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藤野正観のちょっと書いてみます(2016年6月号原稿より) 
2016-6月号用-2004年-福井敦賀の浄土宗鎮西派中本山西福寺の山越阿弥陀図と筆者
2004年-福井敦賀の浄土宗鎮西派中本山西福寺の山越阿弥陀図と筆者


心を育てること

 ある新聞に、私と同郷の教育評論家、尾木直樹氏が、手塚治の書いた漫画『ブッダ』の第三部十一章「ヤタラの物語」を紹介しながら人を育てることの本質を説いていました。

 菩提樹下で瞑想するシッダータの前にやって来た不幸のどん底にいる不遇の大男ヤタラに「人間はあらゆるものとつながって生きている。その中でおまえは大事な役目をしているんだよ。」と語りかけます。
ヤタラはこの言葉を聴き、生きる希望を取り戻します。

 尾木氏は、『ヤタラのように心が元気になると、物事の捉え方や言動が前向きになってきます。周囲が「がんばれ」「これをやれ」と言う必要がないのよ。前向きな態度を褒めて、背中を押してあげるだけで十分です。自分で決めたことが成功すれば自信につながるし、失敗しても諦めがついて、別の方法を考えるきっかけになります。
親や先生の言うことに、ただ、従って、巧くいっても満足感はないし、失敗したら「決めたのは自分じゃないから」と、結果から逃げてしまうでしょう?それじゃぁ、次のチャレンジに繋がらないわね。』
 自分で考えず他の人の指示で結果を出しても、そこに心を育てるものはありません。

 私の通った中学校は、テスト成績の上位と下位、各五十人を、廊下の掲示板に張り出し、競争をさせるといった今では考えられない方法で中学校自体の学力レベルを上げようと躍起になっていました。そんな大人の身勝手な姿勢に、内気な少年だった私は、いつも大人の世界に苛立ち、反抗的で希望の持てない暗い時期を過ごしていました。
 三年生になると、進むべき高校を、選ばなくてはなりません。
 担任の都合で決めた高校をあえて避け、当時、創立三年目でランク評価できない新しい高校をあえて自分の進路と決めたのです。
 生徒を将棋の駒にしか見ていない中学校に対しての、せめてもの反抗でした。

 その進路と決めた高校一年生のクラス担任が美術教師で日展作家でした。この出会いが、私の今の絵描き人生の出発地点となるのですから人生とはおもしろいものです。
 この美術部の顧問でもあった鹿取武先生とは、五十七歳で亡くなるまでお付き合いをすることになります。中学時代の印象派好きの美術教師には、私の描く絵はアカデミック過ぎたのか評価して貰えなかったのですが、鹿取先生の「お前、絵うまいなぁ」の一言が幼い頃から絵を描くことが好きだった私の「燻っていた絵心」に油を注いだのです。

 こうして絵を描きながら高校生活を謳歌し、明るく充実した青春時代を送ります。訳あって、行きたかった芸大を断念せざるを得なくなるのですが、京都の図案家の弟子になり、日本の色や形を学び、プロとして独立します。その後、幼い頃から描きたかった慈悲の眼差し、「仏画」に出会うのです――。

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冊子原稿より | 13:59:18 | Trackback(0) | Comments(0)
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