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老いるということ・・・・
2011年6月26日 日曜日 シミズ外科 循環器科に経皮経官式冠動脈形成術(冠動脈ステント挿入術)を受ける為入院した。    担当医師 窪田靖志Dr 

午後2時入院
採血 止血時間調査  尿検査 体温検査 夕食 血圧検査130~85 
9時頃、眠剤飲んで寝るが3時半ごろ尿意で目が覚める

※あらためて署名した入院計画書を改めてよく読んでみると、病名は「狭心症」。症状の欄では、「時々胸痛」と印刷してあった為、症状がまったくないという事実と違うので、看護士詰め所に修正を求めに行くが、「日曜で先生が居ない為、明日の朝、先生に直接言って欲しい」とのことだったが、結局、翌朝の看護士からの連絡説明では、その書類は症状の欄がすでに印刷されたものに書き足しただけのもので、書類そのものの内容はたいした意味がないとの説明を受けた。内容に意味がない書類に署名したわけだ・・・。
結局、その意味が分からないまま手術を受けることになった。
私自身は、脳血管狭窄の詳細な検査のついでに受けた循環器の検査で冠動脈の狭窄が見つかった。その為に受けた手術なので、当然ながら狭心症といわれるような胸痛症状など一切なかったのだ。
「冠動脈が95%ほど狭窄している。症状(梗塞)が出てからでは手遅れになる場合がある。」というので今回の冠動脈ステント挿入術を受けたのが実際である。

6月27日
8:00朝食 手術が迫っているので朝食半分の量(牛乳、ジャムと減塩パン、ヨーグルト)と制限。
9時前に病室のカーテンを開けて窪田DRがちょっと顔をみせてくれたが、笑顔で挨拶しあった。
10:00  超音波検査(血管の異常チェック)、血管の質検査(硬いか柔らかいか)、専門Drによる心臓の超音波検査の3種類を受ける。

11時前に剃毛、次に恐れていた尿道カテーテルは、看護士のテクニックのおかげか、2度目なので慣れたのか今回は比較的楽だった。
11:30 病室にて点滴開始 ルートキープ500ml ラクテック 
11:45 ストレッチャーに乗せられ手術室へ移動。
13:00 執刀、検査時に比べて、挿入部分が大きい為かけっこう痛みが多かった。ステント挿入成功。特に最終の止血作業が大変で、ちょっと痛いとは聞いていたがそうとう痛かった。
カテーテルを抜いた瞬間か、私の右腰から尻にかけて生暖かいものが流れ落ちた。手術台からストレッチャーに移動した時に腰に敷く為に持参したバスタオルの半分が真っ赤に染まっていた。

14:15 手術室より出て、二階のICU集中管理室に入る。
夕食は普通にベッドで食し、一晩そこで眠る・・・・が、たまたま右隣が耳の遠い老人で看護士が多きな声で何度も話しかけるためほとんど眠れなかった。

時間帯は思い出せないが、左には91歳の老婆が自宅か他の病院で倒れたらしく救急患者として手術を受けたのか、気が着くとベッドに居た。
その老婆の看護士との会話に老婆への尊敬の念と長生きすることのむなしさを抱いてしまったことがあったので、書きとめておきたい。

「お名前は?」と大きな声で看護士さん。「○○です。」とはっきり老婆は応えた。「お年は?」 「91歳!」 「今日は何日ですか?」 「23年6月27日!」 「ここは何処ですか?」 「シミズ病院!!」
完璧である。耳も頭も完璧である。
隣に居る私はというと、今日は何日だったかなぁ・・・?といった程度・・・。
彼女は、術後の処理を受けている様子なのだが、自分の身にこれから何が起ころうとしているのか不安で把握したい様子。
「これから何をしやはりますのや? 私は○○病院でお世話になってるので、早くその○○病院の○○先生に連絡して欲しい! 私は1日だけやゆうからこの病院に来ましたんや!」
 
彼女には、すでにいくつもの検査のコードや点滴の管が繋がってるのだろう。隣はカーテンで区切られ見えない。声の様子でしか想像できないが、彼女は、これから何が始まろうとしているのか不安の中で、繰り返し質問を続ける。
大きなはっきりとした太い声で「これから何をしやはるのか教えて貰えませんやろか?
私は○○病院でお世話になってますのや。そやからそこでお世話になりますさかい早よ帰して下さい。」

緊急手術を終えたスタッフは、きちんと説明をしてあげればいいのにほぼ無視状態。その要求に対してはあしらっているだけ・・・。黙々と処理を続けている様子だ。
説明などしているそれどころではないのだろうか?それとも90歳を超えた老婆なのでそういった無視が通常なのか・・・?それとも、すでに説明を終えているのだろうか・・・。

彼女は、何度も要求を繰り返したが、聞き入れないスタッフに「私の事は、最後には私が決めることでっさかい・・・。 そうでしゃっろ?」

私は、「そうだ、そうだ」と心で拍手したが、一方で、90歳になるということはこういうことなのだと悟った。

長生きも良いが、90歳を過ぎ病気になったら最後、ただの「生き物」でしかないのか・・・。

確かに、あの場面でスタッフがいくら説明しても彼女は理解できなかったのかもしれない。
ただただ『延命最優先』なのだ。
人は91歳にならないとその91歳の心もちは分からない。彼女の理路整然とした要求が何故無視されるのか・・・。
近代医療の倫理や、人が生きるということがどういうことなのか考えさせられた。

今の60歳の私が説明を求めたら、たぶん解るまで説明してくれると思うし、そのはずだと思う。それが70歳を超え80歳、90歳と歳を重ねていくと、その割合でどんどん無視されていくのだろう・・・・。

長生きするということはそういうことなのかもしれない。

彼女は、ただ、心から安心できる「安らぎの場(○○病院の○○先生の元)」に戻りたかっただけなのだ―――。


6月28日
元の病室に戻るが、熱が出始める。計ると38.3度。また夜は眠れず汗びっしょりで夜中に何度か着替える。
右股のカテーテル挿入部分の傷が痛むがこんなものか?
窪田靖志Drより抗生剤クラビット錠500mg5日分を飲むよう指示が出る。

6月29日(退院予定日)
朝、5時半ごろで37.5度 まだ熱が覚めない。着替えが足らないことを妻に連絡をすると7時ごろ着替えを持って来る。朝食 ジャムパン、牛乳、ゼリー。
昼食はおかずだけ食べてご飯は残した。その後、傷口が痛むので退院を一日延ばして貰う。昼間には抗生剤のおかげか熱も冷め、手術後、久々に排便する。

6月30日
4時半ごろ起床。夕べも発熱で悪寒。何度か着替えるが、朝には平熱に戻っていた。完全に寝不足。
午前6時には、傷口の痛みは軽くなっていて、ひとまず安心。

9時前 
まだ術後の説明を受けていなかったので術中の映像・画像を見ながら説明を聞く。
窪田Drに質問したこととその応えをまとめておくことにする。

・ステント(最新か?)の種類やサイズ、実際に狭窄していた量。
  最新ではないが最近のステントを使用(3mm口径を12mm)。思っていたよりも少なく90%の狭窄だったとか。  (8日より食している「ルンブルクス ルベルス含有食品」のおかげか?)

・今後の治療方針は?
 28日分の脳外科用のサラサラ血流を促すブラビックス錠75mg と 循環器用の同じくバイアスピリン錠100mg、 胃薬ガスターD錠20mg、コレステロール量を下げるリピトール錠5mg、それと他にふだん近所の土井内科で貰っている血圧を下げるオルメテック10mgとコレステロールを下げるゼチーア錠10mgを飲み続けることになった。
  
  ※私自身の素人判断だが、これらの薬は血栓を作らない作用があるだけで血栓は溶かせない。
   血栓を溶かすというサブリ、「ルンブルクス ルベルス含有食品」を同時に食して行こうと思う。
   今後の脳の血管狭窄の検査で血栓量の減少の答えが出るかもしれない。
   これを食し始めて以来、なんとなく身体の調子が良いので期待している。

   次回は7月25日(月)外来にて、脳外科と循環器を受診する事になった。

X線やMRI画像やカテーテル造影剤検査や術後に撮影した画像をCDRにコピーして貰った。
帰ってさっそく観てもなかなか身体の構造や血管の構造等予備知識のない私ではよく分からないのが悔しい。
自分の身体の中がどんな状態なのか、時間をかけて自分なりに把握イメージしてみようと思う。

昼前、退院。妻の車で何事もなかったかのように直接工房に向った。

Dr曰く、今後のダイエットと適度な運動(ウォーキング)が長生きの決めてだそうだ・・・・。

弟子たちの用意してくれた退院祝いのショートケーキを食しながら、工房の北向きの大きな窓から数日ぶりに見る光景はやたらと眩しい。
梅雨の合間、桂川のサイクリング道路を、猛暑の中、黙々と歩く中年の人々の姿が、今の私と重なった。

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うだうだ | 19:41:57 | Trackback(0) | Comments(0)
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