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京都在住三十六年
一九六九年、近江商人の出身地として知られる近江の国は五個荘町を後にし、京に住む私の師の御宅に内弟子として移り住んだ。その時からの私と京都との関わりである。
現在、「竹取物語」の舞台と伝えられる洛西、大原野(おおはらの)に住居と工房をそれぞれ構えている。田舎者は田舎に住みたいものである。私の故郷と良く似た環境、つまり竹林や田園の広がる京都市内では最後の田舎なのである。
都人(みやこびと)に言わせると、何でも、桂川より西方は、「都」つまり「京」ではないらしい。師のお宅も桂だったので、私の場合は、京都在住三十六年と言ってはいけないのかもしれない・・・。
「何でや!」ということで、京都市在住の私は、その辺りを解明すべく、よろよろと立ちあがったのである。

そういえば、桂での修行時代もそうだったが、現在の住居地、大原野でも、ご近所のお年寄りが、よそ行きの姿でお出かけされる時「お出かけですか?」と声をかけると、決まって、「ちょっと、京まで」と、当たり前のような返事が返ってくる。
自分達の住んでいる洛西・大原野は「京」ではないのらしい――。

一九五九年( 昭和三四年)、京都乙訓郡大原野村が京都市右京区に編入。その後、一九七六年 (昭和五一年) その右京区からも分区され、現在の西京区大原野が誕生した。
このことから、この地域に住むお年寄りが、「京の都に出かけてきます。」と言う表現が妙に納得できる。

大原野の「野」を百科事典で調べると、皇室の猟場として、一般の狩猟を禁じたところとあるが、なるほど、現在では市街化してしまってはあるが、近郊には、北野、紫野、栗栖野、嵯峨野など野のつく由緒正しい地名が多い。

一方で東の鳥辺野、西の化野、北の蓮台野など、早く平安京初期から都の近郊に存在した葬送地として知られる「野」のつく地域もある。
かの有名な源氏物語の行幸(みゆき)の巻に「大原野の行幸」というくだりがあるらしい。天皇の出行すなわち御行。天子の行く所、万民が恩恵に浴し、幸いを受けるので〈幸〉というらしい。・・・・知らなかった。
この物語の様子から、私の住む大原野は、やはり帝(みかど)の狩猟場として、平安の昔から皇族たちに大切に庇護され、都に隣接する大自然、大原野だったことが想像できる。
くどいが、誤解があってはならないのでもう一度書くが、現在、大原野は京都市西京区である。当然、私は京都在住ということになる。
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うだうだ | 15:05:14 | Trackback(0) | Comments(0)
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