性肺炎の予防と栄養状態の改善、生存期間延長、床ずれ、感染症予防、そして患者の苦痛を軽減する為、と言われて仕方なく、チューブ栄養に頼ることになります。鼻から胃へ管を通す「経鼻」と、お臍(へそ)の上あたりから直接胃に管を通す「胃ろう」があるのですが、我が国では、チューブ栄養を受けている人の七〇%が「経鼻」だそうで、義母もそうでした。
 その流れから、いわゆる「延命」という、患者としては過酷な状況に追いやられていたのです。
 どこからどこまでが医療による「治療」なのか「延命処置」なのか私たちには判断できません。復活できない「不治の病」に対しての「尊厳死」や「安楽死」の法制化を急いで欲しいと願うのは私だけなのでしょうか・・・。


冊子原稿より | 15:02:14 | Trackback(0) | Comments(0)