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IQが10000の人工知能と共存する時代とは?
ロボット
IQが10000の人工知能と対戦することの意味ってあるの?


 今から23年先の2040年には、IQが10000というとてつもない能力を備えた人工知能を持つ人型ロボットが、私たち人類と共存をし始めます。

 シンギュラリティ、このことは、先のブログでも書きましたが、近い将来確実に起こる、人より圧倒的に優れた人型ロボットと出会うこと、それは人類史上はじめての経験となります。

人の能力をはるかに超えた「人の形をした機械」との出会い、そして共存とは何を意味するのでしょう? 

このロボットが、人の社会でどういった存在となるのか、2017年現在においてでも、こんな近い将来を明確にイメージできないのです。

それは、機械が自分で学習し、より優秀な機械を増産するに至るわけですから、このあまりにも急激な上昇角度でテクノロジーの変化に対して、私たちのイメージ力が追いついて行かないのも当然かもしれません。
2017年の今でも、画像認識においては、私たち「人」の能力を超えたそうです。

人口知能を加速開発するにあたり、その開発倫理や哲学の確立が急がれているようなのですが、そんなことで開発速度に追い付いていないようです。

 これは、いづれ人の手を離れて自分でどんどん深層学習(ディープラーニング)するロボットを開発しているわけですから、そのロボットが更に深層学習し、また自分より高性能なロボットを生産し、そのロボットが・・・と、自動的に開発が進むといった状態になるのですから、その先は、ロボット任せ・・・人の出番など無くなっていくような気さえするのです・・・。

人工知能の開発とは、人の存在そのものが、置き去りに、ないがしろにされるようなそんな馬鹿な世界を作り出そうとしているようにもみえるのです。

現在のところ、人の住む社会が、自分より優秀なロボットにサポートされ、人は今よりも便利に楽になり、面倒な勉強等はしなくてもロボットが代わりに情報や知識獲得や物事の判断をしてくれるし、汗水流し苦労して労働や営業をしなくても、すべてロボットがしてくれるようになる。
そうなると信じ開発技術者たちは考えています。

その実現の為には、解決しなければいけない課題が山積しているはずですが、その多くは人間でも判断する事の難しい、哲学的・倫理的な問題なのです。

命に限りのある「人」における哲学的・倫理的思考性は、アルゴリズム(計算や思考の手順)として生命体でない機械のそれに、当てはめられるのでしょうか・・・。

機械には機械の哲学があり、その機械として存続するための倫理アルゴリズムを確立すれば良いのかもしれません。
しかし、倫理の根本は、宗教観ですから、機械に宗教観などどうして感じることができるか・・・。生命あっての宗教ですが・・・。
命を持たない機械の為の宗教ってあり得るのでしょうか?

哲学や倫理観無しには、人は社会生活を営めませんから、機械であるロボットが人の社会の一員になり得るには、そのアルゴリズムの設定が必要不可欠かもしれません。
なら、そのアルゴリズムは、どこから持ってくるのか・・・。誰が決めるのか?

仏陀やキリストなど、人類史上最も尊敬できる人格アルゴリズムを備えれば、どうなるのでしょう・・・。
非暴力までは良いのですが、生産、消費、貯蓄は、まず否定的なんでしょうね・・・。
経済活動は無理のようですね。

圧倒的に優秀な人工知能は、人が使う為の道具なのか、それは、もう「人格」なのか「神」なのか・・・。

今のうちに何らかの手立てを考えておかないと、共存社会は必ずやって来ます。

クローン人間を作ることはいろいろややこしいことや不都合が多すぎ「ダメ」としました。

人にとって、幸せな世の中とは、どんな社会をいうのでしょうか・・・。
ほんとうに人が幸せに生活できるような社会を作るために私たちはこの世に生まれ、それを目指してきたのでしょうか?

それとも、人類創世期から数十万年を要して人類より優秀なロボットを開発し誕生させるのが目的だったのでしょうか?

生きがいとか、人生の目的とか、人個々の考えや捉え方は違います。

ロボットにも個々の「人格」のような基本アルゴリズムが必要のような気がしてくるのですが、その圧倒的な能力からすれば、人との力関係は明らかなので、存在自体が危険な気もしますし、人類が夢見た不老不死で「人類の理想の形」であるような気もします。
どうなんでしょうか・・・。

職業に至っては、あと10年で50%の職業が、人工知能やロボットに取って代わると言われています。

医師、学者、弁護士、検事、裁判官、教師、などの知識階級の仕事は、全て人工知能の得意分野です。
一般労働では、ドライバー等の職業はもちろんのこと、流通システムそのものの機械化は今もそうですし、繊細な気配りと力を必要とする介護関係、膨大なデータ収集と作業能力を必要とする農業、工業、建築などの生産関係の仕事。
創作、芸術では、音楽や絵に至るまで今でも人工知能が生み出していますが、観たり聞いたりする鑑賞する側にとっては、これでも十分な作品となり得ます。
むしろ、良い作品が生まれるような予感さえします。

となると、人しかできないあとの50パーセントの仕事って、何があるのでしょうか?

雇用の必要性の喪失。
アイデンティティ(他とは違うゆるぎない個の存在の意識)の喪失。
自分の存在意義の不明。

いづれにせよ、人工知能は人類が創る最後の発明であることは確かなのです。
誰が何のために人類にこの仕事をさせたのか、誰にもわかりません。

私は、もしかして、これで人類が生まれてきた目的は達せられたのではないかとさえ思ってしまうのです。

それでは、仕事としての目的を達成したからには、必ずその次があるのでは・・・とも思うのです。

つまり、人は数十年後には、目的を終えたこの世に必要のない生き物ということになるのかもしれませんが、一方で人は人工知能では不可能な感覚である人特有の精神世界へ突入することになるのではないかと・・・。そう思うのです。

こんなことを、今、しっかり考えておかないと、今から生まれてくる子供たちに何を教え、伝え、経験させるべきか分からなくなり、生きる活力の源である、努力目標や、しいては人生の目的すらわからなくなります。

人しかできない仕事とは、何なのか? この世になぜ「人」が生かされているのか? ロボットはどう見出し、考え、判断して、どういった理由(価値観)で「人」を援けてくれるのでしょう・・・。

まだまだ、うだうだと思考は続きます。



シンギュラリティ | 10:50:38 | Trackback(0) | Comments(0)
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