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クレーマー  仏教クラブ50周年~平和を祈る音楽法要~
10月10日、私の所属する仏教クラブの主催で、『仏教クラブ50周年~平和を祈る音楽法要~ 東日本大震災復興支援チャリティ、さだまさしコンサートがあった。
チケットはあっという間に売り切れ、さだまさし氏の人気に企画から開催まで審議した私たち運営委員一同、あらためてびっくりさせられた。
会場は、北区にある「京都コンサートホール」。 
「京都会館」が、当クラブと同じく開館50年ということで老朽化に伴い、再整備中の為、閉館中だった。
本来ならこういった類のコンサートは京都会館での開催が妥当なのだが、今回のコンサートは『京都コンサートホール』で行った。

1800名の来場者を前に、当クラブの会長、森 清範(清水寺貫主)を導師に、参与、元会長など高僧たち13名がステージに上がり東日本大震災から3年目の復興祈願と亡くなった方々の3回忌の法要を執り行った。
その後、被災者で、目の前でご主人が津波の濁流に飲み込まれ行方不明となった菅原文子(気仙沼市)氏の詩の朗読。次にステージには、森 清範(清水寺貫主・仏教クラブ会長とさだまさし氏が加わり3名のトーク、それに続いてさだ氏のコンサートが催された。

懐かしい誰でも知っているヒット曲から、最近作られた「いのちの理由」など、ピアノとバイオリン、そしてギター、彼の澄んだ歌声で、会場は盛り上がった。
そして、歌声はもちろんだが、楽しい彼のおしゃべりはこれもまた一流、素晴らしいステージを魅せて頂いた。さすがに4000回のステージをこなして来られたプロフェッショナルだ。私など、あまり期待せずに客席に居たわけだが、彼のトークに引き込まれ、いつの間にか自分が笑顔になっていたと思う。

で、そのコンサートが無事終了して、その次の日、クレームメールが舞い込んだ。

ステージバックの席に座られていたお客様からだった。その席しか空いていなかったようなのだ。 
「音がよく聞き取れなかった。ステージの前の良い席にお偉い僧侶方が座っていたが、僧侶なら一般客に席を譲るべきではないのか? 常日頃から凡夫にそう説いている立場ではないのか?」と、略して書くとそんな意味だった。
つまり、「バックステージでは、音がこもって良く聞き取れなかったこと、そして、僧侶が、良い席に座るのはおかしい。もっと後ろの席に行くべきだ。」ということだ。

また、そのメールでは、ステージ終了後にお客様がお帰りになる時、我々会員全員が、出口に並び、お送りしたご挨拶に対しても、腹立ちを覚えたと締めくくってあった。

クレーマーとはそういったものとは思うのだが、仏教クラブのサイトを管理する私としては、これはこのまま放置しておけないと、このメールに返信を書いた。

導師役をお勤めいただいた僧侶のお立場を、在家会員も僧侶も、その布施の精神や、佛・法・僧に帰依している立場として、その精神や敬いの心をも説明した。
しかし、このメールへの返信では、「仏教をよく知らないものは、コンサートに行ってはいけないのか?」とか、「仏教に関心のない者も会場に居ることを知るべきだ」と逆に攻められる結果となってしまった。

その後、私の3通目のメールでは、3時間もかけて、2通目以上に懇切丁寧に説明をし、お客様(クレーマー)に不快な思いをさせたことは事実なので、侘びを入れ、これ以上の彼女とのメールでのやりとりをお断りした。
実は、メールの最後にあった署名は女性のお名前だった。アルファベットで書いてあった。年齢こそ分からないが「女性」なのだ。

確かに、我々仏教クラブは、仏教に関心のないお客様にも、仏教的な法要を促したことになる。しかし、チケットやパンフレットにも、『仏教クラブ50周年~平和を祈る音楽法要~ 東日本大震災復興支援チャリティコンサート  出演者:森 清範(清水寺貫主・仏教クラブ会長/菅原文子(気仙沼市)/さだまさし』と明記してある。

今回のコンサートは、仏教に携わる仏教クラブが主催だということは、来て頂いたお客様、誰にもわかるようにしてあるのだが・・・、やはり、何を説明しても相手が謝るまで気が治まらないのか、これが私にクレーマーと言わせてしまう所以なのか・・・。

ということで、今回、良かれと思い開催した東北大震災被災者の三回忌法要と、復興と平和を祈るコンサートは、実際にメールをやり取りした私個人としては、このクレームによっていろいろ考えさせられた。

さだまさし氏のコンサートに来られるファンは、確かに伝統的な仏教土壌を自然に受け入れている人や、仏教に帰依し関心のある人ばかりとは限らないわけで、異教徒や無宗教主義者も居るに違いない。
そんな方々からすれば仏教僧に対する感じ方も、考えも、日頃仏教的土壌で生きる私たち会員とは、僧侶に対する接し方、感じ方がぜんぜん違うはず・・・と知るべきだった。

そう、当然ながら、我々仏教徒と違った価値観で生きる人達を巻き込んで催しをするに当たって、そういった類の人達が居ることを、少なくとも私自身、考えも思いもしなかったことは、私を含む仏教クラブに所属する会員の落ち度ともいえるような気がする。

このお客様のクレームが、もしも、徳を積んだ高僧のクレームだったらと仮定した時、このクレーム、部分的には結構、的を得ているような気もするのだが・・・。



しかし、これでは我が仏教クラブの導師を務められた僧侶達のお立場が無い。
導師をお勤めになった僧侶の名誉の為にと、私たち在家会員の想いを彼女に説明してあるので、その一部分も、以下に、追加しておくことにする。


『ステージで、ひと仕事終えられた、導師13名は、すべて高齢者です。一番若い導師でも62歳で、80歳を越えた僧侶も数人おられます。
暗がりの中、他の客に迷惑にならないように、速やかに席に着いて頂くことが最優先です。
暗い足元をステージの反射光が照らす必要があり、その移動キョリも短い方が良いに決まっております。あなたは、我が仏教クラブの高僧たちを「お偉い僧侶」と皮肉たっぷりに表現されていますが、すでにご説明させていただいたとおり、私のような在家の会員が親しみを持って接しられ、尊敬に値する僧侶方です。
すでにいろいろ、人のために尽くし、救済されてこられた僧侶方です。
同じ僧侶でも、いろいろな方がおいでなのです。
あなたの近くの僧侶は、やはり尊敬できない僧侶なのでしょうか?
あなたの僧侶に対する印象は、そうとう悪いようですね。
そうですね・・・、もっとわかりやすく説明してみましょう。あなたの年老いたお母様があの導師の中に居たら、そして、そのお母様にとって一番良い席とはという観点でお考えいただければ分かりやすいかもしれません。いかがでしょうか?
ということで、この場合の良い席とは、観覧に適した良い席という意味ではなく、日本に古来からある目上に対する敬いの心やその価値観としての、上座(かみざ)にお座りいただく習慣。また、老いた先人を大切にする温かい気持ち。仏教徒の一番大切にする「布施行」や、「佛・法・僧」の精神から派生したその姿勢や考え。
実は、その精神から、今回のチャリティコンサートが生まれたのです。
あなたの思う「良い席」と私が思う「良い席」とはだいぶ隔たりがあるようなのです。

さだ氏の音楽や詩やトークをお好きなあなたならきっとお分かりいただけると思います。

それと、余談ですが、もし、コンサート前に、私があなたがそこまで良い席に座りたいと知っていたなら、そんなあなたを存じ上げていたなら、あくまでも私の席をお気に召したならですが、代わって差し上げたと思います。たぶん、導師役をお引き受けいただいた僧侶たちも私と同じ気持ちになられたでしょう。
そういう人達の集まりが『仏教クラブ』だと思っております。50年間手弁当でご奉仕をして参りました。』

以上、私が3通目に丁寧に説明し返信した長い内容から、ほんの一部を抜粋し、高僧たちの名誉の為と伝統仏教で培われた美意識や精神をクレームを送りつけた彼女に分かって欲しい為に書いたものです。
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うだうだ | 14:59:10 | Trackback(0) | Comments(1)
コメント
あの有難く素晴らしい法要に参加させていただいた者の
一人として僭越にもコメントさせていただくことお許しください。
さださんの大ファンなので通常のコンサートにも足繁く
通わせていただいておりますが。
先日の音楽法要はまた一味違った心の底からの
安らぎを覚えました。
御仏様がそこにそっと寄り添っていて
くださるからでしょうか。
祈りの心に満ちた穏やかで本当に有難い時間を
過ごさせていただけたこと感謝の気持ちでいっぱいです。
いただいた花びらの形の三枚の散華部屋に飾らせて
いただいております。
たいせつなたからものにさせていただきます。
ほんとうにありがとうございました。
2013-10-18 金 05:41:11 | URL | ぽろん [編集]
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