FC2ブログ
 
■プロフィール
■最近の記事
■月別アーカイブ

■カテゴリー
■ブログ内検索

来年の今頃、仏画の展覧会を開催していただけそうです
photo1509.jpg
来年の今頃、仏画展が開催される予定の観峰館(ホームページより拝借)


先日、この1月という寒い時期には、ほとんど来館者が居ない仏画館に、珍しく2日間に渡り、たて続けに入館者がありました。
一人目は、神奈川県から来られた私と同じ年の男性で、お話を聞くと良く知る友人の友人だったことが分かったのですが、4年前にご夫婦で世界旅行中に愛する奥様を事故で亡くし、その面影を観音さまに重ねて描いて欲しいとのことでした。
その男性からお聞かせいただいた数時間に及ぶお話は、最愛の奥様を亡くされた時の不思議な体験と男性自身の自由な生き方。私の歩んできた人生とは対照的で、海外での生活を含め、ある仕事を起業し、奥様とお二人で世界旅行の為にあっさり仕事を畳み、自由で明るい人生を謳歌して生きて来られたご様子。
私のように、一つのことに拘って、意固地に、執拗に生きて来た者とは正反対のような気がします。でも、私の細胞の半分は、同世代なのでそう感じるのか、その男性の生き方に共感できるところがあり、興味深く、楽しくその方との話が弾んだのです。

 その次の日、Fさんという私設博物館の学芸員をされている男性がご来館。
お話をしていると、京都市立芸術大学の模写科を卒業されて、仏教クラブでもご一緒の宇佐美松鶴堂で、アルバイトながら表具の経験をし、米国メトロポリタン美術館で、修復補彩のお仕事をされていた経験があるとのこと。
当工房にも過去に、二人、その京芸の模写科の卒業生が居たこと等、仏画制作の話で盛り上がっていたのですが、そのFさん、実は、私の故郷の東近江市五個荘にある「書」の殿堂「観峰館」の学芸員をされていて、もう27年ぐらいになるそうです。
メトロポリタン美術館のあるニューヨークからお帰りになって、まもなく今の職につかれたようです。
Fさんは、話の途中で、「仏画館」に来られた理由を遠慮がちに口を開かれました。「観峰館で、仏画の展覧会をしてもらえないか。」
私は、観峰館には、版画家の知人の展覧会などで二度ほど訪れたことがありましたが、創立者の日本書道教育に人生を捧げ、「日本習字教育財団」の創立者で書家の原田観峰師の中国の名品コレクションの数々がそれはそれは圧巻だったことを思い出しますし、我が故郷の、しかも我が家の田んぼのすぐ近くにそれはあります。
2015年10月に開館20周年を記念して新館が完成し、そこが会場になるようです。
まだ詳細は決まっていませんが、時期的には来年の2月~3月ということです。
寒い時ですが、今年は画歴50年の節目でもあり、ありがたく引き受けることにしました。
と、いうことで、今年は、はじめての出版になりますが、「仏画の本」の制作も考えており、その展覧会用に大作もいくつか用意しなければなりません。
気分的にも時間的にも忙しくなりそうです。


仏画 | 13:02:02 | Trackback(0) | Comments(0)
パスワードが必要でなくなる時代
人工知能


「従来の暗号技術は強力な量子コンピューターを使えば破られてしまう可能性が高い。専門家らは、強力な量子コンピューターの登場までの期間を10年と見積もる一方、「量子耐性」を持つ暗号技術の開発・普及には早くとも20年はかかると指摘する。」
と、こんな記事が先端科学情報紙にありました。

暗号化、パスワード、個人情報保護・・・・。
どれも、今の時代には欠かすことのできない安全保障の基本です。
でも、パスワードの管理だけは、自分の脳で管理しなくてはなりません。
パスワード管理ソフトなるものもあるようですが、一番安全なのは、やはり自分の記憶に仕舞っておくのが安全です。
自分の記憶では自信がないので、紙のメモ帳に記録しておく・・・。
結局、紙のメモも管理できないので、パソコンのどこかにその記録をまとめておくことになりそうですが、つまり、いつも 心のどかこかに不安感が付きまとい、落ち着かない日々を送っているのが、私たちが今置かれている現実ではないでしょうか。

今後28年の間に、AIの能力が人を超えることは、間違いがありません。
人を超えるとは、単に運動能力や知識や情報の量を指すのでしょうか。
AIが人を超えるということは、それプラス判断と決定を正確にするということです。
この「正確」、つまり、AIは間違わない、判断ができるのです。これは何を指すかと言いますと、未来を限りない正確さで予測できるということに繋がるのです。
人の百万倍もの速さで計算できるということは、瞬時に未来がほぼ正確にシュミレーションでき、予測、予言、予知できるようになるのです。
「ほぼ」と、書きましたが、AIが吸収する情報量で正確さが変化しますので、ありとあらゆる、森羅万象をデータとして与えれることができたなら、この予知能力アップに繋がるわけです。

そんな遠い時代ではないと思うのですが、人の能力をはるかに超えたAIに、我々人類は、何もかもお任せするといった、超管理社会がやってくることを意味すると思うのですが、そのAIにパーフェクトに管理されるシステムとは、いったいどんなことを意味するのでしょうか?

我々人類の生身の肉体の管理、健康を維持するために、遺伝子操作から遺伝子工学やら、サイボーグ化が進むのでしょう・・・。

また、そんな人類の住むコミニュティの管理などは、お手のものとなるのでしょう。
企業の運営管理…、と言っても果たして、経済活動そのものを必要とするのでしょうか?
社会全体で考えた時、損得のないバランスのとれた経済活動などあり得ないわけですから、資本主義などは、AIに管理してもらうということから考えると、まったく無意味な社会システムとなるわけです。

社会主義とか共産主義のいわゆる理想的な社会システムの実現がAIの登場によって成り立つようになるのでしょう。
人の能力をはるかに超えたAIによる管理で、人が平等を掲げて指導しても何ともならなかったその思想がAIによって実現するのだと思います。
我々人類は、「平等」のほんとうの意味を噛みしめることになると思うのです。

我こそが、といった勝ち負けを楽しむ人種の満足感達成は、仮想空間でのゲームに取ってかわり、その人の欲望をコントロールしたり満足させたりする事が可能になると思います。。
そのAIによる管理時代の仮想空間は、今の仮想空間ではありません。
人の脳に直接、実体験として働きかけるようになるはずですから、現実と仮想の見分けがつかなくなっているでしょう。つまり、仮想が仮想でなくなり、現実の体験と何ら変わらない体験、学習をすることになるのでしょう。
人類は、仮想の中で自分の人生を謳歌し、楽しむことになると思われます。

いづれにせよ、近い将来にも、AIが我々人類を管理するシステムに移行していくのは明らかで、合理的で正しい判断と間違いのない処理は、今でもコンピュータに依存しているし、私たちは、すんなり受け入れています。
AI管理時代の身近な技術として、まずは、自動車の運転をAIに託すという、自動運転がありますが、その技術は一段と加速をつけると思われます。

先に書きましたが、人類が構築してきたありとあらゆる情報や知的資産をすべて学習させることが、AIが独自で成長する元になるわけですから、我々の個人情報を隠したい人は隠せばいいとは思うのですが、正確な情報を与えれば与えるほど、AIは深層で学習し続けますから、個人の心身のメンテナンスも完ぺきに熟していただくには、個人情報保護などと拘っているどころではありません。 
つまり、AIの完成と実用を目の前にして情報を隠すことの無意味を知るべきだと思うのです。むしろ、進んで情報を与えた方が、我々により貢献してくれると思うのです。

そんなことから、これからのAI時代を目前にして、その核となる量子コンピューター開発過程での「暗号化」に、果たして意味があるのだろうか・・・。と、そんなことを思ったのです。

悪さをすれば、即座に個人を特定し、その悪さに対してAIがその罪に、見合った判断、裁判をし、刑を執行する。
そうなれば、誰もわざわざ罪など犯そうとしなくなると思われます。

情報を与えなくては、AIは、完璧な「平等」を実現できないはずですから、まずは、この技術の先端を走っている現在の中国のように「個人情報を保護する」などというバカげた価値観を捨てることが、より完璧に近い、良い意味での管理社会になり、例え誰かが他人の情報を抜き出しても、即座に誰が情報を抜き出したかその個人を特定してしまえるような、そんなことが可能になり、犯罪もなくなると思うのです。

でも、犯罪が無くなり、何でも手に入るようなそんな世の中になった時、その時こそが、真に我々がなぜ、何のために生まれて、この地球に生命を繋いできたのか、その疑問を、AIがどう納得させてくれるのか、楽しみなことではあります。


シンギュラリティ | 10:24:49 | Trackback(0) | Comments(0)
スリー・マハー菩提樹直系の菩提樹、育ってます!
F4448E1D-7DB8-49FF-9E31-A4C7B28B1B18.jpg


今日は、2500年ほど前に、北インドの小さな国、シャカ国の王子ゴータマ・シッダータという青年が、ガヤの地を流れるナーランジャナ河(尼蓮禅河)のほとりの大きなインド菩提樹の下で、悟りを得た日です。

この王子が、仏教の祖、お釈迦様です。

12月8日、今日は、お釈迦様が成道された日です。

仏教寺院では、成道を祝って法要が営まれます。これを「成道会(じょうどうえ)」といいます。

「仏陀」とは、本来、覚者(悟りを得た者)のことを言いますが、お釈迦様のことを仏陀の代表として、一般に「仏陀」と言えばお釈迦様のことを指すようになりました。
後に、釈迦が悟りを開いた地を特定して、ビハール州ガヤ県の『ブッダガヤ』と呼ぶようになりました。

私は、ブッダガヤへは、2014年に巡礼したのが最後ですから、元気なうちに、もう一度、お参りしたいと思っています。

画像は、その2500年前のお釈迦様がお座りになった大菩提樹の直系の菩提樹の枝を挿し木して育てた苗木の下に、小さな禅定印の釈迦像を置いて撮影しました。(※10月に仏教クラブ主催の三宝の集いで出店していただいた「寺の友社」で買い求めた苗木。無事に育ってくれるのか、この冬を越してくれるのか・・・ですね。)

この仏陀の菩提樹直系の大菩提樹を、スリー・マハー菩提樹といい、スリランカのアヌラーダプラに現存する菩提樹を指します。

紀元前3世紀に当時インドで栄えていたマウリヤ朝アショカ王の王妃、サンガミッタがブッダの座った菩提樹の枝を挿し木して育てた苗木を運び、このアヌラーダプラに植樹したとされ、今のインド、ブッダガヤのマハーボーディ寺にある菩提樹は、このアヌラーダプラにあるスリーマハ菩提樹から数えて三代目だそうです。

2014年に巡礼した時のブッダガヤの動画です。
https://www.youtube.com/watch?v=8X33Zq6CeH0&feature=youtu.be



うんちくひけらかし | 11:20:19 | Trackback(0) | Comments(0)
時間に余裕ができたのですが・・・。
白描画の倉庫表紙 
ほぼ、3年間更新できていない『白描画の倉庫』の表紙


今朝、このページを開くと、一か月間、記事を書かなかったので、CMが表示されていました。
ですので、ちょっと何か書いてみます・・・。

先日のいくつかの大きな台風が、全国各地に被害の爪痕を残した頃、昨年の1月に仏画制作のご依頼を受け、他の仕事の合間に進めてきた下図が完成しました。
お施主に確認をしていただこうと、その下図の縮小した図をメール添付し、これからの彩色作業の日程等をお知らせしました。すると、そのメールを読んだ、お施主より折り返し電話がかかってきました。
「先日の台風で、本山の被害が大きく、多額の寄進を課せられたので、お願いしていた仏画の制作は、しばらく保留にして欲しい。また予算繰りがついたら、お願いする。」ということで、思わぬところで、当工房にも台風の被害が及んできました。

9月から11月までの期間をその図の制作に充てようといろいろ調整して、まとまった時間を作ってきたのに、年内の残りの時間に大きな空白ができてしまったことになります・・・。たいへんです。

・・・でも、私の正直な気持ちは、実は、その期間内での完成は少々無理があって、その期間中には、他の一切の仕事ができないということと、手足となってくれる、現在は二人居る弟子のうち、一人は美大出身とはいえ、まだ2年目です。
体力に自信がもてなくなった私自身が、夜も遅くまで筆を動かさねば完成できないので、それなりに覚悟をしていました。そうです、けっこうなプレッシャーを感じていました。
むりやり作った3ヶ月という貴重な時間でしたが、それが台風のおかげで、自由な時間となった今、たいそう気持ちが楽になったのです。

と、少し気が緩んだのですが、でも、頭の片隅から離れない仕事が他にもあったのです。よくよく考えたら、他にお待ちいただいている方が、何人かお出でになることを思い出しました。
メモを見てみると、古くは、5年前に口頭だけで聞いていた注文も何件かあるのです。
これ等の、愛想か本気か見分けのつかない口頭だけでお聞きしていた仕事を具体的な仕事にするのには、少しばかりエネルギーが必要です。
お施主に、今もその気持ちがあるのかどうかお聞きするだけなのですが、あまりに長くお待たせしていると、怒ってるだろうなぁと、気を回し過ぎ、気が引けてしまうのです。
それに、長らく気になっていたのが、私が一人で運営管理するネットショップの「白描画の倉庫」。
本業の忙しさから、もう3年ほど新しい白描画をまともにアップしていません。これも、年のせいか、アップする作業が億劫になって、どんどん後回しにしてきたのです。
注文フォームの「当工房に何か、ご希望は?」というアンケート欄では、「新しい白描画を期待しています。」が、多いのが気になっていました。
このすっぽり空いた時間、きっちり埋まってしまいそうです・・・。


うだうだ | 11:26:32 | Trackback(0) | Comments(0)
LGBT問題 を考えてみたが・・・
abema.jpg

世の中には、自分が理解できないことがいっぱいあると思うのですが、 このLGBTという私が最も理解しにくい問題について、この動画(番組)を観たことによって一視聴者である私も、しっかり考える機会を得ることができましたし、その意味で、私は良い動画を観たと思っています。(※リンクしておいた動画が削除されたようですので、その動画のキャプチャー画像を張り付けなおしておきます。)


 この問題を、私の中で整理するにおいてこの動画中で、文芸評論家の小川榮太郎氏も言っておられたように、杉田水脈さんの言う、人口問題や日本民族の文化、習慣である政治的文化的な視点と、今まで私が意識しなかった根源的な現代人の性の問題について、別々に思考しないと意味がないような気がします 。つまり話がこんがらがり、分かりにくくなると思います 。

この問題の本質は、いったい何なのだろう・・・。

なぜ、杉田氏の論文やそれを掲載した新潮45が、ヘイトなのでしょうか? マスコミの反対派へのインタビューで、よく聞く「謝罪しろ!」要求など、疑問は自分の中で沸騰し出します。

LGBTの人たちを理解できないことが、差別なのだろうか・・・。

でも、理解できない人を責めることはできないはずだし、もしかしたら逆差別という論法にも陥るし、泥沼喧嘩状態となります。
この番組中でも、多少その傾向があったように思います。

で、まずは政治的な問題として、また日本の文化の問題として、事の発端となった国会議員の杉田水脈さんが書いた全文を読んでみることにします。

 ------------------------------------------------

新潮45 2018年08月号 [雑誌] 新潮社  

杉田水脈著『「LGBT」支援の度が過ぎる』

 この1年間で「LGBT」(L=レズビアン、G=ゲイ、B=バイセクシャル、T=トランスジェンダー)がどれだけ報道されてきたのか。新聞検索で調べてみますと、朝日新聞が260件、読売新聞が159件、毎日新聞が300件、産経新聞が73件ありました(7月8日現在)。キーワード検索ですから、その全てがLGBTの詳しい報道ではないにしても、おおよその傾向が分かるのではないでしょうか。
 朝日新聞や毎日新聞といったリベラルなメディアは「LGBT」の権利を認め、彼らを支援する動きを報道することが好きなようですが、違和感を覚えざるをません。発行部数から言ったら、朝日新聞の影響の大きさは否めないでしょう。
 最近の報道の背後にうかがわれるのは、彼ら彼女らの権利を守ることに加えて、LGBTへの差別をなくし、その生きづらさを解消してあげよう、そして多様な生き方を認めてあげようという考え方です。
 しかし、LGBTだからと言って、実際そんなに差別されているものでしょうか。もし自分の男友達がゲイだったり、女友達がレズビアンだったりしても、私自身は気にせず付き合えます。職場でも仕事さえできれば問題ありません。多くの人にとっても同じではないでしょうか。
 そもそも日本には、同性愛の人たちに対して、「非国民だ!」という風潮はありません。一方で、キリスト教社会やイスラム教社会では、同性愛が禁止されてきたので、白い目で見られてきました。時には迫害され、命に関わるようなこともありました。それに比べて、日本の社会では歴史を紐解いても、そのような迫害の歴史はありませんでした。むしろ、寛容な社会だったことが窺えます。
 どうしても日本のマスメディアは、欧米がこうしているから日本も見習うべきだ、という論調が目立つのですが、欧米と日本とでは、そもそも社会構造が違うのです。
 LGBTの当事者たちの方から聞いた話によれば、生きづらさという観点でいえば、社会的な差別云々よりも、自分たちの親が理解してくれないことのほうがつらいと言います。親は自分たちの子供が、自分たちと同じように結婚して、やがて子供をもうけてくれると信じています。だから、子供が同性愛者だと分かると、すごいショックを受ける。
 これは制度を変えることで、どうにかなるものではありません。LGBTの両親が、彼ら彼女らの性的指向を受け入れてくれるかどうかこそが、生きづらさに関わっています。そこさえクリアできれば、LGBTの方々にとって、日本はかなり生きやすい社会ではないでしょうか。
 リベラルなメディアは「生きづらさ」を社会制度のせいにして、その解消をうたいますが、そもそも世の中は生きづらく、理不尽なものです。それを自分の力で乗り越える力をつけさせることが教育の目的のはず。「生きづらさ」を行政が解決してあげることが悪いとは言いません。しかし、行政が動くということは税金を使うということです。
 例えば、子育て支援や子供ができなカップルへの不妊治療に税金を使うというのであれば、少子化対策のためにお金を使うという大義名分があります。しかし、LGBTのカップルのために税金を使うことに賛同が得られるものでしょうか。彼ら彼女らは子供を作らない、つまり「生産性」がないのです。そこに税金を投入することが果たしていいのかどうか。にもかかわらず、行政がLGBTに関する条例や要項を発表するたびにもてはやすマスコミがいるから、政治家が人気とり政策になると勘違いしてしまうのです。

 LGBとTを一緒にするな

 ここまで私もLGBTという表現を使ってきましたが、そもそもLGBTと一括りにすることが自体がおかしいと思っています。T(トランスジェンダー)は「性同一性障害」という障害なので、これは分けて考えるべきです。自分の脳が認識している性と、自分の体が一致しないというのは、つらいでしょう。性転換手術にも保険が利くようにしたり、いかに医療行為として充実させて行くのか、それは政治家としても考えていいことなのかもしれません。
 一方、LGBは性的嗜好の話です。以前にも書いたことがありますが、私は中高一貫の女子校で、まわりに男性はいませんでした。女子校では、同級生や先輩といった女性が疑似恋愛の対象になります。ただ、それは一過性のもので、成長するにつれ、みんな男性と恋愛して、普通に結婚していきました。マスメディアが「多様性の時代だから、女性(男性)が女性(男性)を好きになっても当然」と報道することがいいことなのかどうか。普通に恋愛して結婚できる人まで、「これ(同性愛)でいいんだ」と、不幸な人を増やすことにつながりかねません。
 朝日新聞の記事で「高校生、1割が性的少数者」という記事がありました(3月17日付、大阪朝刊)。三重県の男女共同参画センターが高校生1万人を調査したところ、LGBTは281人で、自分は男女いずれでもないと感じているXジェンダーが508人。Q(クエスチョニング=性的指向の定まっていない人)が214人いて、合わせて1003人の性的少数者がいたというものです。それこそ世の中やメディアがLGBTと騒ぐから、「男か女かわかりません」という高校生が出てくる。調査の対象は思春期の不安定な時期ですから、社会の枠組みへの抵抗もあるでしょう。
 最近の報道でよく目にするのは、学校の制服問題です。例えば、「多様性、選べる制服」(3月25日づけ、大阪朝刊)。多様な性に対応するために、LGBT向けに自由に制服が選択できるというものです。女子向けのスラックスを採用している学校もあるようです。こうした試みも「自分が認識した性に合った制服を着るのはいいこと」として報道されています。では、トイレはどうなるのでしょうか。自分が認識した性に合ったトイレを使用することがいいことになるのでしょうか。
 実際にオバマ政権下では2016年に、「公立学校においてトランスジェンダーの子供や児童が“心の性”に応じてトイレや更衣室を使えるようにする」という通達を出しました。先ほども触れたように、トランスジェンダーは障害ですが、保守的なアメリカでは大混乱になりました。
 トランプ政権になって、この通達は撤回されています。しかし、保守派とリベラル派の間で激しい論争が続いているようです。Tに適用されたら、LやGにも適用される可能性だってあります。自分の好きな性別のトイレに誰もが入れるようになったら、世の中は大混乱です。
 最近はLGBTに加えて、Qとか、I(インターセクシャル=性の未分化の人や両性具有の人)とか、P(パンセクシャル=全性愛者、性別の認識なしに人を愛する人)とか、もうわけが分かりません。なぜ男と女、二つの性だけではいけないのでしょう。
 オーストラリアやニュージーランド、ドイツ、デンマークなどでは、パスポートの性別欄を男性でも女性でもない「X」とすることができます。LGBT先進国のタイでは18種類の性別があると言いますし、SNSのフェイスブック・アメリカ版では58種類の性別が用意されています。もう冗談のようなことが本当に起きているのです。
 多様性を受けいれて、様々な性的指向も認めよということになると、同性婚の容認だけにとどまらず、例えば兄弟婚を認めろ、親子婚を認めろ、それどころか、ペット婚、機械と結婚させろという声が出てくるかもしれません。現実に海外では、そういう人たちが出てきています。どんどん例外を認めてあげようとなると、歯止めが効かなくなります。
 「LGBT」を取り上げる報道は、こうした傾向を助長させることにもなりかねません。朝日新聞が「LGBT」を報道する意味があるのでしょうか。むしろ冷静に批判してしかるべきではないかと思います。
 「常識」や「普通であること」を見失っていく社会は「秩序」がなくなり、いずれ崩壊していくことにもなりかねません。私は日本をそうした社会にしたくありません。

------------------------------------------------


弱者を盾にする欺瞞
杉田水脈氏の『「LGBT」支援の度が過ぎる』は、騒がれ始めたころに読んだ。が、どこが問題なのか・・・。先入観なしの一読では、私には率直なところ、何が問題なのかわからなかった。
読んだ後に、ネットでいろいろ調べてみると、文中で使われている生産性という言葉が 論われています。
もちろん、税金は生産性という観点では救えない弱者に 割り当てられる機能もありますし、そんなことを杉田氏が否定したり知らないはずはないだろうし、杉田氏は概して 弱者の名のもとにおけるマスコミの異常な同調圧力それらと連動しながら強化されてきた戦後の様々な 弱者利権が、しばしば外国による日本侵略工作と繋がっている事の深刻な外力と戦ってきた人です 。
杉田氏は、弱者に一言、必ず 阿らねば発言も許されないような、マスコミの戦略的抑圧の危険な裏を暴き続けて来た人でもあります。
平和ボケで日本人としてのアイデンティティを失いかけた 今の日本人には必要な人でもあります。
その人があえて、世に問う文章が辛口になるのは当然でありましょう。
『弱者』を縦にして人を黙らせるという風潮に対して 、政治家も言論人も、皆非常に臆病になっています。
朝日新聞を叩く、嫌韓本を書くとなれば 一定のメンバーが喜び勇んでその言論戦に馳せ参ずる。手堅いマーケット=支持層があり安全地帯から どれだけ敵を、悪し様に語っても許せる構図が確立しているからだ。
こうした構図のできている 「プロレス型言論」と本当に同調圧力を跳ね返してでも、言うべきことを言うことは似て非なることです。
孤立してでも同調圧力と戦う政治家や言論人となれば、微々たるものです。
その中で杉田氏には、多くの人が内心共感しつつも黙らせられているテーマについて果敢に発言する珍しい蛮勇が居ます 。
そして、今の同調抑圧社会では、私は政治的にスマートな政治家よりも真の政治的蛮勇を持つ政治家の方が はるかに貴重だと思う。(概略)

と、番組中の、小川榮太郎氏の書かれた杉田氏の思いを擁護する文面もネット動画の中のテロップにありました。
私の感想もまったく氏と同じです。

杉田氏やその擁護記事を載せたということで、「新潮45」という雑誌も休刊(廃刊?)に追い込まれたそうです。
言論を擁護する立場の出版社が、記事掲載1週間で、休刊・・・?。

なんだか、強引に日本人の価値観をゆがめようとする空恐ろしい力を感じてしまいます。

https://www.youtube.com/watch?v=D7piJT4YiFc この動画、視聴回数を更新しますと、ものすごい勢いで視聴されていることが分かりますが、やはり、この一連の「新潮45」杉田論文掲載から休刊までの動きに不信感を抱いている鋭い感覚をお持ちの人がいるのでしょう。
 
LGB(T)など今まで表に出てこなかった秘められた性そのもについて、たぶん、私は今後も理解できないと思います。
でも、理解できないから受け入れられないということでありません。少数派または、弱者の孤独感は理解できますが、だからといってそういった類の人たちを差別する感覚も持ちあわせておりません。
個人はそれぞれ違って当たり前。その違いを認め合って、はじめて平和なコミニュティが維持できるのではと思います。

少数派や弱者を理解できないことを、少数派や弱者が支援者(今回の場合は反日左派勢力)と一緒に徒党を組んで声を揃えて「ヘイトだ!」と言われれば、これはもう暴力です。
どうも、今回の件も、反日左派勢力の支援の存在、小川氏の言われる、「弱者を盾にする欺瞞」、やはりこれが問題の本質のような気がします。
少数弱者を盾に、党員を増やす手法は、左派のやり方。
今回も、立憲民主党の党首はLGBTの人から議員候補者を選ぶとLGBT擁護団体の前で公言しています。
もともと日本の文化には、LGBTに対して差別感はなく、秘め事として認め合っていたのに、わざわざ波風をたてて、LGBTを理解できない人は悪。LGBTを理解し彼らの人権を認める人は善。という構図を無理やり作って選挙戦を戦い、善が悪に勝ったように自画自賛する構図。
杉田氏は、こういった意味のない不毛の現象に対して国庫が使われることを懸念したのでしょう。
沖縄の基地移設反対のデモ、安倍政権批判のデモ等と同じように、こういった印象を持ちました。

ただ、少子高齢化が進むこの日本の危機状態を、どうやって切り抜けるのか、これは国の施策、システムの問題なので政治のやり方、方法論です。
その政治を受け持つ国会議員が、数百万人居るとされるLGB(T)の方たちの存在に問題があるのならば、その問題点を深く掘り下げ考えるのは当然のことで、深く考えない国会議員が居ることのほうが、むしろ問題であるように思うのです。

人口問題は、いづれAIの進歩で何とかなると楽観視していますが、近い将来、ロボットと一緒に夫婦のように、仲良く暮らせる時代が来ると思います。子どもは産めませんが、ロボットは生産ラインで次から次へと生産されますから、今回のLGB(T)問題など、どうでもよいことになります。(^o^)

https://www.youtube.com/watch?v=AmCZeXNgGVc にも、若い世代に私の気づきとは、少し違う種類の分析がなされているようです。


うだうだ | 16:00:15 | Trackback(0) | Comments(0)
前のページ 次のページ

FC2Ad