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カピラヴァストゥ(ピプラーワー Piprahwa)Kapilavatthu 参拝 2014年2月7日


ネパールのティラウラコットというところにあるカピラヴァストゥ(釈尊のお生まれになった国)と、今回訪問した、インド側にあるカピラヴァストゥは、両者こそが本当のカピラヴァストゥだということで、政治的に決着がついていない。
いずれにせよ現在のインドとネパール国境付近に位置するわけで、国境や道路さえ無視すればキョリも近い。
たぶん、どちらも関係があると思う。

ルンビニでお生まれになったゴータマ・シッダータは、ここで、たくましく、賢く、優しく育った。そして、耶輸陀羅(やしょだら)を妻に迎え一子ラフーラを授かるが、やがて真理の獲得の為に家族を捨てることになる。

今回行った、インド側のカピラヴァストゥは、始めての訪問となるが、ネパール側のカピラ城にも実は行ったことが無い。
カピラ城と書くが、小国のことで城壁で囲まれていたことからこう呼ぶのだろう。
出家前の釈尊が王子として暮らしていたカピラ城には、華やかな物の溢れた豊かな城のイメージしかない。釈尊、いや、ゴータマ・シッダータは29歳で善の真理を知るためにここを出る。生・老・病・死に疑問を持った何不自由の無い29歳の青年が婆羅門の習慣とはいえ、出家し苦行に入るわけだ。
仏足跡を辿る旅なので、ここは欠かせないわけだ。

ネパールの国境の町バイワラから陸路でインドに入国してまもなくして到着する。
バイワラの国境付近はインド側からの大型トラックが列をなし、大混雑だ。
時には、仏陀の過ごした時代の2500年前と同じように牛車が大量の荷物を積んでゆっくりと歩んでいる光景に出くわす。2頭が引くその荷車は、ゆっくりとそのトラックの行列を追い越す。
じつに面白い光景だ。過去と現在が入り混じって実在している。これがインドなのだ!

このインド領内にあるピプラーワーの遺跡からは「カピラヴァストゥ」の文字が刻まれた出土品がいくつか出ていることが知られている。
このピプラーワーの遺跡はルンビニーから南に29Kmほど行ったところにあり、ストゥーパ(仏塔)と僧院の遺構が残されている。

また、ここからは、仏舎利を納めた舎利容器が出土されている。これは1898年(明治31年)にペッペというイギリス人がこのストゥーパを発掘したところ、地下6メートルの所から舎利容器が発見されたという。
その舎利容器は現在、カルカッタのインド博物館に保存されている。

舎利容器には紀元前数世紀の文字で、『これはシャカ族の仏・世尊の遺骨を納めた厨子であって、世尊を名誉と思う兄弟ならびに姉妹・妻子どもが祀っていたものである) 』とあるそうだ。
この舎利容器に納められた遺骨はタイ国の王室に譲り渡され、その一部が日本の仏教徒に分与され、現在、名古屋にある日本で唯一のいずれの宗派にも属さない日本の全仏教徒のための寺院、覚王山日泰寺に納められている。
人間釈迦の実在をものがたる。

広大な平地に城壁で囲まれた小国、カピラ城。
周囲には山など無い。地平線がどこまでも続く。
広大な田畑が広がる。
ここには、しつこい物売りも居ない。

のんびりした清らかな時間が流れていた・・・。

懐かしい田舎があった。 また、ゆっくり来たいところだ。



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| 15:39:28 | Trackback(0) | Comments(0)
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