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開眼法要の報道
先月16日に、西山浄土宗総本山光明寺で、私の納めた観経変相図の開眼法要が営まれた。各新聞社が取り上げてくれたが、これは、私自身が各新聞社に、取材をお願いしたものだ。
私自信が1年半以上も費やして描きあげた当麻曼荼羅(俗称)なので、それなりに思いもあり感慨深いものがある。しかし今回の取材をお願いした真の理由は、私自身のことを報道して頂くという事よりも、実は、他に大きなな理由があった。
結局、この話題は、各社共京都の地域版という極、限られた地域のみの報道となった。しかも、筆者の私自身のことを主体として書かれている。
もちろん、そのカラー写真の掲載された記事については感謝してしているのだが、いかんせん、記事そのもののスペースが少なく、その新しく描かれた伝統的な仏画という絵画を目にした記者自信の感想がなかった。事実を淡々と報道するのがお役目なのだろうが、記者の目を通した報道・・・がなかった。
仏画が制作されるのはそれなりの理由があり、そのこと自体がこの腐敗しきった現世に必要だから制作されたのだ。
私が伝えて欲しかった真の理由はこのことに尽きる。

観経変相図(当麻曼荼羅)は、一言で言えば、今に生きる人々に、死後、阿弥陀浄土に往生できる術を解りやすく説く為の図なのである。

◇まず最初に、画面向かって左側の区画を下から上に向かって、王舎城の悲劇と言われる序文の内容を見る。つまり、王子の阿闍世(アジャセ)が、釈尊を妬む提婆達多(ダイバダッタ)に唆され、父で王の頻婆娑羅王(ビンバサラオウ)を幽閉して餓死させようと図った。それを阻止しようとした母の韋提希夫人(イダイケブニン)までをも幽閉した。それを嘆いた韋提希が霊鷲山(リョウジュセン)の釈尊に安楽な世界についての説法を求めるというこの王族の悲劇と釈尊によって救われる物語が描かれている。

◇第二は、画面向かって右側の区画を上から下に向かって、釈迦が韋提希に対して説いた阿弥陀浄土に生まれるためのイメージトレーニングとしての十六観想の図が描かれる。1.日想観 2.水想観 3.宝地観 4.宝樹観 5.宝池観 6.宝楼観 7.華座観 8.像相観 9.真身観 10.観音観 11.勢至観 12.普観 13.雑想観 14.上輩観 15.中輩観 16.下輩観である。

◇第三は、画面下方の全部で10ヶ所に区切られた区画を見る。中央の文章の痕跡が記された区画は、本図の根本曼荼羅が蓮糸で織られたという縁起を記した由緒書きの跡である。その左右に、向かって左から右へと、生前の行いによって生まれる場所の違いを顕す九品往生の様子が描かれる。左から、下品下生、下品中生、下品上生、中品下生、中品中生、中品上生、上品下生、上品中生、上品上生の9つの図である。

◇最後に中央の阿弥陀浄土図。前面に蓮池が描かれ、その池中の蓮花中からは、往生者が生まれている様子が見え、その池の畔では、阿弥陀と往生者の父子相迎の様が描かれている。また中央には阿弥陀、観音、勢至の三尊を中心とした聖衆が描かれ、その後方には左右対称に宝閣が描かれる。また、空中には散華や各種の楽器と共に飛天が舞い、西方極楽浄土の様子が描写されている。

当麻曼陀羅は浄土宗西山派の派祖・証空上人が当麻寺の当麻曼陀羅が「観無量寿経」の教えをもとに描かれていることを感得、これを全国に普及させたのであって、私の描かせていただいた曼陀羅もこの時を越えた一連の布教手段のひとつに他ならない。

このことを伝えて欲しかったのである。

「ある芸術家が、自分の感性を絵にし、お寺に納めた」というどうでもいいことを報道するのではなく、あくまでも、布教の道具として仏画という絵画が存在し、しかもその絵画は、2500年前に、釈迦が王舎城のあった霊鷲山(現在のインド・ラージギル)で説いた、観無量寿経に基づいて描かれているという、壮大な想いの繋がり・・時の連続性を皆さんに気づいて欲しかったからである。

日本文化の原点、仏教、そのなかでも一般的に理解しやすい浄土思想の復活こそが、今の荒れたご時世を救ってくれるのではないか・・・、そんなことを、私は常に考えている。
そのことを報道して欲しかったのだ。


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仏画 | 08:08:16 | Trackback(0) | Comments(0)
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