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藤野正観のちょっと書いてみます(2018年1月2月合併号原稿より) 
2018-1月2月号用 -善峯寺前住職掃部光暢筆による 『善峯寺に集う作家たち展』の立て看板
善峯寺前住職掃部光暢筆による 『善峯寺に集う作家たち展』の立て看板


  職人絵師の本音(その二)

 毎年、十一月の紅葉の頃になると、西国二十番札所の善峯寺で、『善峯寺に集う作家たち展』を開催していると先月号に書きました。
 その記事中で、最近、惰性といいましょうかマンネリといいましょうか、それとも、「老い」のせいか、何事をするにも、全てが面倒になり、新しく何かに挑戦したり、積極的に計画を立て、前に出ようという気が失せてしまった。そんな「老い」に対してそれをを受け止めようとしている自分と、「このままではだめだ、まだ終われない」という、新しく創作家として頑張ろうとする自分が混在していることを正直に書いたつもりなのですが、その先月号をお読みになった同じようなお年ごろの知人お二人から、「私の今の心境を興味深く読んだ。共感する。」と感想を貰いました。

 創作家としては、この惰性的精神構造では、新しい何かを創造することは所詮、無理のような気がしていましたが、記事の最後に自分に期待するようなことを書いてまとめました。
 今の職人絵師としての自分の生き方の延長線上で人生を全うするのが良いのか、もう一度、創作家として新しい画境を開くべきかということでしたが、実はこの、『善峯寺に集う作家たち展』の最終日に、自分の今のモヤモヤした気分を整理できる出来事があったのです。

 それは、最終日の二六日、開場一番に名古屋から来られた四人連れが、入り口から満面の笑顔で一直線に私に向かって入って来られました。そのうちのお一人の五〇歳を前にした女性が、私の目を真っ直ぐ見つめ、こう言ってくれたのです。
「以前よりサイトを通じて先生のことを存じ上げていますが、今日、初めてお会いできて幸せです。最終日の早朝なら会場におられると思い、同じく先生の描かれる仏画のファンの母と叔母と姪と四人でやって参りました。」と、仏絵師の私に語りだしたのです――。
  私は、会期中、初日と最終日の二日間だけ会場に居たのですが、最終日の朝、目が覚めると外は明るく良い天気でしたので、早々に朝食を済ませ、その日は八時半に一人で家を出、九時には会場に到着していました。
 十時の開場を待たず一時間も早く、入り口の障子を開けて、広い境内の会場付近に、看板を立てて準備完了です。
会場の大正時代に建てられた大書院の懐かしい歪んだガラスの嵌った障子越しに温かい朝の陽光が差し込む縁側に腰をおろし、一人ひなたぼっこをしながら、新しく手に入れたスマホをいじっていたところでした。

 三〇分ほど、その方たちとお話しできたでしょうか、気恥ずかしくなるほどの私への多くの賛辞と感謝の想いを聞かされ、「ぜひ、今後も元気でお続けいただきますように。」という温かいメッセージを頂戴したのです。
その言葉が、私の心に深く突き刺さり、その方の話される言葉の数々が、今の私には、「神仏の戒めと励ましの言葉」として心に残ったのです。
 七〇歳を三年先に控えた仏絵師は、自分の今の職人絵師人生をこのまま終えることに、忸怩たる思いがあったのですが、この日の朝、「このまま迷わず進みなさい」と、神仏に目を覚めさせて貰ったような気がしたのです。


冊子原稿より | 09:22:52 | Trackback(0) | Comments(0)