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ラージギル Rajgir


霊鷲山(りょうじゅせん)  Grdhrakuta

クシナガラからケサリアを経てガンジスを渡りパトナを通り過ぎると、大平原の一角が岩山で囲まれたラージギルがある。かつてのマガダ国の首都だ。

デモの通行止めに遭って遠回りを余儀なくされた我々一行は、到着予定時間をはるかに過ぎた午前4時過ぎ、「法華ホテル」にたどり着いた。
ベッドに体を横たえようものなら、いっきに眠りに落ちることは誰もが知っていた。
荷物を部屋に置き、各自参拝用の衣服に気替え、休息も朝食も摂らないままロビーに集まった。
5時半には、霊鷲山に向かってホテルを出発した。

2度目の参拝である。その時、6年前にも早朝の登山だったので、同じような時間帯だ。辺りは真っ暗で、東の空が明るくなりつつある状態だった。この登山参道ではやはりウキウキする。

インド第一の強国マガダ国の王、頻婆娑羅(ビンビサーラ)が、お釈迦さまに頻繁に会いたいが故に、寄進した道である。ビンビサーラロードと呼ぶ。

私は、仏絵師なので、過去に観経変相図(当麻曼陀羅)を思い出せないぐらいの数を描いている。
この曼陀羅の構成は、韋提希(いだいけ)夫人の懇願により釈尊が説かれたのが『観無量寿経』で、この釈尊の教えが図式化されている。

図の向かって左側には、韋提希夫人が、釈尊に救いを求め、西方阿弥陀浄土に導かれる様を描いた、「王舎城の悲劇」の物語が描かれているが、その舞台も、ここ王舎城なのだ。
そして、図の右側には十六観想のうちの十三観想、下には下品(げぼん)から上品(じょうぼん)までの九品が描かれる。
その向かって左側に描かれた韋提希夫人の物語の一番上段に、鷲の頭のような大きな岩山の窟の前で、説法する釈尊を描く。

34歳からそんな仏画を描かせて頂いているが、45歳ではじめて仏跡に呼ばれたような気がして、縁あって実際にスリランカに行った。そこから、私の仏跡に対する思いが募っていくことになるわけだ。

それまでは、曼陀羅の舞台は、私にとって、単に想像の風景でしかなかった。
過去に描かれたほとんどの仏画には、中国の建物や景色が描かれているわけだから、本来のインドの風景を感じるには、実際にインドに行くしかないのである。

ほんとうに、マガダ国があって、国王ビンビサーラの寄進した道路があったし、その岩山があった。弟子たちが瞑想した洞穴もあちこちにある。まさに2500年~2600年前の遺跡なのだ、日本のどの遺跡よりも古く、言うなら縄文時代の後期にあたる時代の遺跡だから、これは凄い。
ブッダの入滅後アショカ王が仏足跡を定めるために旅するのが、弥生時代の前期・・・と、やはり古い。

霊鷲山、耆闍崛山(ぎじやくせん)ともいう。その名の如く、そのままだった。上空には鷲が旋回し、大きな鷲が翼を休めているような岩がある。曼陀羅の図、そのままなのだ。

ここには2回目の参拝だが、やはり、厳かな気分になる。

一年ほど前に、肺癌の疑いで、肺の4分の1を切り取っている私にとって、またここに元気に来られたことと、訪れた今、間違いなく聖なる霊気に包まれている自分に、感謝の念がふつふつと沸いてくるのを感じさせてくれる・・・。

80歳になったブッダは、ここ霊鷲山から、生まれ故郷を目指して『最後の旅』に出発する。

この辺りの仏跡には、最初の仏教寺院である竹林精舍、名医ジーヴァカの寄進したマンゴー園という名の病院跡、王舎城の悲劇の舞台(母韋提希と父頻婆娑羅の息子阿闍世が父を幽閉した牢獄跡)、南門の城壁跡、それにブッダも湯に浸かったであろう現役の温泉(温泉精舍)もある。
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| 11:27:30 | Trackback(0) | Comments(0)
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