FC2ブログ
 
■プロフィール
■最近の記事
■月別アーカイブ

■カテゴリー
■ブログ内検索

藤野正観のちょっと書いてみます(2017年5月号 原稿より)
2017-5月号用-工房の北側の窓から見える満開の桜
桂川のサイクリングロードの満開の桜(工房の北側の窓から)


見届けたいこと

 お天気というものは、大きく私の気分を左右するものです。
 何日かぶりに、雨が止み、春の穏やかな陽光が工房の前を流れる桂川の土手にある「満開の桜」や、その自然堆積でできた中州に広がる「黄色い菜の花」を色鮮やかに輝かせています。二階にある工房の北側の大きな窓に目をやると、その光景が眩しいぐらいです。

 今朝、FMラジオからこの八日に、病み上がりなのに法話を勤めたという瀬戸内寂聴さんのことが音楽の合間のニュースで流れました。
なんと、九四歳で、心臓の手術をされたそうです。三月十八日に退院して来られ、四月八日の降誕会には、信者さんを前に「お釈迦さまのお誕生」のお話をされたとか。九四歳で健康で頭脳も明晰なら、私もあと三〇年でよいから生かせて貰えないだろうか。
 二〇四五年まで元気で生きて、人類がかつて経験したことのない大変化「シンギュラリティ」を見届けたいと、なぜか最近強く思うようになっているのです。ごく最近まで、あまり「生」に執着はなかったのですが、なぜか、最近強くそう思うようになったのです。

 読者の皆さんは、この「シンギュラリティ」というこの発音しにくい英単語をお聞きになったことがありますでしょうか?
 聞いたことが無いとお応えになる方が大半だと思いますが、最近、ネットの片隅では、関心が高まっているようです。
 シンギュラリティとは、技術的特異点のことで、ごく簡単に説明しますと、人工知能(Artificial Intelligence)が人間より賢くなる時、 ということのようです。
 人工知能とは、人間が普段学習していることを機械が自分で行います。
人より賢いとは、人より適切な選択や判断ができ、機械が人より優位な位置に居る時代が来る。ということになります。
 人工知能学の権威、グーグル社のレイ・カーツワイル氏によると、二〇三〇年までにコンピュータの計算能力が人の知能に達し、二〇四五年までには、人工知能が人の能力をはるかに超え、IQが一〇〇〇〇以上になると言われています。つまり三〇年後には、優秀なコンピュータが作った超優秀なコンピュータたちによって制御された社会が来るのです。

 人の脳を模して造られた人口知能は、生命体ではありませんので、自己を守ろうとする本能のようなものは必要性はありませんので必然的に自我というものも存在しないはずです。いやいや、人の脳を模すということは、やはり、機械にも自我らしきものが存在することになるのだろうか?などと考えると、人はなぜ生きているのか?なんの為に生きているのか?・・・などと、哲学的なことに触れずして、その人工知能とやらを開発できないのではないかと思います。
 あと二〇年を待たずして人類は未だかつてない人を超えた存在と遭遇することになるわけですから、人の手を離れて進化し続ける「知能」を生命体と捉えることになるのか否か、元気な寂聴さんのように、あと三〇年、九五歳まで生きて、しかと見届けたいのですが、無理でしょうか・・・。


冊子原稿より | 13:54:23 | Trackback(0) | Comments(0)