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藤野正観のちょっと書いてみます(2017年4月号原稿より) 
2017-4月号用 等伯56才の頃の作『 松林図 右隻』(東博・国宝)
等伯56才の頃の作『 松林図 右隻』(東博・国宝)


日曜美術館「等伯ダンギ」Ⅱ

 NHK-Eテレで放送された『日曜美術館-熱烈!傑作ダンギ 長谷川等伯』では、私の言いたかったことが編集でカットされ、スタジオで談議された方々の個性的な感想だけで終わりました。番組としてはそれで、けっこうおもしろかったので、それはそれで、談義として、よろしいのではと思っております。
 でも、せっかく、今年の正月休みを返上して、この番組の為に『等伯』を勉強したのですから、この機会に私なりの等伯自論をまとめておこうと思いました。
 スタジオのコシノヒロコ氏や『等伯』という小説で直木賞を受賞された作家の安倍龍太郎氏、空海と最澄を執筆中という漫画家のおかざき真里氏は、等伯の残した仕事を「作品」として観ておられ、その等伯の人間像を、現代の芸術作家と同じ線上で語っておられたように思います。
 正月の十日、番組中に流すビデオ取材の為に私の工房に来られ、三時間を費やし、私の感じた等伯像もいろいろお話をさせて頂いたのですが、ディレクターが採用された部分は、仏画という仕事の窮屈さを説明した部分、つまり、窮屈で自由度の少ない仏画制作を三十三歳まで「仕事」として描いていた等伯ですが、そのいろいろ制限のある仏画を、職業絵仏師では、まずしないこととして、向上心のある才能豊かな絵師らしい部分が見受けられる部分を私が指摘したのですが、それは、等伯の手による密教図像「十二天図」の台座の部分に特に描き込む必要のない龍が繊細に描かれている部分を映し出し、それに私の話す音声を被せて編集していました。このカットは視聴者に分かりやすく私の説明を旨く表現できていたと思います。

 番組制作ディレクターと、最初にお会いした時に「等伯の下積み時代」が「仏画を描いていた時代」と、表現された時にはちょっと抵抗があったのですが、番組は、あくまでも「等伯」が主人公ですから仕方ないとはいえ、せめて絵画としての仏画の持つ「清浄な精神性」ぐらいはナレーションで説明して欲しかったものです。

 で、正月に即席で集中勉強した私の「等伯自論」なんですが、等伯は、上洛後もしばらくは仏画制作を請け負い、通常はしないはずの「信春」という署名を画面に残こします。
しかし、その自己主張とは逆に、目立った秀作はありません。
 私からすれば、「何故、もっと仏画を極めようとしなかったのだろう?」がまず、素直に気になるところ。
 確かに能登の地方に居ては、受注する仏画の種類が少なかったのかもしれないし、手本となる優秀な仏画にも巡り合うことも無く、私が今、こだわっているような仏画という制限のある絵画の中に、崇高な芸術性を表現する機会も無かったのでしょう。
 京都に出て、流行の狩野派の仕事を手伝いながら、一から宮廷絵師としての装飾絵画の技量を身に着けた等伯は持ち前の器用さと出世欲で群を抜き名声を欲しいままにするのですが、やはり彼が人生後半に描いた作品を鑑賞する時、若い頃は、ただただ求められるまま淡々と描いていた仏画の制作でしたが、その頃は求めることのなかった崇高で仏教的な深い精神性を求めて創作していたことに気付かされるのです。


冊子原稿より | 13:50:46 | Trackback(0) | Comments(0)