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ワシントンDCから、孫たちが一年ぶりに帰ってきました。
2019-6-3大阪国際空港にて
2019年6月3日午後8時頃、大阪国際空港到着ロビーにて


昨日、自宅を午後6時に出て、大阪国際空港まで、ワシントンDCの郊外、ベセスダに住む孫と長女を、妻と二人で迎えに行ってきました。ちょうど、一年ぶりです。

成田で入国手続きを済ませ、午後7時半に、到着したわけですが、成田には3時半ごろに到着していたそうで、成田で2時間ほど待っていたことになります。
その間、日本食に飢えていた孫たちはコンビニでおにぎりや海苔巻きなどを買い求め、貪り食ったそうです。
というのも、ワシントンDCのダレス空港~成田間の14時間30分のフライトでお世話になったユナイテッドエアライン(UA7941)の食事が信じられないほどまずくて、喉を通らなかったのだそうです。

孫たちと一年ぶりに会った、その開口一番が「ユナイテッドエアラインの食事が信じられないほどまずかった」なので、よほど酷かったのでしょう。
成田から大阪までのANA(NH2179)の食事には触れませんでした。可でも不可でもない並の軽食は出たのかな・・・。

で、いつものように、空港定番の「551の豚まん」と「たこ焼」きを買って、たまたま名神高速道路が、午後8時より夜間集中工事中で通れないので、下の176号線から171号線経由で自宅まで、ゆっくり、賑やかに帰って参りました。
渋滞は覚悟していたのですが、9時半頃には着きましたので、まあまあ順調に帰って来れました。

昼夜逆転で当分の間、体内時計が元に戻るまで大変ですが、今は3人共、疲れて眠っていることでしょう。
孫たちは、夏休みまでは、一年ぶりにお母さんの卒業した公立の小学校に通うことになっています。
その父親も、ビザの関係で2週間後にはやって来ます。

妻と二人だけの静かだった我が家は、今日から8月20日まで賑やかになります。
だいじょうぶかな・・・。


うだうだ | 09:25:13 | Trackback(0) | Comments(0)
2019年5月21日 涅槃図制作記録(AIの作った曲にのせて)


令和元年(2019年)5月1日に準備をはじめ、昨日20日に骨描 が終わりました。

来年の2月から3月まで開催される展覧会の為に大きなサイズの「涅槃図」を用意しようと制作しています。

仏画館で所蔵する仏画の中に、未だ涅槃図が無かったのです。

仕事では幾つ描いたかわからないぐらい描いたのですが、今までの私の工房で制作した涅槃図は平安期の涅槃図を参考に描いていたのですが、今回は初めて江戸期の涅槃図を参考に下図を作りました。

これで、仏画館所蔵作品に、レプリカを含めますと、三大仏画(両界曼荼羅、当麻曼陀羅、涅槃図)が、揃うことになります。


BGMは、テロップにも書きましたが、AIが米国を代表する作曲家、アーヴィング・バーリン、デューク・エリントン、ジョージ・ガーシュウィン、コール・ポーターのスタイルで作曲した楽曲「Mr Shadow」を手元のiphoneで流しながら作業しましたが、良い曲です。
私は、心を抉られるような音と旋律に酔っています。
ソニーコンピュータサイエンス研究所(SONY CSL)が開発したAIソフト「Flow Machines」を使って作曲した楽曲だそうですが、他にビートルズが作ったような曲も発表されています。まるで、ポールが作曲したようですね。凄いぞ、AI !
著作権は、どうなるんでしょうか・・・? ユーチューブに、いつ消されるか分かりませんが、とりあえず何か言われるまでこのまま置いておきます。


新聞原稿より | 17:23:37 | Trackback(0) | Comments(0)
令和元年、五月一日に想う
heisei-reiwa.jpg


令和元年五月一日、
今から思えば、平成元年は、仏画工房 楽詩舎が絵師集団として手探りで動き出した時です。
それまでの私一人だけの自由業で はなく、絵師集団として活動を始めて4、5ヶ月経った頃でした。

仏画の制作を生業にし出して4年ほど経った頃、仕事が忙しくなって一人では対応できなくなり、仕方なく仏画が描ける人を募集したのですが、描ける人は誰も来なくて、どうしても勉強したいという人だけが集まり、その中から最初は無給でも良いという人を向かい入れ、手ほどきをしながら、年上2名、同世代1名、それに年下2名の計5名の弟子たちと手探りで仕事を始めた頃です。
私が38歳の頃です。

その頃は、大原野の自宅の2階の12畳の洋室と8畳の座敷を利用して仕事をしていました。いづれも京間ですので結構広いのです。
自宅ですから、リビングや台所、それに冷蔵庫も共有スペースとなり、私が、桂の本澤先生のご自宅に内弟子として家族と同じように住み込んだ時の状態と同じです。

新しい元号の発表の当日、弟子たちと興味津々といったところでしょうか、一緒にテレビの前で発表を待っていたのをはっきり覚えています。
当時の官房長官だった小渕さんが「平成」と書かれたカードを掲げていた、あのシーンを思い出します。

今、新時代の幕開けだからということには意識はないのですが、私の体力と気力の衰えを鑑み、仏画工房 楽詩舎の中身を変えようといろいろ画策中です。
ですので、今までの仏画工房 楽詩舎の有り様を変えてみよう。つまり、今のこの時期を節目としようとしていますから、
平成時代は、仏画工房 楽詩舎の主なる部分の歴史でもあることになります。

今、我が工房で勉強をしている弟子の1人は平成生まれ。もう1人は仏画工房 楽詩舎が生まれた時に生まれ、仏画工房 楽詩舎とまったく同じ歴史を歩んでいます。

昨晩の私は22時には床につきましたから、わかりませんが、テレビではどこの局も、「平成の終わり」と「令和の始まり」を祝う番組で賑わっていたようです。
平成の大晦日といったところなのでしょうか・・・。
今朝も、数人から、年賀状のような挨拶のメールが届いています。

私は仕事でバタバタしていて新しい時代、「令和」が始まろうとしていることに対して、あまり意識していませんでしたが、改めて平成を思い出し、令和を想う時、一番に思い浮かぶのは、たぶん、この「令和」の時代に、私は、あちらの世界へ逝くことになるんでしょうね・・・(-_-;) 

「令和」、残された人生を目一杯楽しみたいのですが、なぜか、この先、「何か不穏な感じ」がするのです。
令和の時代、日本人が希望に満ちて、前に向かって揚々と歩んでいる様子がイメージできないのです。
私が朽ちていくこととは関係が無いように思うのですが、いづれにせよ、令和は、AIの出現で今までの価値観が通用しない、とんでもない時代になることは確かだと思っています。
AI時代への期待と不安が、ますますリアルに本格的になっていくのでしょう---。



うだうだ | 11:18:32 | Trackback(0) | Comments(0)
いろいろ思い出しています
ジープと楽詩舎の看板
大原野北春日時代の工房と、今は朽ち果てた手作り看板(2003年頃)


年頭に今年こそ仏画の本を作ろうと、意気込んでいたのですが、「はじめに」の序文を書き始めてもう3か月が過ぎようとしています。
どんな紙の本にするかは、だいたいイメージが固まりつつあるのですが、やはり、仏画工房・楽詩舎の備忘録的な本になりそうです。
文章を書くのは早い方だったのですが、最近、年のせいか集中力に欠け、思考があちこちバラバラになってしまいます。
キーボードもなんだかうまく打てなくなっています。左右の人差し指二本での入力は、よく他のキーにひっかかるのです。
年のせいかな・・・?いや、これはやはり、キーボードが古いせいかもしれません。またアマゾンでポチらないといけません。
書き始めると、乗ってるときはスムーズに書けるのですが、あれもこれもと、書きたいことが次から次へと頭に浮かんできます。
とりあえず、思いついたことを書きなぐっているのですが、仏画工房・楽詩舎の初期から今までの出来事・・・。いっぱいあります。
楽詩舎の名前の由来は、当時、工房にしていた自宅に大きな柿の木があったので柿が落ちる舎ということで嵯峨の「落柿舎」の音に倣ったわけです。
やはり仕事を楽しくしたいということから、いつも楽しい詩が生まれるような、そんなイメージでつけたのです。
昔を振り返えろうとしますと、楽しかったことはほとんど頭に浮かばず、「楽」の字からは程遠い、苦しかったことや辛かったこと、眠れなかったこと等が思い出されます。
仏画がうまく描けなくて悩むというより、その原因のほとんどが、弟子として向かい入れた若者の「人としての業」との付き合いだったように思います。
心変わりや気づきで辞める人は仕方ないとしても、私から辞めろと言って辞めさせたのが4人。そして、志半ばで泣く泣く辞めなくてはならなくなった弟子が6人ほど・・・。その一人一人の顔が浮かんできます。
そして、私にはその若者の苦しみが、未だに理解できず、また自分の内で処理出来ずに心の奥にひっかかっています。
志をあきらめ、中途で辞める弟子の気持ちは、私には経験がないので、わかりません。
私の弟子生活の中で辞めたいと思ったことが一度もなかったし、仕事も来るものはすべて引き受けてきました。ただ、ただ、突っ走て来たように思います。
だから、辞めた彼らを理解できないのかもしれません。
途中で辞めた人は、とうの昔に忘れているのかもしれませんが、彼らに真剣に向かい合ってきた私はその時の弟子の疲れた様子を忘れていません。
この本に書くかどうかは、まだわかりませんが、仏画工房・楽詩舎の歴史を振り返る時、今もこうして思い出しています。
このまま、墓場まで持って行くのか・・・、私も年のせいか、今頃になって疲れが出てきたようです。
今度は、私の辞める番かもしれません。ホームページにも今年から弟子は募集しないことを宣言しました。
弟子やスタッフを受け入れないということ。これは、このまま行きますと今までの形態での「仏画工房・楽詩舎」が、近い将来、幕を閉じることを意味します。
仏画工房 楽詩舎を立ち上げた時に自分で作った杉板の表札と案内看板。これが、自然に朽ち果てる頃までこの仕事を続けよう。これが当初の目的でしたから、二つの手作り看板のうち、一つはもうとうの昔に朽ち果てていますし、今の仏画館の外に吊るしてあった道しるべの看板も紐をひっかける穴が風化する寸前で、今いる弟子が育つまでもう少し続けようか・・・と、去年、現在の工房のある仏画館の玄関の中に吊るしています。
こんなことから、いろいろ思い出に耽りながら執筆していますので、最初で最後の出版になる「本」の序文に、あれこれ手間取っているのです。

うだうだ | 10:55:09 | Trackback(0) | Comments(0)
モランの寺-佐伯祐三-正観18歳の時の模写
モランの寺-Yuzo Saeki-正観18歳の時の模写
モランの寺-Yuzo Saeki-正観18歳の時の模写


この油絵は、私が高校生の頃、2年生か3年生だったか忘れましたが、文化祭の美術部の展示で、各々部員の好きな名画の模写を展示しようという誰かの発案企画で、「模写コーナー」を設け、部員全員で一気に描き上げた作品のひとつになります。
当然ながらキャンバスを買うお金もなく、ベニヤ板を6号Fにカットして裏側は垂木で補強してキャンバス仕立てにしています。
自分でも気に入っていたのか、この絵だけが我が家の壁に額縁なしで掲げてありました。
なぜか、今朝この絵が目に入り、はじめて写真に撮りました。
あの頃が蘇ってきます・・・。
描いてからすでに50年は経ってることになります。
私は、当時からアカデミックな絵が好きでしたが、それ以外ではペインティングナイフで描いたような力強く荒々しい絵も好きでした。
その中でも、ユトリロやブラマンク、そして、佐伯裕三の絵が好きで、彼の生き様にもあこがれていた時でもありました。
この絵のタイトルは、佐伯祐三作「モランの寺」。
この教会やモラン風景は彼の作品に多く出てきます。
彼は、2度目の渡仏後、この絵を描いた4か月後に結核から気を病み、最終的には、衰弱。
そのままパリで亡くなったそうです。30歳の時です・・・。


うだうだ | 09:42:04 | Trackback(0) | Comments(0)
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