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出家する前のブッダ29歳の苦悩(おごりの消滅)
アマラバティー出土出家レリーフ
南印度・アマラバティー遺跡から出土した出家シーンのレリーフ


わたくしはこのように裕福で、何不自由なく育ち過ごしていたが、次のような思いが起こった、(ディーガ・ニカーヤ、II、中村元訳より正観がもっと簡約しました。)

誰でも老いること
無学な人は、自分が老いてゆくものであって、また、老いるのを免れられないのに、他人が老衰したのを見ると、考えこんで、悩み、恥じ、嫌悪している。
実は、私もまた同じように老いてゆくものであると心から気づいた時、青年期の若さに対するおごりは、消え失せた。

誰でも病むこと
無学な人は、自分が病むものであって、また病を免れないのに、他人が病んでいるのを見ると、考え込んで、悩み、恥じ、嫌悪している。
実は、私もまた同じように病むであろうと気づいた時、健康時における健康へのおごりは、消え失せた。

誰でも死ぬこと
無学な人は、自分が死ぬものであって、また死を免れないのに、他人が死んだのを見ると、考え込んで、悩み、恥じ、嫌悪している。
実は、私もまた同じように例外なく死ぬのだと心より気づいた時、生存時における生存へのおごりは、消え失せた。


 老・病・死という、命あるものであるならば誰もが避けられない普遍的現実、真理について、若き釈尊は苦悩されていたのですが、仏教の開祖、釈尊の出家のきっかけが、老・病・死は、避けることができないという、気づきにあったことを、明らかにしています。

私、藤野正観は、自分自身が「老い」や「病い」と付き合う67歳の今、やっと、この普遍的現実である「老・病・死」を、心の底から受け入れ、理解できるようになったのです。



仏教 | 09:22:14 | Trackback(0) | Comments(0)

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