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仏画ってフランスの絵のこと?
私の生業とする伝統仏画の制作だが、読者のみなさんは、「仏画」というものをご覧になったことがあるのだろうか?
「(仏)ってフランスのことでしょ なら、フランスの絵? それならあるよ。」などとバカを言ってもらっては困るのだが、平然と言ってのける人が居るから、このご時世は油断できない。

「仏画」とは、仏教絵画の略語で、仏教を教え導く為の絵画(道具)に他ならない。わが国の国宝や重要文化財級の絵画や彫刻はほとんどがこの仏教美術品である。これらは一つの使命をもって生み出されている。
絵画、すなわち、仏画に限って言うなら日本の絵画の歴史に仏画の存在は欠かせないし、いわゆる「現代日本画」のルーツなのである。
明治時代に入り、油絵が輸入されると、それと同時に西洋の美に対する概念も輸入された。それまでの日本人固有の美の概念であるところの大和絵や仏画を代表とする唐絵に起源を発する「日本の絵画」つまり「日本画」という言葉は、その時、西洋画とそれとを区別する為に造語されたのである。
この流れからすると、「仏画」は、わが国の絵画史上欠かすことの出来ない中心的な作画文化を継承していると言える。

お話が難しくなって恐縮なのだが、現在の美術界では、「仏画」という絵画の位置付けがまったくない。
芸術なのか工芸なのか?はたまた、デザインなのか、イラスト画なのかそれともポップアート?
これからも「仏画ってフランスの絵のこと?」などと、私を深く傷つけていることなど察することもなく平然と言う人は増え続けていくのだろう・・・。
しかし、このことは、我々日本人が、日本人として自分達の伝統文化・精神文化とは何なのか良く知らされていないことの一例である。
話は逸れるが、本来は、柔術なのに柔道として認知されているスポーツとしての「柔」。以前、一人の柔術家と名乗る方の熱の入ったお話を聞いたことがある。
「仏画を代表とする日本古来の作図概念」と「如何に敵を倒すかという意味においての柔術」その両者は、まったく同じように、西洋の概念で形を変えられていったのである。

明治の初め、一八六八年、世界中に柔術を広めようとした一人の小柄な柔術家・嘉納治五郎によって、それまであった「柔術」をスポーツという西洋の概念でルール化し、オリンピック競技にまでなったものが今の「柔道」である。つまり、「現代日本画」も「現代スポーツとしての柔道」も実は、明治以降に新たに構築された日本の文化であり、すでに、日本固有の伝統文化ではなくなっていることに気付かされるのである。
また、その形を変えただけでなく、その主軸となる本質を変えていることに気付いている人は少ない。
このことは、ちょっと考えてみると、全ての伝統的な文化に言えるような気がする。なんだか、日本の伝統文化が疑わしくなってきたようだ。

「仏画」に話を戻すと、インドにその起源を持ち、中国・朝鮮半島そして飛鳥時代に日本へと仏教と共に輸入された。仏教も極東の国日本に辿りついた頃には、儒教や道教そして土着の神々とも融合し、日本固有の仏教文化として発展した。仏画も同じく、大和絵や唐絵と融合し、日本独特の発展を遂げた。
江戸時代に入り庶民文化が華やぐとその高貴な美意識は衰退し、明治に入り西洋文化が入るとまったく違った形と本質をもって日本人固有の美意識の結集である仏画を代表とするそれまでの日本の絵画の持つ崇高なまでの日本人の精神性が、作家個人の個性を表現する手段、即ち芸術としてまったく新しく「日本画」に生まれ変わったのである。変わらないのは画材なのだが、蹴鞠の鞠で、サッカー競技をしても蹴鞠をしていることにはならないのである。伝統とは精神的在り様を言い、決して事象や物のことを差すのではないのである。その本質のことなのだ。

聖徳太子が初めて我が国を一つの価値、つまり仏教の価値観で統一したことから考えると、日本国民からすると、伝統という固有の精神文化の根源に仏教が有り、それを形成する美意識の根源には、どうしても「仏教美術」があるように思われる。
アメリカ文化をお手本に教育され、アメリカのTVドラマで倫理を習い、アメリカンポップスを懐メロとする一人の仏絵師・藤野正観のフィルターを通して、日本の伝統文化を守るということとはいったいどういうことなのか、皆さんと一緒に考えて行けたらと思う――。
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テーマ:絵画 - ジャンル:学問・文化・芸術

仏画 | 08:48:51 | Trackback(0) | Comments(0)
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