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今日は、お釈迦様の入滅された日とされる「涅槃会」の日です。
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2004年、仏跡巡礼の旅より、ヴァイシャリーの見返りの丘にて、正観撮影


今日は、お釈迦様の入滅された日とされる「涅槃会」の日です。
舞台は、2500年前の北インドはクシナーラの沙羅林。
釈尊80歳、休む暇もなく衆生に説法教化して45年、この生涯が終わりに近づいたことを知り、霊鷲山を下りて生まれ故郷の釈迦国に向かって、弟子アーナンダとマトウ比丘尼をお伴に人生最後の旅を始めました。

この旅で、釈尊がもっとも人間らしい振る舞いをしたとして有名な逸話があります。
私は、この時の釈尊に親しみを感じ、このお話が一番好きなので度々語ります。

釈尊がヴァイシャリーという町に入り、マンゴー園の木の下で涼をとります。
ヴァイシャリーは、華麗なダンサーでもあり、遊女(娼婦)でもあったアムラパリが暮らした地です。
アムラパリは、彼女の所有したマンゴ-園を進上し、心のこもった接待をします。

仏陀の一行は、旅を続けるため、ここを立ち去るのですが、彼女の住むヴァイシャリーの郊外にある丘にさしかかった時、仏陀はまるで大きな像がそうするように大きく振り返り、ヴァイシャリーの町を眺めながら、「人生とはなんと甘美なものよ・・・ヴァイシャリーの町は美しい・・・。」と、執着から開放されたはずの仏陀が、美しいアムラパリの住むヴァイシャリーの町に名残を惜しんだとされています。

美しい彼女は、後にブッダの教えに感銘して尼僧になりましたが、人としての仏陀を感じるなんだか温かい感じのする逸話でもあります。
こうして、涅槃の旅も終わりに近づいた時、バーバー村のチュンダに食事の供養を受けます。
それが茸料理とも豚肉料理とも言われていますが、それを食した釈尊は、激しい下痢に襲われ、体力を消耗しました。
それでも、釈尊は、チュンダに布施の行為を決して後悔しないように言い残し、2月15日、クシナーラの沙羅双樹の下で右脇を下に、静かに入滅されました。その時、サーラ樹は、片方の樹には、涅槃を祝うかのように時ならぬ花が咲き、また片方には悲しみで枯れてしまうという、仏画でお馴染みの不思議な現象が起きたとされています。

https://www.youtube.com/watch?v=MkQJNb8oii4&t=77s

| 11:20:31 | Trackback(0) | Comments(0)
藤野正観のちょっと書いてみます(2018年3月号原稿より)
2018-3月号用 -筆者染織図案家時代の作品(左右が中振袖図案の一部、中央が帯図案
筆者染織図案家時代の作品(左右が中振袖図案の一部、中央が帯図案)


画歴、五十年

 今年の三月十四日で、画歴五十年になります。
 五十年前のこの日、滋賀県の五個荘から京都は桂の染織図案家・本澤一雄先生の元に弟子入りしたのです。
この日から師と寝食を共にし九年の修行に入り、やがて仏画に目覚め、今までに約四五〇〇点を世に送り出して来ました。
 我ながら、「よく生活できたものだ・・・。」と感心しています。

 最近、改めて過去を振り返る機会が多くなりました――。
 実は、昨年十二月の中頃に、関西テレビの「よ~いどん」のディレクターが、当工房に訪ねて来られ、取材を受けました。関西地方にだけ放送されている人気番組です。私の知り合いも何人か出演されています。
 最初の電話を頂いた時に、つい気軽にお受けしてしまったのですが、その番組は、一般大衆向けの娯楽番組で私のプライベートな部分にも遠慮なく入って来るはずです。電話を切った後、ちょっぴり後悔したのですが・・・。

 その数日後のロケ本番では、ほとんど打合せもなく、お笑いタレントさんが、偶然通りかかったような演出で工房に来られました。
 付属ギャラリーで、展示してある作品を目の前にしながら、仏画のことを楽しくお話したり、二階の工房では、描きかけの絵を前に、タレントさんのうまい話に乗せられて、これもまた、今までの絵描き人生におけるプライベートなエピソードもついついお話してしまいました。

 この番組、正月を挟んで、一月二十五日に放送されたのですが、私の絵描き人生を数分にまとめてご紹介いただき、スタジオのレギュラーやゲストが、私のことをネタにおかしく、楽しく、感心したりと、クイズを交えお話するという番組です。
 ギャラリーの作品や、私や弟子たちが工房で描いている様子をご紹介して頂いたまでは良いのですが、私の変わった人生をも紹介しようということで、私が、安定していた染織図案家という職業から、この先がどうなるのか分からないまま、仏画を生業に移行してゆく様や、その時の妻の心境などを取り入れ、ちょっとした私の人生ドラマに仕上げていました。
 番組中では、私の出番は僅か十五分 程度ですが、的確な編集でした。
 しかも、それは明るく楽しく編集されていて、当初、私が懸念した下世話な内容ではなく、けっこう充実した出来上がりでした。

 この番組の放送日には、関西の放送エリアの一部は、大雪警報が出ていた日で、皆さん、ご自宅でテレビをご覧になっていた為か、この番組の視聴率もかなりの数字だったそうです。
そのおかげか、関西に住む友人・知人達から数日に渡って電話やら手紙やらメールが殺到とまではいきませんが、「観たよ!」という連絡がたくさん舞い込みました。
 番組中のこの短いビデオ編集の為に、古いアルバムを引っ張り出し、色褪せた紙焼き写真を選んだのですが、私の人生が、年季物の走馬灯のように、私の頭の中を駆け巡ったのです。
 十八歳で京都に出て来て、絵筆一本で生活を始めて、もう五十年も経ったのです・・・。


冊子原稿より | 09:26:06 | Trackback(0) | Comments(0)

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