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藤野正観のちょっと書いてみます(2016年3月号原稿より)
2016-3月号用-カテーテル治療室(資料画像)
カテーテル治療室(資料画像)


まな板の上の鯉

 実は、この記事をK病院の循環器科の病室で書いています。
 最近、階段を上る時に胸痛を感じていたので、ふだんお世話になっている医師に相談すると、直ぐに検査ということになり、数日後、カテーテル検査をして貰いました。
 その結果、少しでも早い方が良いということでまた、その数日後に入院し、「経皮的冠動脈カテーテル形成術」を受けました。難しい治療名ですが、ようは、年季物の心臓血管の大掃除をして貰ったのです。
 その施術をする医師が、患者の不安や思惑などほとんど無視して、当日まで施術担当医師が確定しないという、なんともご都合主義というのでしょうか、医師チームの体制に、違和感と不安を覚えたのですが、実は、よく考えてみると、これって私の主宰する工房で大作を制作する時と同じやり方なのです。

 あくまでも私の場合ですが、今回のカテーテルによる心臓血管治療では、五名の専門医師にお世話になりました。
 てっきり、いつもお世話になっている医師が施術してくれるものと思っていたのですが、検査をしてくれた新米の若い専門医。一回目の治療をしてくれた有能なカテーテル治療専門医。二回目の治療をしてくれた経験豊富なベテラン専門医。止血処置をしてくれた学生のような専門医。実は、この医師たちとは、まったく面識はありませでしたし、どの程度の医師なのか知らされることはありませんので、まさに孤独な「まな板の上の鯉」なのです。
 医師とはいえ、カテーテル治療の専門医ですので、やはり技術職なのでしょうか、我々職人絵師の大作を描き上げる体制や精神構造と同じようなのです・・・。
 経験値や力量に応じて施術する医師を臨機応変に対応する点では、曼荼羅等の細密な大作を工房の絵師が一丸となって完成させるプロセスと似ています。
 医療の場合は、あくまでも「人」を治療するので、まずは患者を「安心」させることが先決だとは思うのですが、こういった治療を受けることになると、必ず「承諾書」にサインさせられます。つまり「いかなる不測の事態に陥ってもあなたが承諾したことですよ」と、いうことになり、患者の心理は、不安と医師への信頼の狭間で揺れ動きます。
 そんな心理状態の中、マスク等でほとんど顔の見えない医師に身を任せることになるのですから、合理的とはいえ、その医師にとっては、患者はもう、「人」ではありません。やはり「鯉」なのです。
 施術だけならむしろ、ややこしい感情移入など必要ないのでしょう。
最新医療機器を駆使して合理的に施術される様子はもう、SF小説の世界なのです。
 なのに、古来から、私たち仏絵師が己を殺し、ただただ、完成度を目指そうとする仏画制作と同じなのです。
 施術が完璧に行われ、完全に治癒することを望むなら、医師個人を信頼する前に、お世話になる病院自体の医療システムを信頼できるかどうかのほうが先決のようです。
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冊子原稿より | 13:37:50 | Trackback(0) | Comments(0)
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