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藤野正観のちょっと書いてみます(2016年11月号 原稿より)
2016-11月用-二年の歳月をかけて彩色した両界曼荼羅が完成しました
二年の歳月をかけて彩色した両界曼荼羅が完成しました



弟子が辞めるとき

 早いもので、三〇年ほど仏画を描いて生活しているのですが、染織図案家の時代も含めますと、来年の三月で画歴五十年目を迎えます。
その仏画を描きだして三十年の間には、三大仏画といわれる「両界曼荼羅」「当麻曼陀羅」「涅槃図」をいくつも描いています。
 この三大仏画を描いて、やっと一人前の仏絵師といえると、何かに書いてありました。これ等の仏画を、何度も描かせてもらっていますので、我ながら畏れ入るのですが、こんなたいそうな仏画制作の仕事をさせてくれたのは、全国のご寺院は当然ながら、私の手足となって助けてくれた弟子たちの存在が大きいのです。

 昨年、今年と、曼荼羅を一階の工房付属ギャラリーの展示作品を片付け、制作スペースとして、両界一対を広げ、工房全員総出で描いていました。
 また、二階の工房では、これも大作の当麻曼陀羅(観経変相図)も広げており、余ったスペースは、あと僅か、他の仕事は、その僅かなスペースで制作しなければならないといった、なんとも窮屈な仏画制作工房となっていました。

 私たちの描く仏画は、大きなサイズも小さなサイズも西洋画のように立てかけて描くということはしません。
全て、床か机上で絵を寝かせて描きますので、長時間かかる曼荼羅のような大きな作品は完成するまでそのスペースを占領します。例え、他の仕事をしていても、その描きかけの絵を広げておくスペースが必要なのです。

 十月一日、予定より一ヶ月遅れで、両界曼荼羅がなんとか完成し、後は表装に出すだけとなっています。これで、前作に続いての今の曼荼羅ですので、足掛け四年間に渡ってギャラリーを閉めていたのですが、十一月から再開できそうです。
 この大作、両界曼荼羅図は、一昨年描き上げた東寺所蔵で最古と言われる「国宝・伝真言院曼荼羅(西院曼荼羅)」の写しに続いて、同じ構成で描いたものでは二作目となります。
 前作の段階で、東寺の記録では正式に写した絵師は、一一〇〇年間で私で三人目と当時の執事長さんから聞いています。三人目と、言っても、私一人が描くのではなく、基礎を習得し終えた一年目以上の修行中の者も筆を持ち、その力量に見合った彩色作業をします。
 床や机上に広げた約二メートル四方の木枠に張った絵絹(仏画を描く為の画布)に二人以上の弟子があちらから、こちらからと彩色作業をするのですが、こういった細密で大きなサイズの図の場合は、一人で描き上げるのではなく、どの時代も、工房制作といった方法で描いていたのです。

 このような細密で大きな図を長期に渡って制作しなければならない仕事を受ける時、いつも胸騒ぎがします。
 何度もある今までの経験なのですが、彩色に携わった弟子が志半ばで辞めることが多いのです。
 実は今回も三年目の愛弟子が一人、プレッシャーから、心を病んで辞めています。曼荼羅が、描く人を選ぶとでも言えば良いのでしょうか・・・。今、完成しても、私には清々しいものはありません。あるのはただ完成できた安堵感だけです。
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冊子原稿より | 17:43:18 | Trackback(0) | Comments(0)
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