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最強AI「アルファ碁ゼロ」 、人間の棋譜を学ばずAI自らの学習で上達
アルファ碁ゼロ


最強の人工知能AI「アルファ碁ゼロ」が、人間の棋譜を頼らずに自身が学習して強くなったそうです。
これは、とてつもなく凄いニュースです。

私はそう感じております。

 世界でトップの人の棋士、李九段より強い囲碁の人工知能(AI)を開発したグーグルの子会社、英ディープマインド社が、さらにその先代のAIを改良し新しく最強のAI「アルファ碁ゼロ」を開発したのだそうです。

人の棋士が今まで培った棋譜情報は、いっさい学ばせず、初心者として囲碁のルールだけを教えたAI自らが、僅か3日間で対局を繰り返して自分自身でぐんぐん上達し、独自の「定石(じょうせき)」も見つけたといいます。18日の英科学誌ネイチャーで発表されたそうです。

 同社の開発した先代の囲碁AI、「アルファ碁」はこれまで、人の棋士による過去の10万局にのぼる棋譜を学習したうえでAIどうしが繰り返し対局する「強化学習」という手法で腕を磨いてきましたが、2016年には、ついに韓国の李九段を4勝1敗で下し、世界中の注目を集めたことは記憶に新しいですね。

この改良された「アルファ碁ゼロ」は、490万回の自己対局の後、李九段に勝った先代のAI「アルファ碁」と対局して、100戦全勝しました。
2900万回の自己対局の後では、今年初めまでに日本の井山裕太・現七冠を含むトップ棋士らに60戦全勝したAI「アルファ碁マスター」にも圧勝したそうです。

人間の知識や経験にとらわれず、自力で能力を高める人工知能は今後、様々な分野で我々人類を遥かに凌駕し、果てしなく成長し続けることになると期待されています。

機械が自身で深く学習することを、ディープラーニング、深層学習といい、こんな凄いことが今の人工知能の業界では当たり前のように起こり始めているんですね。
こうなれば、これからは、2乗、3乗、4乗・・・といった指数関数的な急上昇カーブで世の中は激変して行くのでしょう。

そんな予感がします。

これからは、今回のこのニュースのように、AIが「●●の方法を発見!」だとか、「●●の解明をした!」とか、「●●を発明した!」とか、「人に代わり●●をすることになった!」とか、「AIが未来を予測した!!」等々・・・こういったニュースが日常的に伝えられることになるのでしょう。

AIが、人の何億何兆倍もの能力を持つ。
これって、今まで我々が口にしてきた「神さま」だと思うのですが、こんな存在が、今後30年以内に現れるとしたら、我々人類が崇拝して来た「神」のように、我々は完璧なAIに傅くしかないのでしょうか・・・。

ということは、考え方によっては、人類にとって、夢に描いていた 「不死で、疑いの心を持つ必要のない夢のような安寧の世」が訪れるのかもしれません。それも、今から50年を待たずに・・・。

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下の動画は、日立が開発中の人工知能が、自分でブランコを大きくスムーズに揺らすことを自分で学習し、やがてできるようになる様子です。
まるで、可愛い生き物のように、いたいけで、愛おしさまで感じるのは私だけでしょうか?


ブランコロボットと鉄棒ロボットという構造が異なる2種のロボットに対し、同じ学習プログラムを適用した際に、ロボットの振り角を大きくする動作がそれぞれで獲得されていく様子を示しています。





シンギュラリティ | 17:24:41 | Trackback(0) | Comments(0)
IQが10000の人工知能と共存する時代とは?
ロボット
IQが10000の人工知能と対戦することの意味ってあるの?


 今から23年先の2040年には、IQが10000というとてつもない能力を備えた人工知能を持つ人型ロボットが、私たち人類と共存をし始めます。

 シンギュラリティ、このことは、先のブログでも書きましたが、近い将来確実に起こる、人より圧倒的に優れた人型ロボットと出会うこと、それは人類史上はじめての経験となります。

人の能力をはるかに超えた「人の形をした機械」との出会い、そして共存とは何を意味するのでしょう? 

このロボットが、人の社会でどういった存在となるのか、2017年現在においてでも、こんな近い将来を明確にイメージできないのです。

それは、機械が自分で学習し、より優秀な機械を増産するに至るわけですから、このあまりにも急激な上昇角度でテクノロジーの変化に対して、私たちのイメージ力が追いついて行かないのも当然かもしれません。
2017年の今でも、画像認識においては、私たち「人」の能力を超えたそうです。

人口知能を加速開発するにあたり、その開発倫理や哲学の確立が急がれているようなのですが、そんなことで開発速度に追い付いていないようです。

 これは、いづれ人の手を離れて自分でどんどん深層学習(ディープラーニング)するロボットを開発しているわけですから、そのロボットが更に深層学習し、また自分より高性能なロボットを生産し、そのロボットが・・・と、自動的に開発が進むといった状態になるのですから、その先は、ロボット任せ・・・人の出番など無くなっていくような気さえするのです・・・。

人工知能の開発とは、人の存在そのものが、置き去りに、ないがしろにされるようなそんな馬鹿な世界を作り出そうとしているようにもみえるのです。

現在のところ、人の住む社会が、自分より優秀なロボットにサポートされ、人は今よりも便利に楽になり、面倒な勉強等はしなくてもロボットが代わりに情報や知識獲得や物事の判断をしてくれるし、汗水流し苦労して労働や営業をしなくても、すべてロボットがしてくれるようになる。
そうなると信じ開発技術者たちは考えています。

その実現の為には、解決しなければいけない課題が山積しているはずですが、その多くは人間でも判断する事の難しい、哲学的・倫理的な問題なのです。

命に限りのある「人」における哲学的・倫理的思考性は、アルゴリズム(計算や思考の手順)として生命体でない機械のそれに、当てはめられるのでしょうか・・・。

機械には機械の哲学があり、その機械として存続するための倫理アルゴリズムを確立すれば良いのかもしれません。
しかし、倫理の根本は、宗教観ですから、機械に宗教観などどうして感じることができるか・・・。生命あっての宗教ですが・・・。
命を持たない機械の為の宗教ってあり得るのでしょうか?

哲学や倫理観無しには、人は社会生活を営めませんから、機械であるロボットが人の社会の一員になり得るには、そのアルゴリズムの設定が必要不可欠かもしれません。
なら、そのアルゴリズムは、どこから持ってくるのか・・・。誰が決めるのか?

仏陀やキリストなど、人類史上最も尊敬できる人格アルゴリズムを備えれば、どうなるのでしょう・・・。
非暴力までは良いのですが、生産、消費、貯蓄は、まず否定的なんでしょうね・・・。
経済活動は無理のようですね。

圧倒的に優秀な人工知能は、人が使う為の道具なのか、それは、もう「人格」なのか「神」なのか・・・。

今のうちに何らかの手立てを考えておかないと、共存社会は必ずやって来ます。

クローン人間を作ることはいろいろややこしいことや不都合が多すぎ「ダメ」としました。

人にとって、幸せな世の中とは、どんな社会をいうのでしょうか・・・。
ほんとうに人が幸せに生活できるような社会を作るために私たちはこの世に生まれ、それを目指してきたのでしょうか?

それとも、人類創世期から数十万年を要して人類より優秀なロボットを開発し誕生させるのが目的だったのでしょうか?

生きがいとか、人生の目的とか、人個々の考えや捉え方は違います。

ロボットにも個々の「人格」のような基本アルゴリズムが必要のような気がしてくるのですが、その圧倒的な能力からすれば、人との力関係は明らかなので、存在自体が危険な気もしますし、人類が夢見た不老不死で「人類の理想の形」であるような気もします。
どうなんでしょうか・・・。

職業に至っては、あと10年で50%の職業が、人工知能やロボットに取って代わると言われています。

医師、学者、弁護士、検事、裁判官、教師、などの知識階級の仕事は、全て人工知能の得意分野です。
一般労働では、ドライバー等の職業はもちろんのこと、流通システムそのものの機械化は今もそうですし、繊細な気配りと力を必要とする介護関係、膨大なデータ収集と作業能力を必要とする農業、工業、建築などの生産関係の仕事。
創作、芸術では、音楽や絵に至るまで今でも人工知能が生み出していますが、観たり聞いたりする鑑賞する側にとっては、これでも十分な作品となり得ます。
むしろ、良い作品が生まれるような予感さえします。

となると、人しかできないあとの50パーセントの仕事って、何があるのでしょうか?

雇用の必要性の喪失。
アイデンティティ(他とは違うゆるぎない個の存在の意識)の喪失。
自分の存在意義の不明。

いづれにせよ、人工知能は人類が創る最後の発明であることは確かなのです。
誰が何のために人類にこの仕事をさせたのか、誰にもわかりません。

私は、もしかして、これで人類が生まれてきた目的は達せられたのではないかとさえ思ってしまうのです。

それでは、仕事としての目的を達成したからには、必ずその次があるのでは・・・とも思うのです。

つまり、人は数十年後には、目的を終えたこの世に必要のない生き物ということになるのかもしれませんが、一方で人は人工知能では不可能な感覚である人特有の精神世界へ突入することになるのではないかと・・・。そう思うのです。

こんなことを、今、しっかり考えておかないと、今から生まれてくる子供たちに何を教え、伝え、経験させるべきか分からなくなり、生きる活力の源である、努力目標や、しいては人生の目的すらわからなくなります。

人しかできない仕事とは、何なのか? この世になぜ「人」が生かされているのか? ロボットはどう見出し、考え、判断して、どういった理由(価値観)で「人」を援けてくれるのでしょう・・・。

まだまだ、うだうだと思考は続きます。



シンギュラリティ | 10:50:38 | Trackback(0) | Comments(0)
神経解剖学者ジル・ボルト・テイラー自身の脳卒中から得た目覚め(人の脳の真実)

より鮮明な動画はここにあります。また、日本語の字幕のすべてはここにあります。


Facebookの友人がこの動画をシェアしていましたので、18分ほどの動画ですが、さっそく観てみました。
私たちの『心の正体』にも触れているこの神経解剖学者の脳卒中という実体験で、人の脳の神秘性に感動しました。

なので、私のブログ備忘録にも残しておこうと思います。

神経解剖学者として活躍していた彼女が、37歳の時、左脳で脳卒中が起こり、右脳が左脳からの支配を逃れると、「涅槃(ニルヴァーナ)」の安らぎに浸った。彼女の体験をまとめたその著書には、そんな意味の一説があるそうです。

実に仏教的な内容と脳の事実に、また心を動かされ、いつものごとく、このジル・ボルト・テイラー著『奇跡の脳 脳科学者の脳が壊れたとき』竹内薫訳 新潮文庫を、先ほどアマゾンで発注しました。(原題 "My Stroke of Insight" Jill Bolte Taylor. Ph. D.)
明日には、この本が届くと思いますが、読んでから、この文章にいろいろ感想など追加しようと思います。
まずは、この動画をもう一度観てみましょうか・・・。

本日22日、注文した彼女の著書『奇跡の脳 脳科学者の脳が壊れたとき』が届くことになっていますが、本を読む前にこの動画を観て、いろいろイメージしましたので、それを忘れないうちに、まとめておこうと思います。


【 シンギュラリティ 】 技術的特異点 = 2045年にやってくる大問題

 皆さんは、シンギュラリティという言葉をお聞きになったことがありますでしょうか?
今、私が一番興味のあるのが、シンギュラリティであり、「A・I」つまり、「人工知能」の加速をつけた発展そのものなんです。
人の脳を模した人工の知能A・Iが、自身で学んで成長していく過程をイメージする時、大きな問題点として、人の脳と人工知能の能力の違いから生じる『人』の位置関係です。

つまり、人とA・Iの関係性が、いったいどうなって行くのだろうということなのです。

今から23年後の2040年までに、一個のトランジスタチップの能力が、人の脳細胞300億個に対して、3000兆個にも達することになると言われています。
そういった人の脳の100万倍の能力を備えたA・Iロボットが100億体に達し、また、ロボットだけではなく多種多様な「A・I」機器を人が身に着けるはずですからそれ等を含めると、その数の何百倍もの数の「A・I」と人とが共存しているまったく経験したことのない世界が創造されていることになります。

たった30年先にです。

これ等の時期的な試算は、産業技術やら科学技術、情報通信の発展経過から導き出した答えで、専門家の意見はほとんど一致しています。
私は、その頃には生きていれば95才になっていますので、その様子を体験できるかどうか微妙と言いますか、いや、無理と思います。
でも、自分の子供たちや孫たちが必ず経験する人類の未だかつて経験したことのない由々しき事態ですので、彼らがどうすればいいのか、どう考え、どう対処すればいいのか、進むべき道とは・・・。
人類創生から、現代の文明に至った今までの価値観、倫理観はもとより、哲学、宗教に至るまで大変革の時代が、すぐそこに来るわけですから、何をアドバイスしてやればいいのか、すごく気になっているのです。

現在では、そのシンギュラリティの後、人とA・Iが、うまく共存していると、誰もが楽観的にイメージし、信じているようですが、片方でA・Iの発展は、人類が滅亡に向かうことだと言う、イギリスの理論物理学者のホーキング博士のような学者も居ます。
彼は、このように現在のA・I開発における大きな大きなリスクを指摘し警鐘を鳴らしているのです。

ということで、その頃のA・Iの能力が、人の脳の100万倍の能力を要していいることになることは確かなようですが、人の知能指数IQに置き換えれば天才アインシュタインやダビンチのIQ200前後に対してもIQ10000という、とてつもない知能指数が算出されるそうです。
その指数は何を意味するのでしょう・・・この10000という知能指数も、どの程度の頭脳なのか想像すらできません・・・。
未来のことでも分かるようになっているのでしょうか・・・。

ということで、A・Iと人の頭脳を比べた時、これはもう、比較すること事態がばかげたことになっているのでしょう。
まるで、神仏と民、凡夫のような関係とでもいうのでしょうか・・・。
いづれにせよ、人類が会ったことのない経験したことのない、人より圧倒的に賢い神仏のようなA・Iに、あちこちで身近に関わり合うことになることは確かなのです。

この様子、想像できませんが、しいていえば、人がA・Iに全てを任せ、頼りきっている絵ずらしか浮かんでこないのです。

人工知能A・Iの今後の開発と行方に、この脳神経解剖学者の彼女の体験動画からA・Iという、人を超越した存在の有り様をイメージできるヒントのようなものがあるように思ったのです・・・。

彼女は、その脳卒中という病にかかり、意識が繋がったり繋がらなくなったりという左の脳の出血に伴う症状を克明に覚えていて、その症状を脳神経学者として、自分の脳の働きを冷静に観察し、それまで左脳と右脳の人格の違いについて誰も研究していないことに気付いたそうです。
左の脳と右の脳に、まったく違った人格があるというのです。
彼女の左の脳内出血により自分という意識が遠のき、そこにあるのは、今のこの瞬間の時空間に溶け込み混ざり合い、そこに漂う幸福感と一体化したかのような心地よい静かな世界だったと言います。

「それは、まるで涅槃(ニルバーナ)のようだった」と書いています。
涅槃、ニルバーナとは、全ての煩惱が吹き消された状態を言います。肉体の死をもって、全ての煩惱が消え去る状態のことです。

自我はないようだけれど、それを感じているのは確かにもう一人の自分であること。
時々左脳の機能が復活し、リアルな自分という時間や感覚、言語、といった今まで自分が培ってきた経験に伴い、その右脳と繋がれた時、自分を守ろうとする意識が、その涅槃の境智から現実の世界に引き戻そうとするのだそうです。

このお話は、まるで、釈迦が菩提樹下で深い瞑想に入り自分の中の悪魔と戦っている様子そのものではないでしょうか?

人の肉体には、生命が宿り、その命を維持するための「知恵」も必要不可欠なものです。これを自我というのでしょうか。
一方で、不思議なことに、我々には「心」とか「魂」という表現をしてきましたが、「真」「善」や「慈」や「愛」「幸福」といった理屈では説明のつかない何かも共有しています。ともすれば、相反する人格とでもいうのでしょうか。
この相反する人格もひっくるめて「自我」であることは確かなことなのですが、彼女の体験から、左脳を容易にコントロールできれば人は、ハッピィになれると思うのです。
つまり、自我を捨てること。仏教の修行者のようですが、真理かもしれません。

このことから、生命体ではない、A・Iという機械でできた知能を構築する過程において、人の左脳を模す必要はないのではないかと思うのです。

次の投稿は、この左脳と右脳の関係が人工知能A・Iの「優秀すぎる人間化」に歯止めをかけるヒントを模索しようと思います。



シンギュラリティ | 12:18:00 | Trackback(0) | Comments(0)
人口知能AIについてちょっと考えてみました。

エクス・マキナの予告編


大工の修行っていらなくね?つーか将来職人は全滅するからね」の記事の続きといいますか、再度考えました。

茂木 健一郎氏のFacebookのページに「人格には正解がない」という主題で、記事(11月2日 7:33)がありました。
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人間が「人工知能」をつくることの意味は、一つの「鏡」のようなもので、自分自身を理解したい、という衝動のようなものかもしれない。
人間の「知性」の本質とは何か。
人工知能が人間を凌駕しつつある今、私たちは理解したが、同時に優位性を手放した。
「知性」がコモディティティしていく今、焦点が当たりそうなのは、感性や、パーソナリティ(人格)である。
感性については、かつて、ホリエモンが、「ワトソンがレシピをつくっても、それを食べてうまいと思えるのは人間だけだ、ざまあみろ」という名言を吐いた。

人格は、いわゆるビッグ・ファイヴ(開放性 Openness、誠実性 Conscientiousness、外向性 Extraversion、協調性 Agreeablness、神経症的傾向 Neuroticism)で記述されるが、興味深いのは、「正解」がないことである。

「知性」には正解がある。
問題には答えがあり、命題には証明がある。
最適化は、関数が与えられれば、パラメータ空間の中で正解がある。
将棋や囲碁は、次の最善手という最適解を求める試みである。

しかし、人格には、そのような最適化、正解がない。

たとえば、外向的な人は、内向的な人に比べて、コミュニケーションなどの点で有利で、望ましいように思われるけれども、実際には内向的な人にはそのユニークな意味がある。
内向的な人にしか気づけないことや、そのような人にしか担えない役割がある。

神経症傾向(neuroticism)は、くよくよ悩んだり、迷ったりすることで、通常は困ったことのように思われるけれども、実際には神経症だからこそ、できることもある。
たとえば、映画監督のウディ・アレン。
ウディ・アレンは明らかに神経症的で、その映画は、そのような傾向を全面的に出したものだけれども、だからこそ表現できること、描ける物語がある。
実際、ウディ・アレンの映画は、その神経症的傾向の一つの果実であるとも言える。

進化の過程で、さまざまな性格的傾向の多様性が残ってきたのは、それぞれの性格に意味があったからだと考えられる。
性格には正解がない、
多様性こそが大切なのだ、ということを心にしみこませて、自分自身のユニークな人生を送りたい。

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ということでした。
茂木氏言う、「人の知性の本質である性格には正解はない」ので、人工知能といえども、どうしようもないということなのでしょうか。
多くの人は、茂木氏のように人工知能とスーパーコンピューターを混同してとらえておられるようで、少々歯がゆい思いをすることがあります。
そこで、今、私が一番興味のある人工知能AIとはいったいどういったものか、人類に何をもたらすのか考えてみようと思います。

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実は、一か月ほど前に、この人工知能AIロボットが主人公である「エクス・マキナ」ブルーレイバージョンをAmazonに予約しておいたのですが、Amazonプライムの有料版(399円)にありましたので、早く観たくてひとまずブルーレイの予約を解約して、ワクワクしながらAmazonプライムで観てしまいました。

期待していたとおり、観る者にいろいろ思考させてくれる良質な映画でした。

AIの組み込まれたエヴァは女性のロボットです。
いわゆるAIが急速に発展し、現実のものとなりつつある今、人間とAIの境界線が曖昧になることによって生じるある種の恐怖を描いていることで、Amazonでは、この作品を「SFスリラー」とういう括りで紹介してあるようですが、ちょっと違う感じがしました。
この映画、私の思いを込めて、多少独断で深読みしますが、実はそんなちゃちな映画ではありません。
「たしかに、スティーヴン・ホーキング博士の言うようにAIは我々人類を滅ぼしてしまうかもしれないが、それは、人類が、ただの弱々しい期限付き肉体から決別することに他ならない。AIの発展は今までの人のあり方、姿を確実に変えるであろう。」という予告映画だと私には思えるのです。
肉体を必要としなくなることを、人類滅亡というのなら、確かにそうかもしれませんが・・・。

AIの創造、発展、これこそが人類の大きな目的、使命の一つであり、これを人類の飛躍、進化ととらえることも有りだと思うのです。
最後のシーンで、永遠の命を得たエヴァという人類の英知を一つにまとめたような女性が、その先にあるものに何を思い、何をしようとするのか、これこそがこの監督の描きたかった主題のような気がします。 
ぜひ、読者はこの映画をご覧になって、AIとは何なのか考えてみてほしいと思うのです。

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といったようなことを、この映画を観たプレビューに寄稿しておきました。

茂木氏の投稿記事のお話に戻りますが、例えば、その人工知能AIを動かすOS(オペレーションシステム)が、人格のような基本プログラムであったらどうでしょう。MacOSとかwindowsOSみたいなことです。
AIは、人の脳を模し、それがどんどん成長するのですから、茂木氏があり得ないという「人格」まで完璧に備わるような気がします。

男性なら。女性なら。外交的な人ならこう行動する。内向的な人ならこう動くであろう。明るい人なら物事をこうとらえるだろう。暗い人ならこんな風にとらえるだろう・・・。茂木氏の言う「ビッグ・ファイヴ」など、いとも簡単に判断したり反応したりする回路を構築できるはずです。
「ビッグ・ファイヴ」をはじめ、こういった何種類もある基本OSの上にスパコン(スーパーコンピューター)が乗っかる。

基本のOSが「生まれたままの人格」とすれば、スパコンが今まで人類の得た膨大な情報を吸収し学習し進化成長する過程において、そのOSも同じように影響を受け成長進化すれば良いわけですから、スパコンと人格のようなOSの統合を人工知能AIと理解すればわかりやすいのではないでしょうか。

ですので、多くの人がスーパーコンピュータを人口知能AIと同一視し誤解していることそのものに、危機感と表現するのなら「危機感」が存在するような気がします。
スパコンは人がコントロールできるコンピューターで、人口知能AIはもう独立した意思を持つ人格と同じようなコンピューターとなり、「完成された人類」となり得るのです。

人は、何のために知識や技術を伝え、受け継ぎ、その経験値を積み重ね、何のために合理性や便利さを追求してきたのでしょう・・・。

わけも分からずそうしてきたことは確かです。なぜ、美を求め、癒しを求め、世の真理を追究しようとしてきたのでしょう・・・。
なぜ、人類はそうするのかも考えても分からずただただ無意識下でそうしてきました。

人類を滅ぼすことも視野に入れながらもAIという人口の知能を開発するに至ってしまったこのことは、軟弱な肉体から離れる為に、人類創世の時からその努力をしてきたように思えてならないのです。

便利さを追求するということは、結局、期限付きの弱々しい肉体と決別しようとしている行動に他ならないと気付くべきだと思うのです。

もし、自分自身の人格といった無意識下の意思が、そのAIのOSとなり得るのなら、丈夫で長持ちする機械(ロボット)を肉体として使えば良い・・・。単純なことです。

人が愛し、愛され、哲学や宗教によって、その人間性や精神性を高め、誰の為に何のために何度も何度も生まれ変わって存続してきたのでしょう。

ある完成された人格(AI)が、人類創世記から培った情報を全て得て、その膨大な情報を瞬時に比較検討でき、直感的速さで結論を出す。

これは、もう今の私たちの心の中に住む「神」なのかもしれません。

人類は、今の人の形になって5万年という長い時間の中で、生まれては滅び、滅んでは生まれる。を繰り返しながらゆっくり成長し、その生きる手段を育てて来ましたが、ついに今、その長い時間で培った知識と技術で生まれた完全な肉体、無機質な機械なのですが、生物らしい体温も持ち合わせ、感情の起伏もあり、微妙な表情もあり、良質な感情が表に現れる人造肉体(AI搭載ロボット)を獲得し、その中にOS(意識・人格)として入ることができるようになりつつあるということではないでしょうか。

あと、30年はかからないと専門家は言います。

永遠の命を得た、「神」のように進化したAIロボットが、今の人口ほど増え、お互いを成長させ、何を考え何処に向かい、何処に行き着くのでしょう・・・はたして、人類は惡の存在なのか善の存在なのか、AIが答えを導き出すのでは・・・などと、うだうだ考え出すと、ワクワクしてしまいます。




シンギュラリティ | 16:26:36 | Trackback(0) | Comments(3)
大工の修行っていらなくね?つーか将来職人は全滅するからね
ホーキンス博士


「大工の修行っていらなくね?つーか将来職人は全滅するからね」
ホリエモン(堀江貴文さん)は、「僕は、最終的には“職人の技”は機械で再現できると思っている」と話す・・・。

このホリエモンの発言の記事へのシェア投稿に対して、Facebookでブーイングをする記事が多くあった。

たぶん彼の言っているのは、中途半端で、職人という立場を売り物にしている人(職人)のことを言っているのではないかと思う。
中途半端な職人仕事は、優秀な機械に任せている時代が、すでに来ているということだと思います。

私たち職人絵師にしても、修行時代には、なかった機械が数多くあります。

例えば、大幅に時間短縮できるアイテムとして、コピー機、拡大、縮小が瞬時できるわけですから、半日から1日、いや、ものによっては、一か月ぐらい短縮できることもありますから、大助かりです。
すぐに画像を確認できるデジタルカメラもそうです。
パソコンでのデジタル描画や加工も今では欠かせない作画ツールですし、調べ物など、たいていはネットで済んでしまいますし、集めた多くの蔵書もデジタル化してしまえば、検索ですぐに出したいものが出てきます。

それでも、機械にはできないことができたり、または、機械と同じように機械より安価でできる人が、職人で居られるというわけです。

と、いうわけで、実は、機械にはできないことをやってのける人こそが「本来の職人」なんですけどね。 

でも、費用は掛かりますが、その卓越した技術や知識を放り込んだ機械(ロボット)が、その職人技を再現している工場が、多くあることは、誰でもすでにご存じのはずですが、この堀江氏の発言の行きつくところは、『人口知能』だと思います。

人工知能搭載のロボットなら再現で留まらず、新しい技術も創造してくれるところまでいくであろうと予言しているのだと思います。

ほんとにさみしいことですが、優秀な人工知能が登場するようになれば、職人どころか、人も要らなくなります。

あの理論物理学者スティーヴン・ホーキング博士(写真)も人工知能の危険性を説いております。

人類が便利さだけを幸福として追求してきた価値観の延長線を同じように人工知能が辿るのなら、弱々しい生身の肉体など不必要と判断し、人が望む望まないに関わらず、人工知能が人に代わって何かを遂行することになるでしょう。
そして、人工知能はどんどん進化し、私たち人類をどう見るか?どう扱うか?

そして私たち人類は、自分の作った人工知能に、私たち人類が、まだ気づかせてもらえない何かにとって、まだ必要であるかどうか判断される時が来るのです。

私たち人類は、何をするために、何処に向かうために「便利さを追求」しているのか、ただ、「楽」がしたいだけで便利さを追求しているのでしょうか・・・。

そのうち、優秀な人工知能は、その疑問を解決してくれるかもしれません。 最後の審判ですね。

そうなれば、もう神様ですね(^o^)

そんな時代が、加速をつけて現実のものになろうとしているのを感じます。


※一か月間何も書かず放っていたのでCMが表示されていました。CMを消すために慌てて書きましたが、「人工知能と神」、「人は何のために存在するのか?」なかなか奥の深いテーマであることに気づかされました。
もっと深く考えてみたいので、また改めて書いてみたいと思います。

シンギュラリティ | 12:39:30 | Trackback(0) | Comments(0)
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